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それこそが神様が、父が、母が僕に与えてくれた真の才能だったのか。しかし神様はいたずらに分かりづらいことをしてくれたものだ。本当の才能に気づくまで、覚醒するまでギミックがたくさんあったのだから。初めまして。中学時代総理の名前すらよく分からなかった世間知らずの大天才こと、YUと申します。平成2年5月4日、東京都内のとある病院で生を受けます。優しくて無口な父とピリピリしやすいけれどよく話してくれる母のところにやってきました。3人兄弟の真ん中。幼い頃は兄がやっているTVゲームを見るのが最高の楽しみでした。なぜなら自分では下手すぎてゲームが進まないからです。兄の影響でTVゲームっ子だったわけですね。ちなみに妹は大のテレビっ子。アニメなら何でも見ていました。そういう影響もあってか、小学校ではあまり友達のいない、おとなしい子でした。人との接し方もよくわからず、今思えば空気を読まず変なこと言ってしまうKYな部分もあったんだと思います。普通、そういう子はいじめの標的になる場合が多いのですが、なぜかいじめられることはありませんでした。なんだか不思議と周りから特別扱いされている感じでした。この「なぜか特別扱いされる」という不思議な能力が、今後の人生に大きな影響を及ぼすことになるのです。そんな小学生の僕の大好きなものは二つありました。一つはもちろんTVゲーム。もう一つはまさかの計算ドリル。みんなが外で遊ぶ昼休みには、よく計算ドリルを相手に遊んでいました(注:単純に問題を解いていたという意味)。そんな計算ドリルばかりやっていたおかげもあって、中学高校時代、数学と理科は大の得意科目。才能はあったんだと思います。中学時代のこと、転機は訪れ友達の少ない僕がいきなりモテるようになります。男の子なのに容姿が可愛いと女の子からちやほやされていました。こうして、さらに「特別扱いされる」という自分が形成されていくのでした。一方、僕が中学時代嫌いだったのは習い事のピアノと部活でやっていた剣道。楽しくない上にTVゲームをやる時間を奪っていたからです。ピアノはろくに練習していかないから進みは遅い・・・と思いきや毎日しっかり練習している子と同じくらい進んでいたのです。ですが当時はそのことに全く気付かず、TVゲームやりたいの一心でした。今思うと習い事をさせてくれた両親には申し訳なかったですが、当時の僕は両親に感謝という言葉はなかったのです。両親もそんな僕のことを「特別扱い」し、甘やかしました。そんな「特別扱いされる」ということによって、興味ないことはほとんど勉強しませんでしたし、ニュースもろくに見ず。食器洗や学校のお知らせの手紙を親に見せるなど、自分でやるべきことも自分でやろうとしませんでした。さらに母親の作るご飯にもボリュームが少ないなどと文句を言う始末です。そういうことが原因でこんな人間になりました。・興味あるのは数学とゲームのみ・特別扱いされ、甘えのスペシャリスト・政治家もろくに分からない世間知らず・ボキャブラリーも乏しい・友達もそんなに多くないさて、このことが高校時代以降どう影響したか。もちろん大変な方向に影響します。高校は数学の才能があってか、東京の私立の準トップ校に入学しました。成績は上の中。結構良いほうでした。部活は中学時代やっていたゲームの中でも特にハマっていた音楽ゲームの影響で、「音楽って楽しい!」と吹奏楽部に入部しました。っておい、ピアノは嫌いだったんじゃないのか?→ピアノは楽器の中でもかなり難しいんです。そして好きでなかった。勢いで吹奏楽部に入部!担当パートは幸か不幸かパーカッション(打楽器)。実はこれが地獄の始まりでした。勉強はわりと得意で苦手なことはあまりなかった僕ですが、ここで初めて「自分ができない」という問題に直面します。打楽器って、合奏で目立つわけですよ。音を出すタイミングをミスるとすぐばれます。僕はどうしても音楽に乗れず、タイミングを外して先生に怒られます。それも何度も。ここで、人生で初めて大きな挫折を味わいました。自分が上手く演奏できなかったというのもありますが、「特別扱いされない」のです。毎回の合奏で何度も怒られているうちに、やがて自信をなくします。一日5回は怒られていたんじゃないかと。ここまで常習犯になると、もはや公開処刑でしたね。おまけにここまでの人生で友達を作るのが苦手だった僕は、相談できる友達もいませんでした。