ブログをブロックする
ブログを報告する
ニュージーランド在住。 *** 私の生い立ち ***幼少期時代通っていた幼稚園で走り回って遊んでいる時、思わずバケツをひっくり返してしまい、中に入っていたオタマジャクシを踏んずけてしまった。小さいながらも心に傷を負ってしまった記憶がいまだに鮮明に残っている。小学校時代1年生の時、鉄棒をするのが大好きで友達のお母さんの前で得意げにやっいたら、手が滑って顎を打ち舌の裏側を何針が縫う羽目に。ちょっと頭に乗ってしまったことに反省。4年生の時、母親の影響のせいか縫物に興味があり家庭科クラブに所属。初めて作った作品は、パンダの縫いぐるみ。5年生と6年生の時は、町内のフットボールクラブに所属。憧れのピッチャーに選ばれ活躍。中学校時代テレビでやっていた「エースをねらえ」に憧れてテニス部に入部。先輩達の厳しい特訓に耐えながらもなんとか休まず玉拾いを頑張っていたら、2年生になって試合に出るメンバーに選ばれるようになった!高校時代引き続きテニス部に入部。ここでも更に厳しい特訓が待ち構えていた・・・なかなか思うように技術的も精神的にも成長できず、今でも辛い思い出が残っている。当時クラブとは関係なくクラスでいっしょだったある友達と仲良くなり、彼女とはず~っと今でも心の友。当時から自分のいいところも悪いところも正直に言ってくれるのでとてもありがたい。1年生の時、母親に教わりながら制服を作った。我ながらなかなかいい出来栄えだったが、プリーツがよく薄くなるので毎晩布団の下に敷いて寝押ししていた。短大時代高校3年の時人と関わるのがかなり臆病になり、大体皆大阪や東京方面を目指して大学・短大を選んでいたが、私は皆と逆方面の短大を選んだ。始めはかなり不安だったが、中学校の修学旅行で行った楽しい思い出が自分を後押ししてくれていた。まず、同じフラット(一階に大家さん、2階に先輩を含み6人の学生が住んでいた)の人達と仲良くなりクラスでも友達ができ、自分をわかってくれる人がいるということに嬉しかった。今でも日本に里帰りした時には、たまにだけど短大の友達に会っている。**ニュージーランドに移住して早20年。二人の娘にも恵まれ、この国に住んでいる人の温かさに触れ合いながら現在に至っています。近くの高校で夜間いろんなことが安く習えるコミュニティがあり、そこで約3年ほどケーキデコレーティング(主に粉糖で作るお花)を習っていました。そろそろ子供達が自分で何でもできるようになってきたので、2009年に思い切って専門学校に通いベーカーの資格を習得しました。卒業後は、カップケーキのお店に就職しましたが、慣れた頃に大震災が(9月)・・・ お店自体は大丈夫だったのですが、真隣りの建物が危険だった為、オーナーは移転を余儀なくされました。約数週間後お店を移転してまた新たに頑張っていましたが、2度目の激震で今度は倒壊(2月)・・・ 途方に暮れていたころ、専門学校で同期だったロシア人の知り合いから声をかけてもらい、別のカップケーキのお店で働くようになりました。ここのオーナーは、歌が好きでよく歌っていたのが懐かしいです。そして旦那の仕事をきっかけに2年前この地に転居し、今はパン職人として働いています。 小さな街なのでNZ人でさえ就職するのが難しい中、この職が得られたことにとてもありがたいと思ってます。**もともと昔から人と話すことにかなり’勇気が必要で話していても自分の思ったことが上手く伝えられないことが多く自己嫌悪に陥ることも度々ありますが、親元から初めて離れて過ごした短大生活そして地元に帰ってからの会社勤め・カナダでのワーキングホリデー・結婚を機に神戸の東灘に転居しましたが3か月後にあの関西大震災に遭遇、その後大阪の親戚宅に居候させてもらいそのままその土地で2年間過ごし、クライストチャーチに移住(16年のうち2年間はダニーデン)。そしてここタウロンガでの今の生活を通していろんな人達と出会い勇気をもらい、あんなに臆病になっていた性格も少しずつですが年齢とともに解消されてきました。これらの経験から今思うと今まで出会った人達というのは自分を成長させてくれるのに必然的だったように思います。またお会いしていなくてもこうやってネットでチャットやメッセージを通していろんな方とおしゃべりできるようになったことに大変嬉しく思い、また感謝しています。今後もどんな方達とご縁ができるのかとても楽しみです。長いプロフィールを最後まで読んで頂きどうもありがとうございました。そしてこれからもどうぞよろしくお願い致します。
テーマ: その他
テーマ: 生活
ヨーロッパからお届け
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります