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【プロフィール】私は、「看護師になる夢を叶える達人」として大学の看護学部合格を目標とする生徒達を専門とした予備校を東京都小平市で経営しています。家族や知り合いが病気になり、お見舞いに行った時に出会った看護師さんの姿に憧れた生徒さん。看護師のお母さんの姿を見て、看護師になりたいと思った生徒さん。そんな看護師になる夢を叶えたい生徒さんが、一生懸命学ぶ予備校を経営しています。看護師の経験があるわけでもない私が、なぜ今にたどり着いたのか?お付き合いいただければ幸いです。小学生時代の私は内気な性格でした。周りの友達に馴染めずに、不登校になった時期もありました。しかし、小学校五年生の時に予期せず学級委員長に選ばれ、学校に通いだすことになりました。人前で話すことが嫌で、嫌々続けている状態でした。中学生の時は、目標も特になく勉強が大嫌いでアイドルグループの追っかけに時間を費やしていました。同じようにアイドルグループの追っかけをしている仲間が沢山増えました。「共通点」を持っている仲間と過ごす楽しさをこのころ知りました。自分の性格が明るくなったのもこの時期でした。高校に行くと、名前順でまた学級委員長になりました。ただ、その頃には人前で話す事には慣れていました。さらに、「人を笑わせるのが面白い!」と感じるようにまでなっていました。このころの経験があったから、人前で話すことが好きになったのだと思います。通っていた高校は自分の学力で入学できる偏差値30台の高校でした。しかし、そこでの先生との出会いが人生を変えることになりました。高校一年の時の担任が好きになり、数学を担当していたその先生に喜んでもらいたいと思うようになりました。決して偉そうな態度を取ることはなく、生徒の事を真剣に考えてくれる先生でした。授業も、笑いながら自然と知識が身についていくような授業をしてくれました。そのおかげで、数学の問題が解けるようになっていき、数学が面白くなってきました。真面目に勉強に取り組み、中学生の時には成績が1や2だった数学がクラスでトップの成績になりました。トップになった事で自分に自信がつきました。「こんな自分でも努力すればできるようになるじゃん。」この経験が、どんな子でも成績を伸ばすことができると思える根拠となりました。しかし、担任が変わってからモチベーションが下がりはじめました。さらに、バンド活動を始めたことをきっかけに勉強をしなくなり、成績が急降下しました。大学進学は一切考えず、高校卒業後はミュージシャンを目指し音楽学校に通いました。それからしばらくして、一緒にバンドをやっていた友達がプロを目指して、上京していきました。自分も一緒にプロになる夢を叶えたいと思って、後を追って上京することを決めました。精神的に強くなりたいと思い、大阪から自転車で上京することにしました。最初は4日間で東京につく予定だったのが、3日目に台風が接近していることを知りました。仕方なく3日目に東京に行くことになってしまいました。必死で自転車をこぎ続け、東京に到着したのが午前3時。へとへとでしたが、自分の中ではやりきったという自信にあふれていました。その後、東京でバンド活動を始めました。しかし、友達とライブを見に行くと、自分よりも才能のある人達が沢山いました。また、曲を作ろうとしてもいいメロデーや歌詞が出てこない自分が嫌になってきました。そうして、自分の実力のなさを実感しバンドを脱退しました。それから、しばらくの間、何も無い自分に不安を感じる日々を過ごしました。しかし、「何も無いなら自分がやりたいことをやろう」と思いました。まず思いついたのが、「海外に行ったことがないから行ってみたい!」でした。でもただ行くだけでは面白くありません。アメリカ大陸を自転車で横断することを決意しました。それをやりきったら何かが変わるかも知れないと思っていました。アメリカ大陸横断に向け、体力づくり、英語力の強化、貯金を始めました。そうして、決意から一年半後にカナダのバンクーバーに降り立ち、自転車でニューヨークを目指しました。アメリカ大陸横断では、多くの試練がありました。体力の限界、悪天候の中での移動、パンクは8回経験しました。しかし、試練を乗り越えるごとに強くなっていく自分を感じることができました。一番怖かったのは人間でした。何度も車に轢かれそうになりました。ゴール地点のブロンクス(ニューヨーク)では危険な雰囲気を感じました。しかし、一方で一番感動したことも人間でした。応援のクラクションを鳴らしてくれる人、「家に泊まりに来いよ。」と言ってくれる人。また、様々な国籍の人と語り合いました。英語を学んでいたことで、本当に充実した旅になりました。そうして、77日後に自転車でニューヨークに到達しました。帰国後、「英語ができたらこんなに人生が楽しくなるんだ。」と気付いた私は英語を教える仕事をしたいと思っていました。しかし、大学に行っていなかった自分には無理だろうと思いながら、飲食店で働いていました。「何のために働いているんだろう…」ずっと、やりがいの感じられない気持ちで過ごしていました。そんな日々に耐え切れず、「自分の人生を生きよう!」と大学に入学することを決意し、通信制の大学(教育学部)で学び始めました。そして、今までの経験から自分の力でどんな困難でも乗り越えられると思い始めました。そうして、大学を卒業後に大学受験予備校創英学館を開校しました。塾は山口県の周南市で開校しました。塾を開校した時は、私には塾で働いた経験も生徒に教えた経験も、ありませんでした。