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沈黙図書館はいかなる思想的背景にもとずいて運営されていくのか。まずわたしの信条は[沈黙主義]である。沈黙主義者はあるときは自由主義者、また、あるときは資本主義の信奉者、而して、実存主義者であったり、場合によってはマルクス主義者である場合もある。正体不明なのである。いろいろあるのだが、その思想原理は沈思黙考、さらに不言実行。老子はその[道徳経]で「知者不言 言者不知」と言っている。わかっているヤツは余計なことはいわない、という意味だ。西洋の諺に「沈黙は金、饒舌は銀」といい、イタリアでは「沈黙はそれ自体が告白である」という。孔子は「巧言令色少なし仁」といった。おしゃべりなヤツはダメなのだ。幕末の英雄の一人であった橋本左内は少年時代、学友が激論しているときも常にうつむいて行儀よく座り、皆の話を黙って聞いているような若者で、自分の学才を表に出さず、沈思黙考の代表的具体例のような人物だった。彼は十七歳の冬、友への手紙に「道の精微縝密は思慮一日のよく到るところに非ざるなり」と書いている。どう生きていけばいいか、そんなことが一日や二日、短い期間の勉強でわかるわけがない、というのである。橋本左内は二十七歳を前に、安政の大獄に連座して、みじかい生を終えたが、わたしなぞは浅学非才、七十二歳になっても人生について、はっきりしたことは何もわかっていない。ただ、確かなことはやがて死ぬ、この一事だけである。それでもわたしは、世間の通俗的な基準を否定するマルクス主義と新しい理想を模索する陽明学を混ぜ合わせたような沈思黙考、すなわち沈黙……、その知行合一を目指して、日夜、研鑽を積まねばとズルむけるこころに空気をいれて、ブグロを書きつづけているのである。これこそ不良少年が大学で歴史学を学び、その後五十年間、原稿書きしているうちにたどり着いてしまったシャングリラ=桃源郷=陶淵明的な有欲無欲、融通無碍の境地、即ち沈黙主義の唯我境なのである。沈黙主義は同時に忘却主義であり、自分に都合の悪いことはなにもかも忘れてしまい、アレコレと思い出すのはブログを書くときだけという二十一世紀のネストリウス派キリスト教徒的実存主義者である。どこがネストリウス派なのだと聞かれると困るけど。間歇性一部分忘却症候群かもしれないけど。異端の邪宗? ゾロアスター教徒? あるいはそうかも知れない。この思想の欠点は美人と美食に弱いことだが、いちおう、立て前としては、いつも人生を出来るだけストイックに生きていたいと考えている。わたしはこの世に一人だけ存在する沈黙主義者であり、職業は作家&編集者。自分の作品執筆と人の書いた原稿の編集作業。趣味も原稿書きと本作りだ。古い話になるが、元・ターザン編集蝶の及川政治のように勢いにまかせて「このヤロー、どこからでもかかってこい」などとは、口が裂けても言わない。わたしも柔道と剣道、一通り学んだが、殴り合いのケンカはこの35年していない。たぶん、身体も動かないだろう。こころは優しく、困っているいい女や悩んでいる美人を見るとなんとか助けてあげたいと思う。たいてい、見ているだけで何もしないけど、なんかすることもある。セクハラと勘違いされないように気をつけよう。現代は多死社会・格差社会、少子・高齢化社会、ハラスメント社会である。コロナ禍をくぐり抜けたあと、わたしたちは新しい倫理と規範によって生きなければならない。沈黙主義はその現実を颯爽と、苛烈に生きるための[生の哲学]である。
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