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こんにちは月下 陽子(旧姓:海野)と申します。公務員の家庭に生まれ育ちました。両親と妹と四人暮らし。穏やかな家庭でした。小学校二年生までは、明るい子でした。三年生にあがると、急に周囲の目が気になって、学校ではおとなしい子になりました。家では明るく、学校ではおとなしい、二面性の強い子でした。ピアノを習いはじめました。小学校六年生の時、学級委員長になりました。中学校では陸上部で副部長でした。種目は100㍍走。タイムは14秒02でした。14秒をきれなかったことが悔しかったです。最後の中体連の400㍍リレーで6位入賞しました。中学校三年生の時、私の感受性を受け入れてくれるクラスメイトと出逢い、学校でも自分を出せるようになってきました。高校では課外のバンド活動に力を入れていました。『表現する喜び』『協力する喜び』を知りました。同時に、自分を表現する手段としての「衣裳」に興味を持ちました。部活は英語部でした。教科では、国語・哲学が好きで、数字が苦手でした。大学は、被服科か哲学科に進学したいと思いました。経済的自立に繋がりそうだと判断して、被服科に進学しました。東京に憧れて、都内の大学を選びました。女子寮での共同生活が楽しかったです。3年間パン屋さんでアルバイトをしました。部活は、『音を楽しむ』をしたくて、軽音部に入り、コンサート・マスターをしながらギター・ヴォーカルをしていました。同時に、被服論文に力を入れながら、学芸員の資格を取りました。卒業後、アパレルメーカーに営業・営業事務職で入社して、主に広報の仕事をしていました。仕事が楽しくてのめり込みすぎ、過労で倒れ入院、退職しました。三日間程の見性体験がありました。今までの自分の選択は全部間違いだったと感じてしまい、夢を追うことを諦め、安定した生活を望むようになりました。一年程実家で療養しました。入院の経験から、毎日患者さん達の健康への道のりをサポートしているスタッフの方々に感銘を受けました。自分も病院で働きたいと思い、医療事務の資格を取り、病院で請求事務・受付の仕事に就きました。産婦人科の受付、救急受付、精神科の医療秘書の仕事にやりがいと大変さを感じました。28才の時、紹介で夫と出逢い、結婚。専業主婦になりました。翌年長男が誕生。予想に反して、あまりの子育ての大変さに驚きました。なかなか二人目を授からず、人生に絶望しました。『命』に関して、「努力ではどうにもならないことがある」と実感しました。2011年10月末、癒しと悟りの世界に興味を持ちました。それからは、癒し・悟り関係の本やブログを読みながら、近隣のセラピストさんのもとを訪ねて歩きました。2013年に二人目を授かり、今生叶えたい願いは全て叶ったと感じました。2014年5月から2015年9月まで参加したSNSサークルで「癒し」や「悟り」に興味がある仲間と出会い、『本音で生きることの大切さ』を思い出しました。今は、少しずつ「自分」を表現しながら、「自分」を落としていきたいと思っています。よろしくお願い致します。
テーマ: ブログ
テーマ: 自己分析
テーマ: 陽子
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