あったのは「英語を教えたい。」という情熱だけでした。最初に入ってきた受験生は2名。二人とも浪人して大学を目指したいという事でした。「大学受験生は受け入れてもらえますか?」という質問に「はい。私に任せてもらえば大丈夫です。」と答えました。実は、私自身が受験を経験した事がなかったので、センター試験が何かも分かっていませんでした。しかし、これが幸いしました。合格するのがどれくらい大変か分かっていなかったからです。二人の志望校は私立で、3科目で8割が合格ラインでした。「センター試験は基礎的な問題が出るから8割ぐらい取れるよ。」と経験がないからこそ、堂々と言っていました。そして、試験の本番、二人とも本当に合格点に達しました。それが全てのスタートです。二人がいたから今の私がいます。二人には感謝の言葉しか出てきません。それからは塾の噂を聞いた人が入塾してくださるようになりました。塾を始めてから5年目に東京で塾を始める決意をしました。それは、自分の子どもたちを東京の私立に通わせたいと思ったからです。そして、それは妻の夢でもありました。鷹の台(小平市)に教室を開校すると決め、生徒募集を始めました。そして、ありがたい事に東京と山口で塾を出来るほどの人数が集まりました。東京進出一年目は毎週東京と山口を往復していました。でも、体力的にも経済的にも持たないと思い、上京2年目に山口の教室は閉校し、東京だけに専念することにしました。東京の塾では、中学受験対策、高校受験対策、大学受験対策を行なっていました。しかし、教える範囲が広範囲に及びすぎて、精神的にも体力的にも苦しくなっていきました。そうして、塾を続けるのが辛くなり、塾を辞めようかと思うほどになりました。そんな時、妻が大病を患いました。結果的に仕事の時間を減らさなければならなくなりました。そこで、中学受験と高校受験は辞めて、大学受験対策だけに絞って授業をする事になりました。ありがたくも、そうする事によって生徒さんがどんどん増えてきました。そして、14年間で300名を超える受験生を指導させていただきました。妻は三年半の入退院生活を送った末、他界しました。そして、その出来事が私の人生はもちろん、仕事も大きく変えることになりました。妻の入院中に担当の看護師によって、妻の病状が変わることを強く感じました。良い看護師が担当している時は、患者の家族である私たちもリラックスして病院にいられました。不安な気持ちで過ごす家族に声をかけてくれる看護師は、心に余裕があるように感じました。一方で、心に余裕がない看護師は笑顔がなく、家族に声をかけることもありません。検温や血圧を測る時もピリピリした雰囲気を醸し出していました。ただでさえ辛い闘病生活が、さらに辛いものになりました。しかし、この時の経験から、看護師を育成するサポートをしたいと思うようになりました。患者やその家族側に安心感を与えられる優秀な看護師を育成するサポートをしたいと思ったのです。受験のための勉強だけでなく、この先もずっと大切になる「心を強くする方法」を教えたいと思いました。そして、2018年に創英学館の隣に大学の看護学部合格を目標とする生徒達を専門とした予備校「白樺アカデミー」をはじめました。これは、亡き妻が最後に私に残してくれた仕事だと思っています。看護師は自主的に学ぶことが求められます。だから、白樺アカデミーでは授業時間を少なくして自主的に学ぶ時間を多くするようにしました。また、私はもともと英語を教えたいと思って塾を始めたので、英語の勉強を中心に行うようにしました。そして、それが幸いしました。実際に大学に合格するには、英語が一番大事になってくるからです。それが白樺アカデミーにとって強みとなりました。また、論理的思考力を高めるために白樺アカデミーでは東進ハイスクールや大学教授として活躍されているカリスマ講師の出口汪先生の論理エンジンを採用しています。患者さんにわかりやすく説明するには論理的に話すことが必要です。そのために受験生の間に論理力を身につけてもらっています。理科の授業は看護学部で学ばれている方に勉強のサポートをお願いしているので、看護学部に必要なポイントが分かりやすく学べます。また、白樺アカデミーでは、モチベーション維持と自己管理力を育むことを大事にしています。更に自ら計画し自ら学ぶ人材を育成するために、スコラ手帳という能率手帳を使うようにしています。モチベーションが上がる目標の立て方、行動の見える化を徹底することで、自分達が前進していることを実感しながら楽しく学ぶ環境を作っています。そして、何より生徒さんの力になるのが、環境です。白樺アカデミーは看護師を目指す生徒さんが集まってくるため、同じ目標に向かって学ぶもの同士の強い絆が生まれています。白樺アカデミーでは、生徒さん同士が分からないことを教えあう光景がよく見られます。勉強のモチベーションが下がっている時はお互いが励まし合っている姿があります。私は、自分の人生を通して私が出会う人の幸せに貢献したいと思っています。人が幸福を感じるのは自分が一緒にいたい人と繋がっている時だと思います。だから、私は一生涯生徒さんと繋がっていたいと思っています。生徒さんの夢は私の夢です。「ナース姿を、先生に見てほしかったから。」先日も、大学の看護学部に受かった3人の生徒が一緒に写っている写真を送ってくれました。そんな幸せを、これからも沢山味わっていくために、私は生徒さんの夢を叶え続けていきます。
テーマ: ■白樺アカデミー
教育
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