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みんなを元気にするセルフビジョン専門家の水内です。私は会社員として約30年間働きました。会社員として新卒で製薬会社に就職した後、外食、サービス業と2度転職しました。職務も営業から始まり、人材育成、業務改善担当、外食店での店長、企業理念の浸透、接客向上などを担当しました。30年間で数多くの経験をしました。 30年の中でどれだけ仕事が楽しかったかと言うと、実は仕事が面白くなかった期間の方がはるかに長いです。うつになりそうになった時もありました(病院に行っていると、うつ病と診断されたかもしれません)。 しかし、ある時から仕事が楽しくなりました。会社へ行くのが楽しくなりました。そして、とうとう独立してしまいました。きっかけは「どのような人間になりたいか」というセルフビジョンを作ったことでした。 セルフビジョンが明確となった今、仕事が面白くなかった理由が分かります。それは「自分に自信を持っていなかった」ということが理由です。この点をもう少し詳しく、プロフィールとして紹介します。 私は親に厳しく育てられました。親に対して自分の意見も言えず、もちろん反論は出来ませんでした。その影響かあるのか、肩書きがついている人に対しては自分の意見が言えずYesマンでした。特にこちらの意見を聞いてくれず、自分の意見を主張してくる上司はとても苦手でした。自然とその上司とコミュニケーションが減ってきます。その結果、上司から見れば「水内は何をしているか分からない」と思われ、評価もされませんでした。2度の転職も上司と上手くいかず、評価されず、という状況に陥って転職しました。どの会社にも同じタイプの人はいます。上司の言いなりになってその通りにすると文句を言われ、ヘロヘロになっていました。その当時の私はずっと「こんなに頑張っているのに評価してもらえない。上司は人を見る目がない。そんな上司はダメだ」と矢印を上司に向けていました。このような状態ですので、通勤時は会社を休む理由を探していました。 プライベートも、子供が大きくなってきて「どこかに連れて行って欲しい」と言っても、パソコンでゲームをしたり、資格取得の勉強をして、家族を遠ざけていました。仕事が上手くいっていないので現実逃避をしていたのです。そのうちに、家族も諦めて私を置いて外出するようになりました。家で一人でいると、つい仕事や上司のことを考え、サザエさん症候群どころか昼間から落ち込んでいました。「また、あの上司に会うのか」と考えただけで何も行う気が起こりませんでした。プライベートも本当につまらない日々を過ごしていました。 そんな折、無理やり気持ちを奮い立たせて以前に受講した研修の資料を整理していました。資料の中に、ある研修で作成した「どのような人間になりたいのか」というセルフビジョンを見つけました。こういうものもあったなと思い、何となくもう一度作ってみました。手帳に作成したセルフビジョンを書き、とりあえず毎日一回は読みました。しばらくすると、少しずつ変化が起きてきました。私のセルフビジョンは「全てはみんなの幸せ・成長のために ~みんなの笑顔が見たい~」ですが、矢印が上司から研修の受講生や私自身に向くようになりました。今までは文句だと思っていた上司の言葉が、アドバイスとして受け取れるようになりました。また、色々なアイデアも浮かんできました。そのアドバイスやアイデアを取り入れて行えば研修成果が上がりました。また少しずつ自分の意見も言えるようになりました。考える軸が出来て、私の意見もブレなくなり、それが自信につながりました。会社に行くのが嫌だったのが、「今日はどのようにして受講生に成長してもらおうか」と考えるとワクワクしてきました。プライベートも、休む時とセルフビジョン達成のための活動と上手くオンオフをつけられるようになり、結果として充実した一日を送ることが出来るようになりました。 セルフビジョンを持っていれば完璧かと言うと、そうではありません。セルフビジョンがあっても迷ったりパニックになることもあります。ただ言えることは、迷った時もパニックになった時もセルフビジョンを思い出せばどのような行動を取るべきかがすぐに分かります。迷っている時間が短くて済みます。 私はセルフビジョンを作って生き返りました。50歳で生き返りました。今はこう考えています。「もっと若い時にセルフビジョンを持つことが出来れば、どれだけ楽しい人生になるだろうか」この考えのもと、30歳の方を対象にセルフビジョン作成セミナーを行っています。
テーマ: ①企業理念
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