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忍田孝二のプロフィールボブ・サップと同じ1974年生まれ。出身地は、芋で有名な川越。高校までは、美術部、登山部、空手、ウェイトトレーニングをやっていました。頑張りすぎたのか、17歳で腰椎を疲労骨折。分離症になりました。あまりのショックで高校生後半の記憶があまりありません。18歳から21歳小学1年生の「夢」は、「大工さんになりたい」でした。そして、高校を卒業してすぐに、親が工務店を経営していたので弟子入りして、大工見習いで修行の毎日。ところが、親との考え方があわず、3年で大工を辞めました。親は、反面教師です。見習うところがない。基本的な「挨拶」「礼儀」「言葉使い」がなってないから。親がどうのとかではなく、世間で言われる「大人」に疑問だらけでした。元々、小学4年生で「何で自分は生きているんだろう?」とハッと気づいた時期がありました。それから、「他人は何を考えているんだろう?」「どうしてこんなことをしなければならないんだろう?」とアウトサイダー的な考えが芽生えました。周りには、話せる人がいないので仲間がいてもどこか物足りない「何かが違う」といつもすれ違っていました。そして、世界教師と言われた偉人、ジッドゥ・クリシュナムルティーの「英知の教育」に出会いました。その後、心理学や哲学の本ばかり読んでいました。それから、しばらく一人旅にでて「自分探し」をしていました。そして、答えは「これからは、福祉の時代だ」と思ったのです。21歳から24歳 友人の母親の勧めで、川越市社会福祉協議会へ非常勤として勤務。日本で最初の総合福祉施設だった為、当時、村山首相が視察に来たのを覚えている。そして、配属は障がい者デイサービス。 障がい者デイサービスでは、送迎・レクリエーション・創作活動・食事介助・入浴介助・機能回復訓練補助等のサービスを提供する場で、企画立案・実施もやりました。「寮父」として活躍。ここでは、命の儚さや大切さを学ばせて頂きました。 しかし、人間関係や福祉に対する考え方が少しづつ、ずれていくのです。すごく悩んだ末に2年9ヵ月で辞めてしまった。 このころ、アウトドアが大好きで、キャンプ、バーベキュー、ハイキング、サイクリングをやっていました。 仕事を1週間休んで、埼玉→群馬→栃木→茨木→千葉→東京→埼玉と自転車で一人旅をしました。あと、長野の友人宅へ自転車で行ったこともあります。 福祉の仕事を辞めてから、しばらく考えていたことがあります。それが、やりたかった「自転車で日本縦断」を決行。もちろん、北海道から九州最南端の佐多岬まで完走しました。 自分が生活する場所から離れることで、様々な経験、甘えを客観視することができました。一人での行動なので、自分との会話ばかりです。 走っていく中で、心の垢が少しづつ取れて、煮え切らなかった人生に対する考え方が変わったのです。地図に描いたゴールは、必ずたどり着けるものと。
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