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静岡市、葵区 呉服町 魚の美味しい居酒屋《魚魚や一八》☆平尾
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静岡市、葵区 呉服町 魚の美味しい居酒屋《魚魚や一八》☆平尾
生年月日
1965年02月25日
性別
男性
ステータス
既婚
最新の記事
静岡駅前の魚が美味い居酒屋・葵区 呉服町「魚魚や 一八」☆平尾朗人の仕事ブログ
静岡市葵区、呉服町、魚の美味しい居酒屋 魚魚や 一八
テーマ: お店のご案内
2014年02月11日 17時22分
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静岡市葵区、呉服町 魚の美味しい居酒屋 魚魚や 一八
テーマ: お店のご案内
2014年02月11日 17時18分
2014年 本年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
テーマ: お店のご案内
2014年01月02日 11時50分
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お知らせ
テーマ: お店のご案内
2013年09月20日 01時53分
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卒業式 静岡市葵区呉服町 魚の美味しい居酒屋〈魚魚や 一八〉
テーマ: 元気チャージ
2013年04月01日 18時19分
数学0点 笑顔満点の私から元気と勇気と笑いをお届けしたくて
数学0点 笑顔満点の私から元気と勇気と笑いをお届けしたくて、このブログをはじめました。もしお暇がございましたら、しばし、お付き合いくださいませ。
私のプロフィールです。
<数学0点>
高校受験に失敗。中でも数学は0点。これが、私が社会に出たきっかけです。どこにも
私が入れる学校が無かったのは、正直、ショックでした。実は、30年間秘密にしていましたが、裏口入学まで断られていました。それくらい勉強が駄目なのです。
けれども、母や兄などの家族は私以上にショックを受けていました。特に苦労をかけた母には申し訳なかったです。これは、一生懸命働くしかないと思いました。高卒の人間には絶対に負けたくないという気持ちもありました。それが、私の原点です。
<魚屋で丁稚>
15歳で魚屋の丁稚に入った私は、毎朝6時から市場に行って、魚を仕入れるお手伝いをしたり、その後、店で魚を並べる下ごしらえなどの仕事を始めました。初めて市場に行った時には、マグロのでかさにびっくりです。
それまでは、切り身しか見たことなかった私にとって、300キロのマグロが大きなものから3・4列に、所狭しと並べられている風景は圧倒的でした。もちろん、中学を卒業したばかりの私が両手を回しても全然足りません。
そして、大きいのから順番にせりが始まるのですが、威勢のいい掛け声が飛び交って、横にいるだけでも興奮しました。時には、誰にかに頼まれて、どうしてもせり落とさないと行けないという事情のある人が、2人、3人かち合わせになるのですが、値がどんどんつりあがります。そんな時には、どこまで行くんだろうと思いました。
<夏といえば中落ち>
生のマグロは夏に静岡にやって来ます。夏の何よりの楽しみといえば、マグロの中落ちでした。市場で仕入れたマグロを解体して商品として店に並べるのですが、その時に、残った骨についている肉を指で直接こそぎとって食べました。わさび醤油で頂くのですが、ことばにならないくらいです。「美味いなあ!」。あれを一度食べると飲食店行くのが馬鹿らしくなります。丁稚時代には、親方に可愛がってもらって、お店にマグロを並べる時にそんなことが出来ました。一八のお客さまには、こんな味をお届けしたいと思っています。
<マグロ船の乗組み員>
