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物販(せどり)自動化システムエンジニア佐藤裕介 from 八ヶ岳山梨県は八ヶ岳、標高1,000メートルの高原地域で暮らしている。家族4人、愛犬のおくらと共に、高原の風を受けながら日常を満喫している。2015年の9末に24年間勤務をした株式会社大塚商会を退社。個人事業主として、マイペースでシステム開発を続けている。また、月に数回都内へ出張し、都会も満喫できるようなライフスタイルを実現した。1973年東京都江戸川区生まれ。父は運送会社に長年勤務をしながら、電動の三脚(今から30年以上も前の話)や、キャンピングカーなどを作っていた。多才な人だった。そのような父の背中をみてなのか、なんとなく技術に携わりたいと思い、幼いころから工作が大好き。ボール紙で工作をしていた。また、仕組みを知るのが大好きで、機械の分解をよくしていた。高校生くらいで、精密機器であるビデオカメラのテープが取り出せなくなったため、数百点はある部品をばらして修理した。機械よりも精密機器が好きだったので、都内で程度の悪い都立の工業高校へ入学。入ったのは良いが、実験も授業も受ける気なし。成績も最下位に近いような状態で、夢も希望もなかったが、就職は何故かあっさりと決まる。当時はバブル崩壊直後。景気の余韻はもう少しの買い手市場だったのが幸いしたのだろう。今では大卒以上はとらない年商6,000億の株式会社大塚商会に18歳の高校卒業直後に入社。コピー機修理エンジニアとなる。実は、高校卒業時点でクラス42人中39人が一次希望に決まるという、今思うと誰でも入れるほどの状態だった。新入社員教育のあとに配属された営業拠点では、配達業務に従事。ただ言われたことを無計画にする毎日。今思うと、能力の低い社員だった。その一年後にコピー機の修理を担当するカスタマーエンジニアとして、毎日を過ごすことになる。それもまた、毎日計画などすることない繰り返しの毎日。そんな生活をして約10年が経過した頃。ある転機を迎える。時代の変化に合わせて、コピー機もデジタル化の波に乗り始めた。今では家庭でも使われるくらい一般的になった複合機。コピープリンタースキャナーFAXなどが一つの機能となり、かつ、ネットワーク機能が搭載されはじめた。この頃からコピー機の技術者では通用しなくなりはじめ、会社から研修へ行くように指示を受ける。かの有名なWindowsの前身、MS-DOSの研修に行った。その時に生れて初めて触った、コマンドラインプロンプト。コマンド=命令を打ち込んで、OSで処理して応答が返ってくる。このシンプルな画面に無限の可能性を感じる。ここからコンピュータの世界の探求が始まる。好きなものは技術力が飛躍的に高まるようで、メキメキと力をつけていった。当時の上司からある日声がかかり、当時出来たばかりの複合機サポート専門の部署を立ち上げるためリーダーに抜擢。喜んで異動をするも、そこでもまた変化のない毎日が訪れることになる。むしろ、以前の職場のほうが刺激があったほど。毎日変化のない仕事には満足いかなくなり、インターネット技術者の道を選ぶ。ある日ふと立ち寄った本屋で見つけたLinuxというOSの存在。当時フィンランドの学生だったリーナス・トーバルズが初めから開発したOSの存在を知った。一気にのめり込み、Linuxに関する本を読み漁った。秋葉原にある技術書専門の書店に何度も足を運んだ。しかし日常の仕事は暇を持て余す毎日。当時の上司に相談するも、「もっと勉強してからだな」と何度もはぐらかされて嫌気がさす。ある日、本部へメールで直談判し、SEを束ねる部長との面談にこぎつけた。そして、当時最新の技術を提供しているインターネットデータセンターへの異動を果たす。インターネットの技術をみにつければ、独立起業を果たし、好きな場所好きな時間好きな仲間好きな仕事全て満たされるような未来を思い描くも、そう甘いものではなかった。そこでは、積み上げ式の仕事よりも、期限のある計画的な仕事。いわゆるプロジェクト型の仕事が中心。積み上げ式の仕事で培った思考体系では、全く歯が立たない状況になる。そのような状況でも、がんばって書籍を読み、一生懸命はじめて書いたプログラムを「これでは使い物になりませんね」と後輩に一蹴される経験をする。積み重ねた経験や知識や価値観を含めて、自信を失った。一時期は、あまりの自分の劣等感にパニック発作を起こして、救急車で運ばれるほどの状態になった。それでもあきらめず、まったく読めなかった英語の書物をよみ、最新や肝の技術を英語文献から学ぶ。その後、独学でプロジェクトの構築方法や年間数十冊の技術洋書をよみ、自宅へパソコンを8台もおいて、研究や検証の毎日を過ごす。自宅で一からOSを立ち上げ、Apache(アパッチ)と呼ばれるホームページを表示させる土台となるソフトウェアを立ち上げ、WindowsのIEで表示する。ネットワークの通信プログラムを自前で書いて相互にコミュニケーションさせるなど。毎日わくわくして眠れないほど楽しかった。その時得た知識や技術は多岐に渡り、Linux OS(パソコンを動かす基本ソフトウェア)データベース(RDB・NDB・LDBなど)(アプリケーション(例:WordPressなど)の裏側で動いているソフトウェア)HTTPサーバー(ホームページを動かすための根本的なソフトウェア)DNSサーバー(ドメインとIPアドレスを管理するソフトウェア)メールサーバー(メールの受送信をするソフトウェア)TCP/IPプロトコル(インターネットの根幹を成す技術)各種ソフトウェア開発言語(C言語・Perl・PHP・Ruby・Python・Lua)インターネットを支える技術を、網羅し、かつ深い部分まで実体験を通して学んだ。