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僕のキーワードは「調和」と「通訳」です。 思えば、そんなことは気付かないままに、 小さいころからもう37年も このキーワードのもとに生きてきた気がします。 僕が小さい頃、 僕の父親は自分の気持ちを伝えることが下手で、 それがうまく伝わらないと、すぐに怒鳴っていました。 いや、怒鳴っているという意識は本人にはないのですが、 周りから見ると、どう見ても怒鳴っているようにしか見えないのです。 そんな父親と一緒に暮らしている母親は、 自分が何かをしたいと思ったら、 その怒鳴りに負けないように意見を主張しなければならず、 いつも、一生懸命自分の想いを伝えていました。 これもまた、周りから見ると、 そこまで言わなくてもというくらい言わないと伝わらなかったのですね。 そんな両親のもとで育った僕は、 例えば、何か自分の考えを伝えようとすると、 父親は自分の考えることを怒鳴り、 母親は自分の思うことを主張します。 2人とも、悪気はなく、普通に子どもに対して話をしているだけなのですが、 子どもの僕は、いつも2人に自分の考えを否定されているようで、 小さなころから、自分の意見を両親に対して言わない子になりました。 そして、僕の友達は、本になっていったのです。 休みの日は開館から閉館まで図書館にいて、 本を読みあさる子になりました。 お蔭で、勉強ができる子にはなったものの、 人づきあいがうまいとは、お世辞にもいえず、 自分の想いをうまく伝えられないことに、 ちょっとさびしく思っていた気がします。 父親が音楽が好きだったお蔭で、 3歳からピアノを始めていました。 ただし、なんと小学4年生ころまで楽譜が読めない子でした。 先生のところで弾いたものを覚えておいて、 次のレッスンの直前にちょっと練習して、 レッスンに行く、そんな生徒でした。 練習はしないし、楽譜は読めなかったものの、 音感を大切にしたレッスンをずっと受けていたため、 音楽そのものは大好きになり、 家では、いつも親と一緒にクラシックを聴く毎日でした。 この2つが、意識しなくとも 「通訳」と「調和」の世界を 僕の中に作り上げていったのでした。 本を読みまくったことで、 本を書いた人の気持ちが、なんとなく分かるようになりました。 そして、本を通して、人の気持ちの通訳をすることが なんとなくできるようになっていました。 また、すごくハーモニーを大切にしたピアノレッスンのお蔭で、 音の調和する瞬間が大好きな子どもになっていったのです。 これが、僕の「通訳」と「調和」の原点です。 その後、ピアノがそこそこ弾けるようになった僕は、 ピアノを、自分の感情を表現するツールとして弾くようになりました。 今思えば、ピアノに向かっている時間が、 自分の感情に一番正直だったのかもしれません。 その後、高校でブラスバンド、大学でオーケストラに入り、 たくさんの音楽を経験しました。 でも、経験しながら、何かが違うと思っていたのです。 「僕は、音楽は好きなのは分かるけれど、 でも、他の人たちとちょっと違うなあ」 そう思っていたのです。 そう、多くの人は、どんなに素晴らしい音楽を作るか、 そこに焦点が合っていたのに、 僕は、音楽を使って、いかに人の心と人との心のハーモニーを作るか、 そこに焦点が合っていたのです。 確かに、うまい方がいい音楽ができるのかもしれません。 でも、僕が求めていたのは、音楽を一緒に演奏することを通じて、 いかに他の人と気持ちが一緒になれるかということだったのです。 よく自分の人生を考えてみたとき、 僕が、なぜその後音楽の道を進まなかったのか、 なんとなく分かるような気がします。 そう、結局、音楽そのものではなく、 心の調和を求めるがための音楽を求めていたのですから。 だから、今は、アドリブで、心と心を合わせる感じの、 そして、感情をうたっているかのようなジャズに惹かれているんだなあ、 そう思っています。 同じく「調和」の面を強くしていったものに、 スポーツのことは欠かせません。 「何が好きでスポーツをやるのだろう?」 スポーツにのめりこんでいるときは、 そう考えていました。 