市場に出入りしていると、マグロ船に乗っている人とも知り合いになります。彼らは気が荒くて、怒らせると手が付けられません。みんな、朝は、市場に向かって車を飛ばしているのですが、ある時、マグロ船の乗組員のトラックに横入りした車がありました。
乗組員達は、頭にきて、横入りした車を市場まで追っかけていきました。そして、車が止まったところに、マグロ用の手カギといって、3メートルほどの柄に、30センチくらいのカマのような矢尻がついているのを持って走っていったのです。次の瞬間、ドスンと、その手カギをボンネットに突き立ててしまいました。横で見ていて、私は目を白黒させるだけで声も出てきませんでした。
<母の素朴なハンバーグ>
私が育った家庭は、父親が小さな事業をしていて、母は家政婦の仕事をしていました。小さな頃の思い出といえば、母の素朴なハンバーグが大好きでした。塩コショウだけで、レストランのように香辛料は使っていなかったのですが、それが本当に美味しかったです。料理上手な母は、お節(せち)でも、何でも手づくりをしてくれました。母が台所に立つだけで「次は何をつくってくれるだろう」ワクワクしたのを覚えています。
<もしかしたら、才能があるかも>
小学生になった私は、両親が共稼ぎでお昼はいなかったので、中学校を卒業するまで、自分でごはんをつくるようになりました。じゃがいもをむいて、短冊に切り、コンビーフを混ぜて炒めたりしたのですが、美味しかったです。もしかしたら、才能があるかもと思ったりもしました。
<知らないおじさんが>
中学3年になった頃、知らないおじさんが、家に寝泊りするようになりました。当時は、父の友達だと思っていましたが、後で、父が借金から逃げるのを防ぐために来たやくざだと気づきました。見ず知らずの人だったので、何か変だなと思いました。
それから間もなく、父親が事業で失敗し、ニッチもサッチもいかずに、両親は離婚しました。そして、東京から、母と兄と3人で、母の実家がある静岡に舞い戻ったのです。バタバタと色んなことが目まぐるしく過ぎていく中、私は、高校受験に失敗しました。学校は大好きで、バスケットをずっとやっていましたが、勉強は苦手でした。
<生物をずっと扱っているうちに>
静岡はマグロ意外にも、深海魚も美味しいです。沼津では冬場に底引き網をやっていて、色んなものがあがってきます。例えば、太刀魚の顔をした、タビ太刀。すっごく脂がのっていて美味しいです。網にかかったのしか食べられません。
あと、バラムツという魚は、マグロのトロより脂があり、一口、二口、三口と美味しいので止まりません。残念ながら、現在は、販売が禁止されています。
そして、メヒカリは、エメラルド色の瞳をしていて、漁獲量が少なく、それも冬場だけ食べられる小魚です。てんぷら、フライが美味しいです。脂がのっていてほっこり食感があり、旨みが強いです。
魚屋で働きながら、生物(なまもの)をずっと扱っているうちに、私は料理をしたい、そして、自分でお店をやりたいと思うようになっていきました。振り返ってみると、私は、調理が好きだったんだと思います。
<お袋の方が美味い>
18歳で飲食業界に飛び込んだ私でしたが、修行を重ね、初めて母にハンバーグを食べてもらったのは20歳の時でした。おばの家でつくって、集まった親戚みんなに振舞ったのです。お袋のハンバーグも美味しかったので、気恥ずかしかったのですが、精一杯、美味しく食べさせてあげようと思いました。母も、とても嬉しがってくれました。感想は、全員一致で「お袋の方が美味い」「もっと頑張りなさい」。自信有りだったのでショックでした。けれども、修行が足りないと思い、また、頑張りました。
<サラリーマンの方々に、静岡の美味しい魚を食べて元気になって欲しい>
「一八」が生まれたのは、私が29歳、今から17年前のことでした。当時、勤めていた飲食店の社長に、サラリーマンの方々に、静岡の美味しい魚を食べて元気になって欲しいんですと、提案したところ、ゴーサインが出たのです。その頃には、お寿司屋さんはあったのですが、お魚専門の居酒屋は、まだ、ありませんでした。