母に困っていることを打ち明けるも、母もどうしたらいいか分からず。さらにこの頃、周りの学生を見ていて、いろんな人がいることが分かります。・友達が多い人少ない人・明るい人暗い人・堂々とした人してない人など友達が多いことの良さが分かってきたことが災いし、友達があまりいないことも嘆くようになります。自信をなくしただけではありません。自分はいないほうがいいのではないかという気持ちにまで至り、何かの精神病も患いましたし、自殺も考えました。今思うとそのとき自殺まで至らなくてよかった。冷静に考えると今の僕は存在しなかった可能性もあります。そんな中でも、学校は頑張って行っていました。逃げるのが嫌だというプライドがあったからだと思います。しかし学年が上がるにつれ合奏のプレッシャーも強くなります。その上一向に上達しません。「おいどうすんだよ、3年の大舞台の定期演奏会まであと3か月しかないぞ」そんな雰囲気が流れていたとき。ここで転機が!高校3年の定期演奏会の2か月前のこと、なんとこのタイミングで救世主が手を上げます。外部の打楽器の講師でした。その講師の熱心な指導のおかげで、なんといきなり打楽器パートのエースに近いレベルになりました。今までの2年間は何だったんだ。まぁ結果良ければ全てよし!そして演奏会は無事終了。このとき、自分の中にあった「音楽」の才能が覚醒し、音楽が大好きになりました。それにしてもコーチってなんて力を持っているんだ。ははあっ!そんな一歩成長した高校生活を過ごし、大学へと入学します。入った大学は私立の有名大学。私立では結構偏差値高めです。選んだ専攻は理工学部の応用化学。高校までこんなに成績優秀だったんだ、しかも大学では得意な理系科目ばかりなんだから、きっと成績はAばっかだよ。そう確信していました。ですがこの確信が二回目の挫折に変わるのです。実際に授業に出ると・・・意味がわからないの一言でした。ほとんどどの授業でもいきなりわけのわからない単語が並び、ついていくことはできませんでした。おまけに勉強量は高校の時とあまり変わらず。そんな状況でテストを受けた結果!一年次に5科目も不合格になってしまいました。おまけに取れた科目もギリギリのものがほとんど。早くも留年候補になってしまいました。そんなこんなでこの理系の分野の勉強も興味がなくなっていきました。それでも、理系の学部に入ったからにはここで頑張るしかない。そう言い聞かせ、なんとか卒業はできました。そんな大学生活ではむしろサークル活動のほうが濃い内容でした。サークルは高校時代吹奏楽で結果的に成功したのをきっかけに、軽音サークルへ。しかし途中でものすごく嫌な先輩と組むことになりました。僕はその人のことをジャイアンと呼ぶことにします。体型がそうだったのと、とてつもなく上から目線で物事を言い、おまけに自分は何もしなかったからです。ジャイアン問題があり、僕は大学2年次にサークルを辞めることを決意します。ジャイアンとバンドをやるくらいなら辞めたほうがいいと思ったのです。そんなジャイアン問題。一見不幸に見舞われたように思えましたが、実は自分が成長するきっかけになったのです。その後、どうしてもバンドサークルをやりたいと思った僕は、バンドサークルを立ち上げたのです。高校時代も友達が少なかったですし、何かと消極的だった僕がサークルを立ち上げるだなんて考えられなかったのですが、ただやりたい、という気持ちが面倒くささを上回りました。もちろん、立ち上げた瞬間から困難は様々降りかかってきました。せっかく集めたメンバーと連絡が取れなくなったり、ライブをドタキャンする人がいたり、あのジャイアンのように何もしないくせに文句を言う人がいたり。くっ、「ジャイアンの分身」がここにもいたか。と思ったり。それでも、サークル活動やライブは成功させていきました。一人の力ではおそらく投げ出したことでしょう。そうやって成功できたのは、大変なときに助けてくれる仲間がいたからです。このときでしたね。本当に仲間という存在が素晴らしいと思ったのは。それからというもの、「人」を大切にするようになり、人間関係を重視するようになりました。知らない人が参加する飲み会なんかも積極的に参加してみるようになりました。新しいことをやって自分が成長していることを実感する楽しさも知りました。こうして、僕の中に眠っていた、「積極性」と「向上心」が覚醒したのです。ちなみに兄と妹はこれらが覚醒していません。そんな音楽サークル漬けで過ごした大学生活の次に待っていたのは、大学院生活です。