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「こんなに頭も肩も人生もつらいなら死にたい」「愛を贈り続ける」「一輪のお花を渡し続ける」母にそんな気持ちから友人の話を母にしました。「お母さんが選択することは、お母さんの人生だから、なにも悪いことは無い。」「でもね、こんな話を聞いたから、お母さんにも情報の一つとして伝えるね。」という気持ちで伝えました。そしたら、母はいつもの「なんでお前はわかってくれないの」という態度ではなく「ふーん、そういうこともあるんだね」と言う感じで私の話を否定することなくいつもの被害者の母で聞くこともなく聞いてくれました。こんなふうに穏やかに薬をやめたらいいよという私の気持ちが伝わったのははじめてだったのでうれしかったです。母の病気は何かと言うと1型の糖尿病です。1型の糖尿病は先天性のものでふつう発症は10代の頃にはじまります。まれに50歳を過ぎてから発症することもあるそうで母がそうでした。母は気が強く、よく働く人でした病院でケースワーカーとケアマネージャーを兼任して仕事に誇りとやりがいをもって日々、一生懸命働いていました。もうすぐ定年、そしたらいろんな所に旅行に行っておいしいものをいっぱい食べ歩きして楽しむのがリタイア後の楽しみだと言っていたところ健康診断で血糖値の異常がみつかり即入院したのが2年前のことでした。自分が治らない病気になってしまったこと。今までがんばって働いてきたからこれからは気ままにおいしいものを食べながらゆっくり過ごそうと楽しみにしていた。自分の夢がかなわなくなり今までやったことのない食事のたびにインスリンを打ち栄養バランスやカロリーコントロールに気を使って好きな甘いものやお酒も気兼ねなく口にできない生活になりました。初めての長期入院安定しない血糖値好きなものを好きなように口にできないストレス今後の未来への不安適齢期を過ぎても結婚しない子供たちへの心配お医者さんの対応への不満低血糖で命を失ってしまうかもしれない恐怖合併症の不安そんなものをいっぺんに抱え込んで心因性のストレスからひどい頭痛と肩こりに悩まされ始めます。24時間気持ちが休まらないことで痛みも止まりません。痛み止めも安定剤も肩こりを治めるために飲んでいますが規定量を飲んでも肩こりはひどいままです。だからといってこの薬をやめたらもっとひどくなるんじゃないかと薬をやめることもこわくてできません。薬を常用することが身体に良くないと思っていてもじゃあどうすればいいのよって感じです。退院後自宅に戻って来たときは「こんなに頭も肩も人生もつらいなら死にたい」とよく泣きました。私はそんな母がかわいそうだけど私のキャパを超えるほどのネガティブに耐えれず早く良くなってもらいたいからペインクリニック、心療内科、針灸、アロマ、ハーブいろんな本、まるかん、レイキ、カウンセリング、サプリボディマッサージ、ヘッドマッサージ、ノニジュースなどを探してきては勧めました。けれど母が求めるほどの効果はなく私も仕事に復帰して母の支えは定年退職した父が一手に引き受けました。そんな父や、母の友人の支えもあり私が今の健康の仕事に就いて母にも良いものを摂ってもらうことで今年の夏くらいからちょっとだけど改善してきたように思います。私は、改善してきたのにまだ薬を減らそうとしない母にイライラと諦めを感じていました。でも、今までのサプリは途中でほったらかしになるのにこのお水は飲み続けてくれる母に感謝の気持ちもありました。そんな母に昨日の友人の話をシェアして母が最近気にしていた「歯が黒くなる現象」もその友人が、「薬とかの体に悪いものを入れた時にミネラルの水を飲むとデトックス効果だと思うんだけど、歯と舌が黒くなるんだよね」「ミネラルが悪いもの出そうとがんばってくれていてありがたいよね」と言っていたよ。だからお母さんの体も悪いものをデトックスしてくれてるんだねと話したら「ふーん、そういうこともあるんだね」と私の話を受け入れてくれました。もうそれだけで私と母の関係には大きなできごとです。また怒るんじゃないかとハラハラしながら話したけど無事に気持ちが伝わってよかったです。ほっとしました。今までそんな母を自分一人でどうにかしようと思っていましたがムリで本当に人は一人では生きていないし支えあって生きていくことで幸せになれるんだなと掴みました。━─━─━─━─━─お客さんの顔が希望でキラキラしてるの見るのが楽しいしその世界を提供できてることがうれしいと感じる時間です。━─━─━─━─━─「育菌美活」のまみです。酵素マイスターとしてミネラルたっぷりお水を使った手でかき混ぜないキレイな女性になれるミネラル生酵素教室を各地にて開催しています。静岡県内各地をはじめ東京・京都でも開催しております。━─━─━─━─━─素直に気持ちをぶつけるのって大切だなって思います。私、この41年間で記憶にある中で胸倉掴むくらいの感情爆発って小学校5年生以来ありませんでした。自分はここで我慢していれば相手が悪いと周りから見られるからここまでならいいけどここから先は出しちゃダメだからがまんがまんと計算して生きてきました。だから、仕事も普通にサラリーマンがいいんだと思っていました。小学五年生の時に文集に書いた「自分の会社を作る」ということは特別にできのいい人しかできない私になんてできっこないそんな気持ちでずっと諦めてきました。思い返せば、自分が傷つかないように傷つかないようにとして夢を見ないようにしてきた人生でした。「この一度きりの人生、生まれてきたからには、自分の味わいたい感情を生きた人生でありたい。」ずっとそこそこイイ子の人生を歩んできた私が引きこもりになって、何も失う物がなくなって夢も希望もなくなったと思った時に出てきた時に自分の内側から出てきた物は小学五年生の時に描いた「自分の会社を作る」という夢でした。40歳を過ぎて人生折り返し地点に来ましたが青春をもう一度味わうように自分の夢であった「起業」「自営業」をして行きます。この夢がその先の人々に夢と希望をお届けできる物にしていきます。まずは、できる・できないいい・悪いの解釈を横に置いて自分の素直な感情を表現するところからはじめます。まみ
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