私は、何としても魚だけで食い込んで行きたい、静岡の美味しいお魚を食べてもらいたいと思っていました。絶対に流行らせようと心に誓っていました。本気でやる時には、寝ないで仕事やるもんだと自分に言い聞かせて働きました。お客さまを全て入れさせていただく、そして、専心誠意を込めてご対応させていただくしかないというのが信条でした。自分のアイデアを採用してくれて応援してくれた社長を絶対に喜ばせようと思いました。
<ミルクガニ>
メインの売物が欲しかった私は、静岡の各漁港をつぶさに回りました。そんなある時、焼津港で、エゾイバラガニ(別名:ミルクガニ)と出逢ったのです。花咲ガニみたいな姿をしていて、ボリュームもあるのですが、珍しくて、市場に出ないのです。
私は、船が港に接岸したその場まで買い付けにいったのですが「絶対に売れる」と思いました。お客さんは喜んでくれて、お出しすると売れるので、それからは冬の定番になりました。「ミルクガニ、ミルクガニ」と口込んでくれて、テレビでも取り上げられ、「一八」は連日大盛況になりました。
<決断したこと>
「一八」オープンから約10年後の、38歳の時、独立への転機がやってきました。会社には、若いスタッフも育ち、将来を考えて新しい業態に変化する時期が来ていました。歓楽街には、キャッチのお兄さんや、中国人マッサージがすごく多くなり、雰囲気も変わっていました。一方で、私は、40歳目前でしたが、美味しいお魚で喜んでもらいたいという気持ちは変わりませんでした。そして、子供たちもまだ小さく、もっと、もっと頑張らないといけないと思っていました。あと、いつかは自分でという気持ちもありました。
そこで、上手く行くかどうかは、まったく分かりませんでしたが、妻も応援してくれるというので、思い切って社長に独立の気持ちを伝えたのです。どういう風に受け止められるかは、まったく分かりませんでしたが、社長は、とても喜んでくれました。私が自分でやりたいという気持ちを知っていたので、決断したことを嬉しがってくれたのです。その時には、今までの感謝が込み上げて、言葉が声になりませんでした。
<美味しいお魚を食べたい方のために>
現在の場所に「一八」をオープンしたのは39歳の時でした。独立したのはいいものの、貯金も無かったので、果たしてお金が借りられるのかは心配でした。初めて事業計画書を書いたのですが、ちゃんと出来ているのか、まったく分かりませんでした。
国金からOKの返事が来てお金が借りられることが決まった時には、お店が持てる嬉しさの反面、絶対に流行らそう、家族を困らせるわけにはいかない。必ず、喜ばせたいと思いました。
<夜逃げした社長さんありがとう>
あと、物件も見つからなかったので心配になりましたが、知り合いが教えてくれたところが、自分の希望の通り場所でした。以前は、夜の歓楽街のド真ん中でしたが、私は、オフィス街の裏通りを探していました。「一八」で美味しいお魚を食べたい、駅に近いという目的を持ったお客さまに来て欲しいと思っていたのです。
そのお店は、前の店主が夜逃げした場所でした。何もかもが全て置きっぱなしで、最初は、縁起悪いと思ったのですが、妻の「ここにしな」の一言が決め手で決定。無いのはカウンターだけだったので、カウンターだけつくればいいという状態でした。
あと、「お座敷でなく、テーブルにしたい」というのも希望通りでしたし、冷蔵庫もありました。全てが、比較的新しくて、願っても無い物件で、「夜逃げした社長さんありがとう」という感じでした。
<お花やさんがビックリ>
オープンまでの数日は、果たして、お客さまが来て下さるのか、すごく不安がありました。本当に、お客さまが来てくださるだろうか。その不安は、ご案内状を書いたり、ご挨拶に回りながら、ひたすら行動するうちに忘れてしまいました。
そして、オープンの日。お花やさんが「こんなに来るお店ないよね」といって、ビックリするくらいの量のお花が来ました。小さなお店がお花で埋まりました。お客さまや、友人、知人、予想もしていなかったですし、言葉にならないくらいに嬉しかったです。
