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改めまして、ワティこと渡辺直行です。このページを使って私のことを「崖っぷちからの生還話」を交えて、紹介させて下さい。わたしは、1965年10月24日生まれ、さそり座でA型のテニス大好き人間です。大学を卒業してから、一貫して金融関係の仕事をしていましたが、もともと自由が好きな人間で、人に指示されて仕事をするのが性に合わなかったこともあり、無謀にも31歳の時に会社を辞めて一人で仕事を始めることにしました。しかし、その後、デイトレードで失敗して破産寸前まで追い込まれ、その後に恥を忍んで出戻りさせてもらった証券会社でも人間関係の板挟みの辛さに自殺まで考える状態に追い込まれました。ただ頭を下げて出戻りした会社だったため、辞める訳にもいかずに当時は”うつ”になりそうな辛い日々を過ごしていました。後にその会社を円満に辞めることができたので、再度自由に動ける状態になった私は、もともと持っているチャレンジ精神を発揮してネットベンチャーでの起業にチャレンジしました。ところが1社目は見事に失敗。めげずに立ち上げた2社目も全く収益の目処が立たず精神的に揺れている状態の時に出会ったのが、現在弊社の顧問をやってくれているマイケルというアメリカ人のヘッドハンターでした。マイケルとの出会いは、ネットベンチャーの仕事をやりながらも「何か違うな」とブレている自分を感じていた私にとって、ようやく目指すものが見つかったという瞬間でした。その後、ヘッドハンターになるためにマイケルにすぐに弟子入りさせてもらい、手弁当で通いながらヘッドハンティングの仕事を修得することを目指しました。ところが、ヘッドハンティングというのは一筋縄でいく仕事ではなく、全くと言っていいほど結果が出ない日々がただ淡々と過ぎていきました。当時の私は、ようやく結婚して第一子が生まれようとする入り用の時期であったにも関わらず、数ヶ月後には生活資金が底をつくような経済状況にまで追い込まれました。そんなときにふと目に入った新聞の求人広告に”ヘッドハンター募集”の記事を見つけます。思わず応募したところ書類選考からトントン拍子に面接まで進み「明日から50万円で来てくれ」とオファーを受けてしまいました。当時の私にとって”月収50万円”の響きは、強烈に魅力的でした。でも、それがまさに私が試される瞬間だったのです。かなり心は揺れました。妻にもマイケルにも相談しました。でも、決めるのは自分。「ここでブレたら俺はダメ人間だ!マイケルの元で最後までやるんだ」そして、揺れる心を振り切り退路を断つ覚悟を決めました。その後も、すぐには結果は出ませんでしたが、覚悟ができていたこともあり不思議と感情面では安定していました。そして、いよいよ生活費が底をつく直前になって、手がけていた契約が数件まとめて決まったのです。結果的に、私は当座をしのぐには十分な収入を得ることが出来ました。この決断の後に偶然決まったようにも思える契約ですが、今から思うと、この結果は私が”マイケルのところで最後までやるんだ”と、コミットした瞬間にすでにうまくいくことが決まっていたような気がしています。 ここで、この話が終わってしまっては、どこかで聞いた成功小説の結末みたいなのですが(もちろん本当の話ですよ)、この話には続きがあります。実は、”月収50万円”で揺れた時期の1年後にはマイケルはアメリカに帰ってしまったのです。つまり、あのとき”月収50万円”になびいてしまっていたら、師匠のマイケルから二度と教えを請うことはできなかったのです。ヘッドハンティングという仕事を覚えるためには、どの先生に付くかが全てと思っています。そう言う意味では、今までの私の人生で最大の決断だったのです。更に、私を”月収50万円”で誘惑(笑)した会社は、1年後にはホームページもなくなり姿を消してしまったようです。このように、チャレンジしてはブレる経験を繰り返してきた私はチャレンジする人の気持ちも、ブレてしまう人の気持ちも分かります。そんな私があなたのお役に立てることも多いかもしれません。是非末永くお付き合い下さい。
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アラフィフ
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