ブログをブロックする
ブログを報告する
はじめまして。福島県郡山市の社会保険労務士渡部裕之と申します。事務所名は、『エフォート南東北社労士オフィス』です。事務所名の”エフォート”とは、【継続的努力】の意味で、常に初心を忘れずに「お客様の利益のために継続的に努力していける存在でありたい!」との強い思いから命名しました。【社会保険労務士になるまで】生まれは福島県会津若松市。2013年の大河ドラマ『八重の桜』の主人公である新島八重さんの故郷であり、白虎隊でも有名な地です。中学までは会津若松市で過ごし、高校は郡山市内の学校へと通いました。高校時代にテレビで目にした検事の姿。その姿に影響を受け、「法律を学びプロとして働きたい!」との強い思いが芽生え始め、大学は法学部へと進学しました。入学前の思いとは裏腹に、いつのまにかクラブ活動や友人との楽しい飲み会などに勤しむ学生時代を過ごしており、あっという間に四年間が経過しました。その後、将来に対する”明確な目的や目標”も無いままに、流されるように大学を卒業し、地元企業へと就職をしました。サラリーマン生活を送る中で、将来に対する漠然とした不安を抱くようになりました。その反動から、以前よりも増して「法律の仕事がしたい!」との強い欲求が沸き起こるようになりました。そんな中、本屋で目にした「司法書士」の仕事。独立開業を前提に資格取得の勉強をするならば、実務経験を積みながらが良いと考え、県司法書士会に問い合わせをして郡山市内の司法書士の先生を紹介頂きました。その後4年半勤務。試験には毎年落ち続けていたため、独学の限界を痛感し、4回目の受験後に学校に通うために上京を決意。妻の理解を得て横浜に移り住むことになりました。新しい勤務先は、都内の司法書士事務所。平日は通勤電車内、始業開始前のオフィス、終業後の図書館、帰宅後の自宅、休日は受験学校の自習室で一日勉強をしていましたが、5回目の受験も惨敗。「このまま一生合格できないのではないか?」。恐怖感が頭を過りました。漠然とした日々の中で、折からの事務所の受注減、法律の改正に伴う方針転換等を背景として、突如事務所の所長より”退職勧奨”(リストラ)を受けました。試験には合格出来ず、仕事も失ってしまった・・。茫然自失の日々を過ごしました。そんな状態だった私を救ってくれたのが、妻の積極的な支えと、数多くの自己啓発書に書かれていた言葉の数々でした。「今回の経験は、違う道に進めとの神様のお告げだ!」と前向きに解釈(陽転思考)し、「自分の経験を活かして、少しでも社会に役立つ仕事がしたい」と考えるようになりました。その時出会ったのが、”労働法、労働問題の専門家”である社会保険労務士。直ぐに試験勉強を開始しました。就職活動→再就職の過程の中でも勉強を続け、平成21年度の社会保険労務士試験に運良く一発合格。福島での開業を決意しました。【そして開業へ】平成23年1月に福島県郡山市へと戻り、開業前に一旦観光バス会社へと再就職しました。その後、勤務中の同年3月11日に東日本大震災が発生。郡山市は震度6強を観測しました。発生当時業務中で、車を運転していたのですが、急にハンドルが効かなくなり路肩に停車せざるを得ませんでした。その時に見たまるで映画のような光景を、生涯忘れることは出来ないでしょう。福島第一原発事故の影響による風評被害から、県内の観光業は大打撃を受けました。その結果、お客様からの予約のキャンセルが相次ぎました。受注が激減すれば会社の体力も減り、必然的に人件費が重くのしかかります。「社員の雇用は守りたい」との社長の強い意向を受け、受給要件が緩和されていた「中小企業雇用調整助成金」の申請を社長に提案。担当として業務を進めることになりました。(その後受給に成功)その後、自身の経験からも【労働トラブルのない社会の実現】を目的に掲げ、平成24年4月に事務所を開業し現在に至ります。
テーマ: 助成金
テーマ: ブログ
テーマ: 社労士実務
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります