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(経緯追記 2018.10/10)初潮を迎えた頃より、生理不順。1ヶ月間生理が続いたり、1日おきに出血したりと不安定な状況が続き、中学生にて婦人科受診デビュー。当時は「まだ体が未発達だから経過観察」と言われるも、その頃から異常な生理痛が続く。22歳にて「子宮内膜症」と診断される。26歳の時に腹痛が1ヶ月以上続き「チョコレート嚢胞」と診断。右卵巣が子宮を圧迫する程にまで腫れ上がり、両卵巣内摘出手術。その後もチョコレート嚢胞の再発を繰り返し、何度もホルモン療法を受ける。2016年4月、勤務中に異常な腹痛に見舞われ、婦人科受診。両卵巣ともにチョコレート嚢胞4cm大が発見される。内視鏡手術を勧められるも、仕事が忙しかったため後回しになり、そのまま1年近く放置。2017年、3月頃から生理が止まるも「閉経前にありがちな現象」と思いこみ、そのまま看護師の仕事を続ける。施設看護師だったために人手も足りず、体調不良が続いても休めないまま8月に至った時に、5ヶ月ぶりの生理が訪れ、異常なほどの大量出血により急激な血圧低下を起こす状況に陥る。その頃から寝返りを打つたびに激しい腹痛を感じるようになり、婦人科を受診。2017年9月12日、「卵巣がん」の疑いを指摘され、翌日S大学病院を受診する。卵巣は約9~10cm大。破裂の危険があるとのことで精査と安静を目的に緊急入院。(その後、9月25日付で看護師退職) 10月26日に両卵巣、子宮は膣上部までの切除術(膣上部が直腸・尿管と癒着しており、切除不可能だったため)、大網部切除。右卵巣は術中に自然破裂。病理診断の結果は卵巣がんの中の明細胞腺がん 大網部に播種転移見られたことからⅢa期。12月21日よりTC療法(パクリタキセル ・ カルボプラチン)開始。4月24日より最後の6クール目開始。治療終了後、開腹手術の影響により腸ヘルニアとなる。8月13日に激しい腹痛により病院緊急受診したところ、診断結果は極度の便秘。その後、酸化マグネシウム剤とピコスルファート(ラキソベロン)15滴使用したところ、転じて激しい下痢&嘔吐。その後も約1か月に渡り下痢が続き、体力はいっきに低下。1か月で5kgの体重減少、およびS字状結腸に肥厚部位がCTにより見つかる。2018年8月20日に受けた大腸内視鏡検査の結果、S字状結腸肥厚部分以外にも「こぶのように、でこぼこした隆起部分」が発見される。それにより10月9日、PET検査。10月24日結果報告あり、S字状結腸の肥厚部分は手術後遺症によるものであり、再発所見ではない。ただし骨盤右側に糖消化の異常集積部位あり、引き続きフォロー検査必要。★卵巣がん組織型:明細胞腺がんの5年生存率各諸説あるが、一般的には「15~30%」。再発が高い時期は1年~3年。再発したら予後不良。【生い立ち】幼少期から哲学・宗教学に造詣を深める。高校卒業同時に准看護師資格を取得し、透析クリニックにて勤務。勤務中に出逢った様々な透析患者さんより人生についてを学ぶ機会をもらい、自分のアイデンティティ確立、および真理探究を目指して東洋大学のインド(印度)哲学科に進学。さらに思想および思想史、それに付随した国際事情に興味を抱いて独学を続け、東西問わず、両者の思想に渡り研究を深める。 2001年にインターネットにて小説掲載したことがきっかけで、2003年より携帯公式コンテンツで小説連載開始。以後、作家活動と派遣業を両立していくも、2010年、突然それまで順調だった執筆活動が停滞。派遣業も年齢的に難しい年代に差し掛かり、改めて人生を考え直し看護学校に再度進学。2014年正看護師資格を取得し、以後は看護師として、特に「超高齢社会」や「多死社会(生死についての真理)」をテーマにした活動を進めていくこととなる。しかし、2017年6~8月まで2か月に渡り体調不良が続き、当時常勤だった施設看護師の退職を決意。その後、「卵巣がん」だったことが判明した。※プロフィールの似顔絵は、「ココナラ」のイラストレーター、ミノカナコ様に描いて頂きました。https://coconala.com/services/229328
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