スキーは指導員の資格を取得したり、 テニスでも、市民大会より、上の大会に出られるくらいまで、 スポーツにのめりこんでいたのです。 今になって、よくわかります。 スポーツをやっているときの気持ちが好きだったのです。 スポーツをやっている時って、 もちろん戦略を考えたりすることは頭を使いますが、 それ以上に、感じていたのが、空気、環境との調和でした。 ランニングハイとかと言われるように、 スポーツをやっている時って、 何も考えられなくなったりしますね。 そう、ただただ、その場の空気のようになって体を動かす。 その周りとの一体感のようなものを僕は求めていました。 それは、ある意味、音楽と同じだった、そう思っています。 僕の「調和」の面を強くしていったのは、 こういった音楽活動、スポーツ活動だったと思うのですが、 「通訳」の面を強くしていったものに、 編集の仕事がありました。 結局、10年以上編集の仕事をやっていたことになりますが、 その間、いかにその文面から作者の気持ちを考え、 いかに作者と同じような考えでものを書いていくか、 そこに焦点を当てて仕事をしていました。 そして、作者に、 「いやあ、どこを直しているんだかさっぱりわからないけど、 なんだか、すごくよみやすくなったなあ」 そう言われることを、すごく誇りに思っていたのです。 こうして、心の調和、気持ちの通訳、 そんなものを育んできた僕が出会ったものが コーチング、カウンセリング、心理学の世界だったのです。 ここに、僕がそれまで育んできたものを、 一番よい形で活かすことができるものに出会ったのです。 心の調和をさせることによって、 その人の本当の気持ちを引き出し、 その人が気持ちのいい状態で前へ向かう手助けを行うことができる。 そして、その人が気付いていない気持ち、 本当の想いを通訳することによって、 その人の本心を、本当の想いを引き出します。 このコーチングに出会った当時、 僕はそこまで深く考えたこともなければ、 なんで、そんなにコーチングに惹かれるのか、 心理学に惹かれているのか気づいてもいませんでした。 さらに、僕に変化が起こります。そう、気付いてしまったのです。あれれ? それって、本でもできる?そう、それまで10年もやってきた本の編集という仕事、それを使うことによって、コーチとしての仕事と同じようなことが出来てしまうことに気付いたのです。もちろん、深さは違うかもしれません。細やかさは違うかもしれません。それでも、僕がこれまでいたポジションは・・・・と考えると、常に前を走る人と、後ろを走る人の間にいて、前に向かって、「あまり早いと、後ろがついて来れないよ!」と言い、後ろに向かって「早く来ないと、置いていかれちゃうよ!」と言っている、真ん中にいる調整役だったのです。そう考えてみると、本の出版というのは、そのポジションにピッタリはまっていて、しかも、いい本を出してうりだすことができれば、何百万人という人に、自分の本当の想いに気付いてもらえるかもしれないのです。それに気づいてしまったときから、改めて出版社をやっていこう!そう思って歩き出し、今に至ります。人の本当の想いを引き出し、それを育てるお手伝いをする。そのスタンスはいつまでも変わることはないでしょう。それをいろいろな形でサポートしていくことができれば、それ以上の幸せはありません。もちろん、そうやっていられる僕自身も幸せだなあ、と思います。自分の人生を思い返してみて、 なるべくして、自分の人生が進み、 出会うべくして、自分の本当に出会いたかったものに出会っている、 そんな気がしています。 「人生というのは、紆余曲折あるようで、 本当にその人が進むべき道を歩かせてくれている」 そう感じるのです。 そして、改めて、順調に進んできている自分の人生に、 そして、そのサポートをしてくれている周りの人、 特に妻に、本当に心から感謝しています。 ありがとう。 あなたの心を引き出すお手伝いをさせていただければ、 あなたの本当の想いに向かって進むお手伝いをさせていただければ、 心よりうれしく思います。 長々と読んでくれてありがとう。
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