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うちの家は隙間だらけで穴だらけなので外気温と室内温度が同じです。それは慣れているのですが昨日の寒さは20年ぶりに「寒くて寝れない」 という思いをしました。ちょうど20年前(2003年)5年半に及んだわたしのホームレス生活の最終地は富山だったのですが7月といえど山中の無人の神社に入り込んで寝たところ寒くて2時間しか寝られなかったことを思い出しました。あの頃は「ビワの実」だけを食べて飢えをしのいでいたころで木によって味が全然違うのが発見でした。そこからしばらくしてわたしと廃寺に保険金をかけて廃寺ごとわたしを焼くという計画をヤクザが立てていることをこっそりわたしに教えてくれた人がいてあわててJRの富山駅に逃げ込んで始発の列車が来るまで階段の陰に隠れて無賃乗車で始発の列車に飛び乗って「長浜駅」で降りました。なぜ長浜かというと昔、給料を受け取らずに給料日前に辞めた会社が長浜にあることを思い出したからです。長浜駅で降りたときは、ちょうど駅員が駅の改札のシャッターを上げるのに気をとられていたので気づかれないように駅の端っこのフェンスを乗り越えて徒歩でその会社に向かったのでした。ダメもとで。すると律儀なことにその会社は私の給料を保管してくれていてその足で長浜駅に戻りスポーツ新聞を買ってそこの求人欄の「住み込み」のところに載っている求人に端から順番に電話をかけていくことにしました。すると1件目に電話をかけた福知山のパチンコ屋が面接をしてくれるということになって切符を買おうとしたときそこで私は驚くんですね。なんともらった給料からスポーツ新聞代と公衆電話代を差し引いて手元に残ったお金と長浜駅から福知山駅までの電車賃がまったく同じ金額だったんです。けど当時はそのことに何かを感じるこころの余裕もなく「福知山で面接に落ちたら また無一文で 今度は福知山でホームレスかぁ・・・」と思いながら乞食の着の身着のまま面接を受けたのでした。結果そこで採用になったから今のわたしがあるのですが後から聞いた話しによると主任さんは大反対だったらしいんですが私が面接するちょうど前日に2人いっぺんに辞めたらしく店長が「とりあえず」ということで雇ってもらえたみたいなのでした。そこからお金をためてパチンコ屋を辞めて部屋を借りて新聞配達の仕事を始めたあたりから綾部の養護学校の放課後児童クラブの職員のバイトの話しが舞い込んできたりとちょっとずつ普通の生活に近づいていくようになりました。そのあとインチキミュージシャンの夫婦にだまされたりもするんですけどね(笑)こうやって今になって振り返ってみると「ギリ死なないところ」という絶妙なラインでわたしの人生のシナリオは設定されていたんだなぁ・・・と思います。そのホームレスになる前もさんざんな人生でしたしよっぽどわたしは「業(ごう)」が深かったんでしょうね。ここに来られるみなさんもいろんなことを抱えてらっしゃると思いますけど今は何も解決しなくても「とにかく生きてさえいれば」何かが変わる瞬間に立ち会えるかもしれない。ということです。「今でも 何も達成できず 誰の役にも立てず アル中で 孤独で 借金しかない ただ生きているだけの わたしですら いろんなことに 気づけたのですから」
テーマ: ひとりごと
メンタルヘルス
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