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はじめまして、ヒーリングアートで自分大好きになるお手伝い 東島玉美です。私は福岡県の田舎町に4人姉弟の3女として生まれました。 両親は祖父の代からの久留米絣を織りながら生計を立て、父は誠実で真面目、母は朗らかで動物好き、そんな両親に育てられました。私は3女ということもあり余り手のかからない子でした。小さい頃から本当は叔母のところに養女に出すところだったんだと言われ続け、その頃から親に迷惑をかけてはいけないと思いながら生きてきました。その為か余り親からの愛情を感じず、親に甘える事が出来ない、少々いじけた幼少期を過ごしてきました。それはその後の人生にも影響し、人に甘える事が出来ずどこか強がって堅いじ張って生きていました。いつしか私の人生の目標は人に迷惑をかけないで生きる。とまでになっていました。そんな私ですが人の役に立ちたいと看護職につきました、しかし看護職を通し色々な方の人生や人間関係を知る事になり相変わらず悶々とする日々は続いていました。 こんな私に転機が訪れたのは23歳の時です。大阪で看護の勉強をしている時に知り合った男性との結婚、こんな私にも心許せる人が出来2人の子供を授かりました。しかしその幸せも長くは続きませんでした。私が32歳の時、仕事から帰った主人が「歯茎から血が出るんだど。。。」と、言ったのが始まりです。当時は何とも思わなかったのですが、その半年後40度の発熱と風邪症状で病院受診、血液検査の結果急性骨髄性白血病の診断で即入院です。酸素テントでの隔離抗癌剤点滴幹細胞移植など当時のありとあらゆる治療をほどこしましたが、発症から3年後彼は他界しました。当時2人の子供は小学 3年と1年の時でした。不思議と涙は出ませんでした、葬儀の時も挨拶の時も何処か他人事で悲しくもありませんでした。体重も1週間で10キロも減り人間ってこうなるんだなぁって自分観察をしている自分がいました。きっとこの時心を無くしてしまたんだと思いました。それからの私は子供の前では泣けないと必死で2人の子供達を育てあげました。もちろん人に頼る事なく!! きっと人から見たら鬼の様な形相をしていたんではないかと思います。 いつも子供達が成人するまでは。。と思いながら生きてきました。それぞれが巣立つころ、60歳まで生きたらいいんだとずっと思ってきました。 いざ命を注ぎこんだ子供達が成人すると、私は自分の事が全く分からなくなっていました。一体私は何がしたいのか、何をするために生きているのか、何が好きで何が嫌いなのか、どんな色が好きでどんな景色が見たいのか、何をしている時が楽しいのか。。。。全く自分の事なのに分からなくなっていました。生きているのに心は無くしてしまっていたんです。 そんな時にFBでヒーリングアートの作品を目にしました。その時の衝撃は今でも忘れられません。一瞬にして心が癒されました。まさに人目惚れです。パステルの優しい色合い、ピンクや水色のグラデーションに優しく包み込まれる私の心、私の心は反応しこんなものがあるんだと心が震えました。それから直ぐにヒーリングアートを自分の中に取り入れました。その中で起きている自分の変化を日々感じています。自分が何が好きで、何が嫌いで、何をしている時が楽しくて、何をしていきたいのか。。以前はただ生きているだけで何も感じなかったのに、今は自分の事を知り自分の事が大好きで頑張ってるねと抱きしめたくなります。これもヒーリングアートとの出会いがあったからです。ヒーリングアートは知れば知るほど奥が深くこの癒しを自分だけのものにしているのは勿体無いなと思いました。私と同じ様に自分を見失いかけている方、自分が何がしたいのか、何に喜びを感じているのかさえも分からなくってしまっている方など、ご縁のある方と共にヒーリングアートで自分らしく生きる事が出来ると最高に幸せです!!
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