ブログをブロックする
ブログを報告する
大阪府在住の耳の聞こえないエンジェルセラピスト 瑠璃の海と申します(*^_^*)☆。.。.。.。.★。.。.。.。.☆。.。.。.。.★。.。.。.。. 5月、京都の病院で産声を上げました。この時、すでに耳が聞こえないとは両親も夢には思わず。他の子と成長が違うことに気づき、2歳で「先天性感音性(かんおんせい)難聴」と診断されました。そして地元のろう学校に入学し4年間、発声や言葉の訓練、社会に適応できるようにいろんな勉強を学びました。地元の小学校に進学。小学三年になった頃から周囲とうまくコミュニケーションが築けず、孤独になりました。軽いいじめも加わり、小学校時代が一番つらく嫌な思い出ばかり。自分は何で生きているのだろう、周りのことも何かも分からないといった感じでした。まさに身の回りの世界360度が解せない世界のように見えながらも、ただ生きて、皆と同じようにずっと毎日通学するのに精いっぱいでした。両親にもうまく理解してもらえず、私が反抗期になったこともあり、家でも心休まることはありませんでした。唯一、自分にとって大切な場所であり時間であったことは、空想の物語を書くことでした。うまい下手に関係なく、空想の物語を書くことによって自分の心のバランスを保っていたとも言えます。思えば、自分自身の性格に問題があるところもあったし、自分以外の人間とどのように接したら良いのかコミュニケーションという、そのものが全くわからなかったんだと思います。同じく地元の中学校へ上がった頃には、周囲とも少しは関係を築けるようになり、自分もちょっとは明るくなりました。途中でアニメの世界を知り、同人の趣味ができるようになりました。それによってイラストを描いたり小説を書いたりする創作活動を始めました。そして、その創作活動にしばらく何年間ものめり込むことになります。このことが、私をより生き生きと楽しませてくれたのですが、一方で他人との関係を築くのも苦手には変わりありませんでした。高校は自分一人だけ、学区外の少し離れた高校を選びました。それにより、小・中学校と知っている面々が全くいなくなり、環境が完全に変わったと実感。相変わらず人間関係は閉鎖的ではあったものの、部活動を通して同人の趣味を同じくするつながりができ、高校時代は同人活動に燃えていたと言っても過言ではない(笑)あまりにも遊びすぎていて勉強がおろそかになってしまったことだけは、今でもちょっぴり後悔。全国で唯一、聴覚障害を持つ生徒を積極的に受け入れるという高校であったため、環境も配慮もそれなりに整っていました。聴覚障害を持つ生徒として自分自身でもできることをやったり、周りにお願いすることもしなければいけないということを学び、大きな勉強となりました。手話も少し勉強をしていたため、学校内の手話弁論大会に出たり、手話での歌を練習したこともありました。実力不足で1年浪人し、晴れて女子大学に入学。しかし、ここで小学校時代に続いて人生で二番目の挫折を知ることになりました(^^;)全く友人も作れず、ただ単位を取るためだけにはるばる大学まで通うという実に有意義のない、孤独な大学生活でした。しかし、このことが初めての社会勉強の訓練になりました。全くうまくいかない、挫折の人生でも勉強になることはあるのです。とてもつらい挫折を味わい、耐えることで心を鍛えていったようにも思います。大学卒業を最後まであきらめないという信念は貫くことができました。そして、大学卒業後、大阪のメーカー会社に入社。会社の提供する商品や業界は好きだったのですが、社内のあり方はいまいちでした。そして、いつしか不況の嵐が吹き荒れ、社内の居心地や雰囲気も組織もどんどん悪い方へと変わって行きました。そんな中、当時はなかった言葉「婚活」をし、時間がかかったけれど30歳になる直前に今のダンナと巡り合い、あっという間に結婚しました。まさに彼は、運命の赤い糸でつながった人でした。そして結婚を機に、それまでずっと生まれ育ってきた京都を離れ、大阪の地へ越してきました。自分としては目の前にある小さな仕事でも、それができているだけでもいいと自己満足していましたが、突然の人事異動で、自分にとっては不当な部署へ飛ばされました。