大学院に行ったのは就職に強いという理由でした。しかも理工系で最高峰の国立大学に入ったのです。しかしここで三回目の挫折。人生最大の絶望を経験することになります。大学院ってもともと、研究や勉強が大好きな人が行くところなんです。本当に「その道の人」って言ってもいいかもしれません。僕は「その道の人」なのか?答えはもちろんノーです。大学時代さんざん興味がなかった分野なもんですから、大学院にきていきなりここで変わるはずもありません。一方で周りの学生たちは大学院の勉強に対して超熱心です。目が光っていましたし、まさに「その道の人」でした。そんな雰囲気に圧迫され、研究にどうしても興味が持てない自分が嫌になります。周りの学生との研究の成果の差はどんどん開くばかりです。「自分は実は研究が好きなんだ」と暗示をかけようとしましたし、「楽しいなー♪」と無理やり心の中でつぶやきながら研究に取り組みました。ですが何をやってもうまくいきません。やがて高校時代と同じように心が不安定になります。また悪夢が始まってしまったのです。残念ながらこの時には救世主は現れませんでした。高校時代の一回限りのチャンスだったわけです。そんな状況が続き、最後まで粘るも結局は退学してしまいました。悔しかったの一言につきます。そんな身にならず悲惨な大学院生活でしたが、一つ有り難かったことがあります。在学中、公務員試験に合格していたことでした。この後は大学院を卒業していないにも関わらず、公務員になります。公務員といっても役所で住民票などを扱っているあんな感じの部署ではありません。インフラ関係の現の部署もあるんです。理系の公務員です。理系とはいえ研究じゃない分野の仕事だから今度こそ大丈夫、きっと仕事が好きになれるよ。という期待を抱いて入社します。しかしそんな希望も打ち砕かれ、単調であまり面白味のない仕事ばかり降りかかってきます。研究じゃなくても結局駄目だったんです。ここまで理系の分野を極めようとして、苦しい中取り組み続けてようやく自分は理系に向いていないんだと気づきました。そのことに気づくまで7年間の年月が流れていました。仕事がつまらない、やる気もなかなかでないしどうしよう。そう途方に暮れていたとき、インターネットの動画サイトでとある起業家の動画を見つけます。動画のタイトルもなんだか変わっていました。が、興味をひきつけられるタイトルでした。見るだけなら無料だし再生してやるか、とクリックします。そしたらその内容は・・・衝撃的という一言でした。主に自己啓発とインターネット起業の内容の動画だったのですが、その企業家の説明の分かりやすいこと。さらに、聞いているだけでわくわくする内容ばかりでした。何十本何百本と動画は上がっていましたが、次々に見て釘付けになっていました。こんなに興味をひきつけられたのはこれまでの人生でゲームと音楽だけだったのですが、ここでインターネット起業と自己啓発のことも興味の対象に入りました。そしてこの時。自分の本当にやりたいことはまさにこれだ、と思ったわけです。神様が、両親がくれた才能は数学など理系の学問のことではなく、・ビジネス関係のこと・音楽この二つだったんです。それ以外にも、積極性や向上心などの才能も覚醒させました。それから僕はさらに勉強を重ねます。もうこのことを勉強するのが本当に楽しくてしょうがないんです。そしてついに、世間一般的に安定で人気のある公務員を退職。思い切った決断です。それと同時に偶然出会ったとある成功者に指導料50万円以上支払い弟子入り。そして2016年、独立を決意するのでした。このブログでは、50万円以上かけて学んだビジネスのことや過去の成功体験をもとに自己啓発のことを記事にしていきます。インターネットだけでなくどんな種類のビジネスに応用できますので、今後独立して本当にやりたいことを仕事にしていきたい人や、今の自分を成長させてもっと豊かな人生を送りたい方には、ぜひ読んでいただければと思います。このブログで話している内容が多くの方の独立を助けたり生活を豊かにすることを確信しています。そしてそうやって人の役に立つのが何より楽しいのです。だからこのブログを始めました。将来的にもっと多くの人の人生を豊かにしたいですし、みんなで豊かになって笑いあっていけるような関係を目指したいです。長々と失礼いたしました。最後までお読みいただきありがとうございました。世間知らずの大天才 YU
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