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野口 和男(のぐち かずお)株式会社 麗人社 代表取締役社長生年月日:1959年8月16日星座:獅子座本籍:大阪府 幼少時代は大阪市港区、中学高校は徳島県小松島市で過ごし三味線や阿波踊りの英才教育?を受ける。小学生時代はフォークの岡林信康やボブ・ディラン、高田渡、加川良などに傾倒、小学校の卒業式舞台で父兄を前に深い意味も知らず反戦歌を歌う。中学時代に、上田正樹&有山淳司を知って、アコースティックギターのラグタイムからブルースにのめりこみ、やがて憂歌団やウエストロードブルースバンドのコピーにハマり、高校でブルースバンド結成。ブギウギやシャッフル、スィングまで猛練習。T-BONE WALKAERのような音を出したいと真似るが、ギターは高校生の身分ゆえギブソンは買えずグレコだった。シャッフルが阿波踊りのリズムにそっくりだったため、徳島の血が流れる自分の「天職」と勘違いしミュージシャンを目指す。しかし止むなく大阪の食器関係の輸入商社に就職し、すぐ東京転勤を命じられ神奈川県の大和市で暮らすが2年で退職。ギター以外には絵も少々得意だったため、大阪のデザイン学校で絵の勉強をしながらバンド活動。卒業してからはコピーライターとサイン(看板)のデザイナーを経てトラック運転手など様々なアルバイトで生計を立てるが、音楽の夢捨てきれず渡米。(時、既に20代後半)サンアントニオ、ニューオリンズ、メンフィス、ナッシュビル、シカゴ、ニューヨークなどを転々とし、当時のNYソーホーでアートビジネスを知る。「おもろい。これは食えない音楽をやってる場合ではない」と残ったお金でフロリダに飛び、海岸で3日間考えこんで帰国。帰国直後、美術系の出版社で5年勤務。その会社もバブルで経営が危うくなりかけ、給与も遅配し始めた33才当時の1993年に、世界各国での美術展の企画と美術出版を手掛ける株式会社麗人社を大阪市北区で創立。美術界の因習(色々)にアンチテーゼを投げかけ、これを改革する事により世界に認められる日本の美術界が作れるのではないかと、各国を東奔西走し数々の美術展を手掛ける。2011年には東京に進出し、銀座6丁目にREIJINSHA GALLERYを設立。2015年現在、これまでに各国で紹介した日本の美術作品は約14.000点、紹介したアーティストは約4.000人。2008年にはルノワールやモネを生んだ世界的に知られるル・サロン(フランス芸術家協会)会長より、パリでの文化交流への貢献と友好の証として金メダルを授かる。2009年にはモナコ公国王室「ガラスの間」で、アルベール2世大公よりモナコと日本の文化交流に長年貢献した証として「シュヴァリエ文化勲章」を叙勲。王室における騎士の称号を公式に受ける。(正式には2008年度叙勲者)現在は、株式会社麗人社の経営以外に水墨画、日本画、書の公募団体、一般社団法人 雪舟国際美術協会理事長、A.M.S.C.(国際美術評論家選考委員会)日本支部長兼代表理事。フランス・テーラー財団会員。モナコ政府観光会議局主催のセミナー講師なども務める。ブログジャンル社長/アート・デザイン
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