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我が空手は「迅速果敢」「一気呵成」「肉を切らせて骨を断つ」を旨とし、突きと蹴りは『重く鋭敏な神拳』『無影脚のごとき蹴り』を生涯の目標に。現在個人研究活動として『沖縄空手武器術・龍門会』を主宰し、沖縄の空手と武器術を鍛錬しています。当ブログは、あくまで私の日々の稽古の日誌として、忘備録のつもりで書いています。2014年秋についに還暦になってしまいました、歳取ったなぁ~(苦笑)。それだけでなく、2019年秋にはついに『前期高齢者』の仲間入り。あの紅顔の美少年が、今やジジイです(爆)。初めて空手と出会ってから、すでにもう45年以上経ちました。月並みですが、光陰矢の如し。1971年7月、高校2年生の時に当時三重県にあった沖縄松林流旧東海本部道場(元世界松林流空手道連盟副会長・故高村成弘先生)に入門。1974年3月、大学2年の時に念願の黒帯(初段)允許。ところが、空手三昧出来たのは大学4年生の前半ぐらいまで。理系大学院生になってからは研究活動が猛烈に忙しくなり、就職後は東京の大手町というグローバルビジネスの中心地で、仕事に忙殺されていました。そのためまともな稽古が出来る環境では全くなく、自然に旧本部道場とも疎遠になり、そのまま関係は切れました。それでも習った松林流をベースに、中国拳法の蟷螂拳と八極拳に興味を持ってそれらを自分なりに加味したり、フルコン系の士道館(極真の猛虎・添野義二先生)にも1年ほど在籍するなどして、細々ながら続けていました。40歳代半ばに、近所の道場はそこしかなかったためやむなく通った某流派の稽古中に左足踵を複雑骨折してしまい、半年近い療養生活を経験。流儀が違うのに、稽古したい一念で焦って無理に通ったのが、この大怪我の遠因だと今では思います。とにかく会社と家族に多大な迷惑をかけてしまったことで、稽古活動を全面的に自粛することになりました。2008年9月、54歳になる直前に一念発起し、長いブランクを経て稽古を再開。2018年10月、本格的稽古に復帰して丸10年経ったのを機に、過去に習った沖縄松林流の技法をベースにいくつかの他流派の技法も参考にしつつ、どのような組織・団体にも所属せずいかなるものにも頼らず束縛されない、自分独自の手法と身体操作による『沖縄空手武器術・龍門会』を立ち上げました。現在は週1回、3時間程度の稽古を続けながら、突きと蹴り主体の空手術を研究し鍛錬しています。2010年6月からは琉球古武道(平信賢創始の旧琉球古武道保存振興会系統)も習い始めました。棒術(6尺棒)、釵術、ヌンチャク、トンファー、鉄甲、ティンベー&ローチン、二丁鎌、エークといった琉球古武道における一通りの武器を鍛錬中。好きなそして得意な武器は、棒術(6尺棒)、釵術、ヌンチャク、トンファー、二丁鎌、エークの6つです。7年後の2017年3月に、琉球古武道 旧琉球古武道保存振興会系の四段を允許されました。その後2019年4月、熟慮の末に旧琉球古武道保存振興会系統の某会派を退会し、自分独自の手法と身体操作にて沖縄の武器術(琉球古武道)を研鑽することを決意。空手を週1回、武器術を週1回のペースにて鍛錬を継続し、現在に至ります。2021年6月、沖縄空手武器術・龍門会五段。沖縄武器術(琉球古武道)に関しては、他流派開催の全国大会にも出場したことがあり、2年連続で入賞を果たしました。結果は以下の通り。○2015年6月7日開催『全日本琉球古武道オープン選手権大会』(輿儀会館主催)・壮年(50歳以上)棒部門 「佐久川の棍(大)」で優勝・壮年(50歳以上)釵部門 「浜比嘉の釵」で第3位○2016年6月19日開催『全日本琉球古武道オープン選手権大会』(輿儀会館主催)・壮年(50歳以上)棒部門 「米川の棍」で準優勝・壮年(50歳以上)釵部門 「湖城の釵」で第3位********** ********** **********趣味として、他に旧日本海軍の艦艇模型の製作も行っています。単なるオモチャレベルではなく、大人の観賞眼に充分に応える博物館レベルの精密かつ正確な模型を製作します。「ネイビーヤード」誌という季刊専門模型誌等に、模型製作者兼ライターとして執筆していました(現在は活動を休止中)。模型の各作品は、その詳細をhttp://vanguard.my.coocan.jp/で見る事が出来ます。
テーマ: 沖縄武器術稽古日誌
テーマ: 空手稽古日誌
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