そこでは、何にも仕事らしいことができない、会社に来る意味さえ見出せないような職場、日々でした。ここに至って初めて、その会社で居続けることの将来性に全く希望を持てなくなり、人生で初の転職を決意しました。その会社に入社してちょうど11年が経った時です。転職活動で実に超スピードで結果を出し、その会社で長期休暇を取っていたわずか2週間の間に新しい会社を決めることできました。そして2ヶ月後に退職し、新たな会社に入社しました。最初の会社より大規模の会社だったのでそれなりに仕事も希望もあるだろうと期待に胸をふくらませて入社しました。しかし、ふたを開けてみると、配属された部署は当時、全然まとまりがなくて全ての基盤ができていない状態でした。自分に回って来るような仕事はほとんどなく、何のために入社したのか全く分からず。入社して1ヶ月目には、すでにここへ来たことを後悔し、辞めたくて仕方がありませんでした。しかし、当時の私には転職したばかりの会社をすぐに辞める決断は持てず。何とかしがみついて頑張るしかないという道を選びましたが、数ヶ月間は非常につらい日々で、下手したら心を病んでしまうところでした。実際、笑わなくなった日々が続いていました。それでも何とか少しずつ状況が変わっていき、会社にもいられるようになっていたけれど、この会社に入った失望感や思うとおりでない仕事のあり方に疑問を持つ日々。そんな時にスピリチュアルの世界を知り、いろんなセラピストに答えを求め続けるという「セラピージプシー」の生活が始まってしまったのです。セラピージプシーに陥りながらもスピリチュアルの世界を楽しみ、そして答えを探し続ける中、訪れた転機。誰かに答えを求めていた私がセラピストになり誰かを癒し、その背中をそっと押してあげられるようなセラピストになる。それが私にできると知り、大きな衝撃でした。がらっと目の前の世界が変わった瞬間であり、そしてすぐさま、セラピストになろう!と決めたのです。自分にとって大きな決断でした。本気で自分を変えよう、これまでと変わろうと決めた瞬間。そこから、スピリチュアルの学びが始まりました。自分はどんなセラピストになれるのか、どんな提供ができるのか。それを掴もうと、講座受講やワークショップに参加したりしてきました。2013年春、チャネリング養成講座受講。同年冬に「永谷綾子さん開催の薔薇のエンジェルリーディングセラピスト講座」を受講し、その時に改めてオラクルカードの楽しさ、新たな自分の可能性に目覚めたのでした。そして、自分の心の中に芽生えた「可能性の翼」をもっと大きく広げ羽ばたきたいと願い、エンジェルセラピストとして活動することを宣言。2014年秋には永谷綾子さん開催の「薔薇のミディアムシップ講座」を受講し、「天国からの虹の架け橋をあなたへ♡愛と癒しのミディアムシップセラピー」を始める。2016年3月、虹の姉妹花織さんより、レムリアンヒーリングプラクティショナー認定。2017年12月、愛treeさん開催の「レムリアンカード基礎・上級講座」修了。2018年11月、「愛と癒しのミディアムシップメッセージ~愛するあなたへ贈る天国からの手紙~」というメニューにて、ミディアムシップセラピーをリニューアルオープン。現在、様々なオラクルカードリーディングメニューやミディアムシップセラピーを中心に、メール申込受付や郵送での提供を中心に活動しています。これからも初心と思いやりを忘れずに、オラクルカードとともにより多くの人に寄り添っていけるように、何より自分自身の魂をもっと磨いていけるように楽しみながら頑張っていきたいと思います。まだまだ、人生のページは続いています。自分探しの旅は続いています。より良い自分の成長、魂のレベルアップを目指して。ただ1つ、「よりよく自分自身の魂をもっと輝かせたい」。その目標に向かって、ただただ前進あるのみです。これからもどうぞ、耳の聞こえないエンジェルセラピスト 瑠璃の海をよろしくお願いいたします♪
テーマ: ■ オラクルカードからのメッセージ
占い・スピリチュアル
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります