Ameba新規登録(無料)
スタッズアートバッグ作家 西 佳宏
フォロー
ブログをブロックする
ブログを報告する
ブログをブロックしました
ブログのブロックを解除しました
エラーが発生しました
追加できるブログ数の上限に達しました。
設定
スタッズアートバッグ作家 西 佳宏
性別
男性
最新の記事
ラブリースカルのバッグ屋さん
ハートフルな新作完成〜!
テーマ: スカル
2014年01月08日 20時28分
562
30%迄進みました。
テーマ: スカル
2013年12月25日 16時42分
13
2
新年の挨拶動画を作ってもらった〜!
テーマ: フリーライティング
2013年12月22日 15時42分
8
1
やっと創作意欲が湧いて来た!
テーマ: スカル
2013年12月20日 15時24分
3
スタッズ1万個受け取りました
テーマ: スタッズ
2013年12月01日 20時26分
12
アートな人生の記録
こんにちわ!ご訪問ありがとうございます。(‐^▽^‐)
ここでは、何故アートな人生を送っているのかを綴りたいと思います。
まずアートとの本格的な出会いは中二の心臓病での入院時にさかのぼります。
盗まれた自転車が見つかったと警察から連絡があり、風邪を引いているにもかかわらず一人で3つ離れた駅の警察へ取りに行きました。
当然自転車に乗って帰って来なくてはならず、わが町へ向かうバスをひたすら追いかけて帰ってきました。
その夜から高熱を発し、病院に行くと即入院。
小児リュウマチで心臓肥大になり半年間の入院生活となります。
痛みの無い入院生活は暇で暇で、今まで読む事しかしなかったマンガを描くようになります。
それも週刊誌にマンガの似顔絵を送ると言うもの。
それがアートな生活の入り口になりました。
中二から中三にかけて半年も入院していると、勉強がまったく解らなくなります。
今でも微分積分やlogはチンプンカンプン。
英語も「ジス イズ ア ペン」から進化していません。
そんな状態で高校進学シーズンがやってきます。
幸いに中二と中三に掛けての休学だったので留年はしなかったですが、何の取り柄もなく行きて来たので、希望の普通科高校は全滅と言われショックを受けます。
そんな時、想いをよせていた女生徒から美術部に誘われ、入院前は剣道部だったのに美術部に入部。
そこでデッサンや色彩構成と出会い、絵の面白さを知ります。
そこから半年間デッサンに打ち込み、高校はデザイン科のあるところを目指しました。
しかし、付け焼き刃のデッサン力と、英数で点数がとれない状況で、都立など受かる訳もありません。
頼みの綱は私立本郷高校のデザイン科だけです。
試験はまぁまぁ出来たと思いましたが、発表を見に行くと補欠でした。
母と一緒に教務課へ行くと、校長室へ連れて行かれました。
「君はデッサンや平面構成は問題無いのですが、数学と英語に問題があるようです。ただ、デザイン科の先生達が才能があるから教えてみたいと進言されたので入学を許可します。普通科目の勉強も頑張ってみんなに追いついてくださいね。」
と言われました。(‐^▽^‐)
この時の校長の言葉は一字一句覚えています。
うれしくて感激してましたから。
高校3年間は男子校という事もあって、異性に狂う事もなく順調にデザインの勉強に励みました。
作品はいつも上位で先生達から褒められました。
また、マンガの方も続けていて、同じクラスに「◯◯公園前派出所」の◯本治がいた事もあり、数人で漫画劇画同好会を作って活動もしていました。
病後は二十歳まで運動を禁止された事もあり、デザインというアートな生活を3年間送ったのですが、卒業を前にイラストレーターへの夢がムクムクと育ちます。
母親も苦しい生活の中、まだ学生を続けても良いと言ってくれたので、高校を卒業してからイラストレーターの道を歩き始める予定でした。
ところが進学予定で願書を出し受理されていたイラストレーター養成校が、4月を前に倒産し廃校になってしまいます。
行く当てが無くなってしまい唖然としましたが、なんとか学校側と連絡がつき交渉の結果、入学金の返還と関連校への進学の道が確保出来ました。
阿佐ヶ谷美術学園という3年制デザインの専門学校でしたが、そこで3年間イラストの勉強をして過ごしました。
この阿佐ヶ谷美術学園が思いのほか良い学校で、ボクからの口コミで美術大学を目指して浪人していた高校時代の同級生達が1年遅れで入ってきて楽しく過ごしました。
卒業間際の頃には友人達と渋谷の西武デパートの階段スペースでグループ展をやらせてもらったりして、卒業後はイラストレーターで食べて行くぞ!と勇んでいました。
ボクが専門学校を卒業する時代は「銀座の歩行者天国で石を投げたらデザイナーに当たる」と言われたぐらい若いデザイナーが世に出た時代でした。
と言う事は、就職の競争率も高いという事です。
イラストで食べて行こうと思いながらデザインも出来るんだからと、銀座三愛の広報を狙いました。
1000人くらい受けていたでしょう。
3次の面接まで残り、5人中一人採用と言う条件の中、みごとに落ちました。
・°・(ノД`)・°・
その後、イラストを活かせる出版社の編集に潜り込みスキルを吸収。
印刷関係のノウハウも現場でヘルプに入り覚えました。
その後はヘッドハンティングされていくつかデザイン事務所や広告代理店を渡り歩きました。
何故ヘッドハンティングされたかと言うと、いくつか顧客を持っていたので最初から売り上げが見込めたからです。( ̄▽+ ̄*)
ちょっとティータイム。
ボクは今年で還暦を迎えました。(T▽T;)
プロフィール写真が若く見られますが今年撮ったものです。( ̄∀ ̄)
社会に出て仕事で揉まれて39年です。
大して気付きもないままのほほんと生きてきましたが、ひとつだけ学んだ事があります。
それは、「他人のために一生懸命になると喜ばれて自分に返って来る」という事です。
いくつか顧客を持っていたからヘッドハンティングされて優遇された職責で仕事ができたと書きましたが、普通は会社が変わっても着いて来てくれる顧客などほとんど稀です。
その稀な顧客をいつも3社以上持っていました。
売り上げベースでは年間1億近い金額の時もありました。
と言う事は、ボクを雇ってもボクの給料とプラスαが黙っていても入ってきます。
だから誘うんですよね。
そのお陰でいつフリーになっても食べて行けるので強気で仕事をしていましたし、会社側ともよく喧嘩もしました。
その顧客達はボクに何を求めていたのか?
それは、その会社の社員でもないのに製品に詳しいところなんです。
新製品のプロモーションをする時に、担当者からヒアリングするだけでなく、技術の人から資料と情報をもらい、現場の営業さんからも過去のデータを教えてもらい、その新製品の事を一番詳しい人間になって宣材制作の指揮をしたのです。
そうなると、カタログやポスターが営業さんの使い勝手がいいツールになるし、エンドユーザーの興味を引く切り口にもなっているので、売れ行きにも効果的に貢献しているのが見えるのです。
もうどこへも浮気は出来ません。(‐^▽^‐)
浮気したら売り上げが落ちちゃうんですから。
だから、会社が変わっても着いて来てくれるんですよね。
この「他人のために一生懸命になると喜ばれて自分に返って来る」を気付けた事でボクの人生は成功でしょう。
もういつあの世に行ってもいいです。
あなたもこれを読んじゃったんですから、ぜひ試して実感してください。
会社勤めのうちにぜひ気付いちゃってください。
後が楽ですからね。
さて、話しは戻って、勤め人を20数年やっていたのですが、その間はアートなものは趣味で描いていたイラストくらいです。
会社で企画やデザインをしていたので、創作意欲はある意味満たされていましたからね。
それでも料理を覚えて家族に振る舞って満足したり、テニスで汗を流してストレスを発散したり、アートな生活をしてはいました。
料理やテニスはアートと関係ないだろうと、今思ったでしょ? :*:・( ̄∀ ̄)・:*:
意外とアートなんですよ。
料理は味が大事ですが、それにプラスして彩りと盛りつけがモノを言います。
テニスも勝利に向かって打ち合う訳ですが、相手がミスるように組み立てて行く必要があるのです。
全ての情報を整理して、効果的に仕掛けて行く訳です。
デザインは情報の整理学ですから、落とす相手に向かってあらゆる方向から仕掛けて行くのです。
あなたがデザインでイメージするのは見た目の部分だと思いますが、それはデザインの一角に過ぎないのです。
デザインは計画そのものでもあるのです。
今はフリーとなり自分の持つ物を必要な方に手渡す生活をしています。
顧客のデザイン関係の仕事は段々減らしています。
だって、窓口担当者がボクの子供の歳なんですからね。
ボクは良くても相手が気まずいでしょ?( ̄▽+ ̄*)
同年輩や先輩達にインターネットの楽しみ方をお教えしたり、副業したい方にアフィリエイトのノウハウをお教えしてもいます。
ご自分のビジネスの知識をインターネットで活かしたい方の相談相手にもなっています。
そして、新たに始めたのが「スタッズアートのバッグ屋さん」。
こんなおっさんですがおつきあいをよろしくお願いします。
メッセージ
画像一覧
ピグ
アメンバー
アメンバーになると、
アメンバー記事が読めるようになります
アメンバー申請