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屋久島が生んだ 愛の伝道師歌い人です。夢人です。★1979年 世界遺産である屋久島で生まれる★その後転々として、埼玉県の越谷に長く住む。アメリカはニューヨークにも一年ステイ。第二の故郷という場所は軽井沢。★2004年6月 ファーストマキシシングル 「June Bride~ひとひらの奇跡~」を全国リリースする。★2005年7月には自主制作CD「いつかきっと咲く花は/忘れ人」を発売し、全国ストリートライブツアーを札幌から名古屋までまわり、藤村の曲が全国の50局以上のラジオ局にて onair される。★2006年 故郷で歌いたいという想いからもう一度屋久島に帰り2月〜5月まで屋久島で生活しながらイベントに出演したり、ライブ活動を行う。そして10月に完全自主制作(自宅制作)CD『愛は風のように』を発表&手売りで200枚完売する。★2007年4月には自身でプロデュースした九州6県全8カ所でのライブツアー『九州で歌いたくなったんだーツアー2007』を決行する。★2008年はライブ活動を中心に活動していたが11月をもって10年間続けていたライブ活動、ユニット活動等を休止する。☆2012年からいよいよ再スタート!!『藤村智史はなぜ歌う?』僕が初めて歌を唄いたいと真剣に思った時のお話をします。1991年あるドラマを観てました。101回目のプロポーズ、その主題歌に使われていたのが、【CHAGE&ASKA の SAY YES】です。お決まりの武田鉄矢さんが道路に飛び込んでトラックがギリギリで止まるシーン、そこで一言、「僕は死にません!あなたが好きだから!」そして、SAY YESが流れます。かなり泣きました。そしてその後どのくらい経ってからか分からないけど、【自分も人を感動させる歌を唄いたい!!】そう思って、高校に入ってからバンドで唄い始めました。学生時代、そして音楽学校卒業の後も沢山のシンガー達と出会いましたが、正直言って自分が一番才能無いな、と思うくらいの歌唱力でした。そして、今に至りますが、学生時代から唄い続けてきたら自分だけが残ってました。仕事、生活、いろんな環境、自信、とにかく落ち込む原因や、辞める言い訳はいろいろありましたが、とにかく必死に這いつくばってきました。僕が歌う理由として、『幸せにする歌を唄いたい』というのがありますが、それとともに、実は、『ただ歌が好き』なだけです。これからいろんな波が来ても、死ぬまで歌い続ける、それが我が人生と思ってます。そんな人生を応援してくれる方々と一緒に歩んでいきたいと思ってます。これからも宜しくお願いします。藤村智史
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