お客さまも沢山来てくださり、ただただ無我夢中でした。「一八」でしか食べられないような、新鮮で、美味しいお魚をおだししようと思いました。
<無限の可能性>
あれから、7年。私は現在45歳。最近では、元気をもらいに来られるお客さまも多くなってきました。「俺が今日、何で来たと思う?ストレス解消をしたいと思ったら、一八さんが頭に浮かんだ。やっぱり、来てよかった。楽になった」。そんな声をよくお聞きします。わざわざ思い出して、来てくださって、元気になって下さる。少しは、世の中のお役に立っているのかなと思います。
お客さまに美味しいお料理とお酒をご提供するのは当たり前です。それにプラスして、自分達の姿勢を見ていただくことも大切なんだと思うようになりました。元気で笑顔でいること、喜んでもらうことに真剣でいること。美味しい魚と同時に、それも、お客さまの笑顔になり、元気に帰って頂けることにつながっています。私たちにも、こういうことが出来るんだ、居酒屋にも無限の可能性があるんだと思うとワクワクしてきます。
<ただ、ただ感謝>
お客さまをお迎えする気持ちは、17年前に初代「一八」をオープンした時から変わりません。初めて来られたお客さまには、ありがたいという気持ちでお迎えしています。美味しいお魚と、お店の雰囲気で楽しんでもらいたいです。お帰りなられる時には、また来たいといわれるようにと思っています。
常連さんの中には18歳で、この世界に入ってからずっと、来てくださっている方もいます。ありがたくて、感謝しても、しきれません。ご来店のたびに、いつもと変わらずの笑顔と元気をお届けしたいです。ご紹介で来られる方には、ただ、ただ感謝です。感動をお届けしたいと思います。
一番励みになることといえば、お客さまは、いつも1階までお見送りに行くのですが、その時に、角を曲がる時に気がついて振り返って下さる。その時の「また来るね」「美味しかったよ」が何よりの励みです。来ていただいたお客さまには、お客さまのおかげで今日あることをかみ締めています。本当に、感謝です。美味しさへの感動と、この仕事に感謝して働くことでお返しさせていただきます。
<母の背中>
実は、母は、結婚後1年で亡くなってしまったのですが、いつも欠かさずお墓に色々と報告に行っています。そして、今でも、母の味には敵いませんが、これからも頑張ろうと思います。子供の頃、「次は何が出て来るんだろう」とワクワクさせてくれた背中が、私がこの仕事が大好きな理由だと思います。
そして、高校に行けなかったからこそ、色々なことがあっても、負けないぞという気持ちになることが出来ました。妻は、自分の駄目なことも知ってくれた上で、ついてきてくれているのですごく感謝しています。アルバイトの子たちも本当に素晴らしくて、家族だと思っています。そういったことも含めて、人生で起きたことには、すべてありがたいという気持ちになりました。
<黒潮と駿河湾>
「一八」がご提供するのは、目の前を通る黒潮の魚と、底が深い駿河湾の種類豊富な寝魚です。毎朝、朝漁りのとれたての中でも、新鮮で、選りすぐりのものを仕入れてお出ししています。「お客さまに、目の前であがる美味しいお魚を食べさせてあげたい」。美味しさで、お客さまが笑顔になるのを想像しながら仕事をしています。
他では食べられないものといえば、例えばハタ。普通の居酒屋よりも新鮮だったり、美味しいものをご提供させていただいています。さくらえびは春と秋の2回漁が出来ますが、地元で食べると美味しいというので、リピーターが沢山おられます。
当店名物といえば、いかの肝焼き。初めての方には「美味しいね」と、驚いてもらえますし、来れば必ず召し上がられるファンも大勢います。美味しいものには、人を仲良くさせたり、また、頑張ろうという気持ちにさせるすごい力があると思います。
私たちは、お腹が一杯になるだけじゃなく、居酒屋にも出来ることの限界を破ろうと、毎日、心を込めてお届けしています。
静岡に起しの際には、是非、一度、「一八」をご利用くださいませ。
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