Ameba新規登録(無料)
婆娑羅な和遊び執事
フォロー
ブログをブロックする
ブログを報告する
ブログをブロックしました
ブログのブロックを解除しました
エラーが発生しました
追加できるブログ数の上限に達しました。
設定
婆娑羅な和遊び執事
血液型
B
出身地
大分県
最新の記事
和遊び執事の婆娑羅スタイル日誌!
ときに人生には運命的な出会いがある
テーマ: Simplog
2013年12月07日 22時49分
2
クルージングパーティ!
テーマ: Simplog
2013年07月21日 00時34分
ほう!
テーマ: Simplog
2013年07月18日 22時51分
涼しい!
テーマ: Simplog
2013年07月14日 10時13分
乗馬
テーマ: 婆娑羅
2013年07月14日 10時10分
婆娑羅:高階氏族高流高橋氏と四神相応の地 徳尾
「高貴なる熱血漢!あるいは永遠のお子ちゃま?」
とある方に、自分を評していただいた。それ以来、私のキャッチコピーである。
私の正式な姓名は
高階朝臣 中 高橋 修 浄 である。
(氏)(姓) (屋号) (名字) (名) (輩行名)
私は大分県臼杵にある徳尾という集落の出身で、その住民のほとんどが高橋姓なため
集落の中では、「中」という屋号でよばれている。
この徳尾は、徳高き尾根という意味だと考えられ、
風水的には極めて貴相な地である。
地相について、中国では古来より「皇帝」をはじめ「主人」「長」は南を向いて座るのが良いとされてきました。主人が南を向いて座れば、前面は当然南となり、南にいる「朱雀」が前方や将来を見渡して情報を集め主人に伝えます。また、右手の西には強暴な虎を手なづけた「白虎」、左手の東には主人の運気を上げる「青龍」を置き、
後方からの奇襲攻撃から身を守るために「玄武」を北に置いています。
さらに、主人は、陰陽が入り混じり最も活性化している中心に座し、攻撃にも防御にも強い環境を作り出す、これが「四神相応」の考え方であり、当家でもこれに倣っています。
まず、
南にいる「朱雀」が前方に広がるで泥田であり、
右手の西には強暴な虎を手なづけた「白虎」これは道がそれに相当し、
左手の東には主人の運気を上げる「青龍」が熊崎川として存在する。
後方からの奇襲攻撃から身を守るための玄武は、横岩山から続く尾根が相当する。
そんな地へは、約400年以上前に当家は住みついた。
きっかけは大友氏滅亡後、太閤蔵入地(直轄領)化した際、
我が家の直系の祖、「高橋六郎左衛門」が
臼杵の代官として封入した太田一吉の家老として
従って来たのが最初である。
その際、旧大友勢力の討伐を行った話が、大友興廃記巻二十二「吉田働のこと附月山長刀の事」に収められてある。この栗山城攻防戦、すぐ側にあったのがこの地だ。
「大友興廃記」
二十二巻。杉谷宗重著。寛永十二年(1637)成立か。四百年に及ぶ大友氏の興廃を描く。杉谷宗重は豊後の人。『大友興廃記』は齢八十に及ぶ父と老翁の話をもとに作ったことが『井樓簒聞引用書目』に伝えられている。
その後、当家は関ヶ原の戦いで西軍に属したため稲葉氏に取って代わられた際
帰農し、徳尾地区での小庄屋を務めてきた。
その後、明治となり、高祖父、曾祖父は共に明治・大正と教員の後、
本来の地主として暮らしていました。
高祖父:米蔵
曾祖父:修一
私は、連綿と続いてきた以下を受け継ぐ立場にあります。
高階氏族高流高橋氏の系図
屋敷神白髭さん
先祖墓(本家である当家のみ)
婆娑羅に関してであるが、歴史好きだった私は、京都大学の西洋史学の泰斗
であられた故会田雄次先生の著作が好きでよく読んでいた。
その中、バサラの精神の復興を先生は唱えられていた。
そして信長の前例として、高師直を事あるごとに著書で取り上げられ、
私もいつしか高師直に自然とひかれていった。
そんなある日、家系図を詳細見る機会があり、
自分が高師直の血を受け継ぐ者である事を知って驚愕した。
そして私は、高師直を私の一生の追い続ける目標とした。
散じ尽くして生きる事を決めた。
そして足利家に天下を取らせた天下人の執事として、生きたい。
武家としての私の名乗りは以下である
八幡太郎義家殿よりこのかた、
源氏累代の執権役をおおせつかり、その武功天下に顕れたる
高武蔵守師直が後裔
日本のコルネリウス一門たる高階氏族高流中高橋家が出自
織田信長の永楽通宝を参考に、高階氏の太祖 天武帝が作らせた
富本銭をベースに旗印を作成。
私のテーマ曲:リエンツィ序曲
リエンチの祈り
メッセージ
画像一覧
ピグ
アメンバー
アメンバーになると、
アメンバー記事が読めるようになります
アメンバー申請