この当時に、物販のPC業務を90%削減する経営自動化システムTWEyesの礎ができていったことは、当時想像もしていなかった。猛勉強の甲斐あって、段々と技術も認められるようになり、プロジェクトへの参画もできるようになった。しかし期日、及び高い品質水準が求められるような。会員数が50万人以上。ホームページ所有ドメイン数では1万5千くらい。サービス全体の日のPVは億を楽々超えるサイトの運用に携わっていた。数分とまるだけで500件以上の電話が殺到。コールセンターがパンクするレベルの大規模なシステムの開発プロジェクトだった。当然、品質と期日に妥協はゆるされず、毎日の残業、残業で日の労働時間が18時間なんてときもあった。今年10歳になる、当時生まれたばかりの長女や、家族と会う時間もとれない毎日を2年くらい過ごす。同じ屋根に暮らす妻とも、交換日記をする始末だった。深夜に帰っては、妻の手料理をひとりで食べた。そんな寂しい毎日を過ごした。このような日々を過ごすうちに、次第に体の無理はきかなくなり、熱が42度を超えるような、身動きのとれない状況に。肺炎を患 い緊急入院となる。病床でのベッドで、「自分はなにをしたいのだろうか・・・」とひとり白い壁をみながら考えた。これ以上は、ブラック企業の社畜のようなサラリーマンはこりごり。そう思い、自由人となるべく起業を志す。時間と場所の拘束から逃れ、経済的自由を果たすため、さまざまな書籍を読み、また、セミナーに参加した。培った知識をもとに、ありとあらゆるビジネスを経験。一例をあげると、ネットワークビジネス。都心部に5戸、約2億円の物件オーナー個人でシステム開発を受託。(飲食店管理ソフトウェア、もう7年もずっと使い続けて頂いている)知り合った女性社長とはじめた、国の融資金を使った教育事業。200万近い金額を投資して得た資格を活用したセミナー講師の事業。ネットビジネス、アフィリエイト。投資系では、リーマンショックの時に5分で80万円を 失ったFX。他にも中国株、国内株、先物取引など、ありとあらゆるビジネスを経験した。でも、全部挫折。500万以上は、ドブに捨てたのではないだろうか。サラリーマンをやりながら株式会社まで作って共同ではじめた教育事業にも大失敗。一時は250万円の借金を肩代わりするほどの状態に。当時のパートナーの社長は自己破産後に夜逃げ。連絡がつかなくなった。当時、人間不信にも陥った。不動産を含めると、借金は2億を超えるような状況。サラリーマンでありながら、おかしなことばかりをやって「会社へばれたら どうしようか・・・」眠れない日が続いた。その後、地に足をつけたビジネスをしたいと考えるようになる。そして、商売の王道である物販を始める。当時は新品DVDの販売を、大手ネットショップで販売を始めた。開始から3ヶ月目で、はじめて10万円単位の現金収入を得る。「これを続けていけば起業できるか!」と思うものの、誰でも簡単に始められるノウハウや市場のため、ライバルが急激に増えた。当然、相場がダダ崩れ。仕入れ商品を90%オフで手放す場面などもあった。当時10万円程度で購入したネット販売ノウハウもすぐに陳腐化。赤字が出続けたため挫折。借り物のノウハウだけでは競争に飲まれて精神的にも金銭的にも苦境に立たされた。その後、参入障壁の高く、誰でも簡単にははじめられないような市場の価格の安定した物販の存在を知る。それが、カメラ販売。当然良い 話だけでもなく、副業にも拘わらず平日3時間以上。休日8時間の時間を使いながら、月商200万円を達成。しかし、得られた利益はたったの9万円。翌月、燃え尽きた。そこで気付いたこと。「自分にはSEのスキルがあるじゃないか・・・」そんなことに「ハッ」と気付く。26歳で興味本位で作ったHTMLを使ったホームページ。仕事と趣味の両面で、インターネットの仕組みを網羅的に学んだ深い知識と経験。会社で培ったシステムを自動で動かす自動化スキル。アイデアが無限にわいてきた。物販に関わる作業の一つ一つを分解した。どうやったら効率化できるのか?どうやったらコンピュータで自動化できるのか?徹底的に分析をした。そうして、物販にかかわるPC操作や管理業務など90%以上、自動化や効率化に成功する。結果、自身と物販仲間共に、ピークの1/3以下の時間で、2倍の利益を得られるようになった。システムを使えば使うほど自分の時間ができるという夢のような状態となる。家族との時間も確保でき、副業として、無理なく安定して利益を得られる確信を得られた。結局、独立するための最大の不安を解消するために、サラリーマン給与以上に安定を感じる状態を得られる仕組みが必要ということに気付き。SE経験で培った、ゴールまで最短で行けて、かつ、毎日の作業を最小にできるプロジェクトの組み立て方や管理方法。自動化スキルを使って、個人事業家方の業務効率化を手伝うことが自分の使命であることに気付いた。これからの人生は、亡き父から譲り受けたDNAをいかんなく発揮していこうと思えた。この自分の経験を通して、お金や時間にゆとりをもって、家族との時間を楽しめる方を増やしていきたいと考えている。
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