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私が幼少の頃、善光寺様で母が「お釈迦様」と「六道輪廻」という2冊の漫画本をお土産に買ってきてくれたことが、この世界に入るキッカケでした。小学校3年生の頃「私は誰か?」ということを真剣に考えて、その後、中学、高校と何か納得いかない不合理を感じながら生きていました。もちろんその頃は、将来に対する不安や恐怖などを人一倍持っていましたし、プライドも高く、努力しないと何でも到達できない!と思いこんでいました。大学に入った頃から精神世界の扉を開き始め、いろいろな本を読み、新興宗教など転々として、時にはチベット密教のような厳しい修行しましたが(神秘体験などするが)納得する答えが出ませんでした。 35歳を過ぎた頃(おそらく6~7才位だったと思うが)Lの字になってる高い階段から空中を飛んでいたことをおぼろげに思い出し、まさか?と思っていましたが記憶がハッキリしないので、2010年ゲリー・ボーネル氏にアカシックレコード(過去のデータ)を読んで貰ったところ、やはり空中を飛んでいたとのことでした。その後、修行中に光に包まれる至福の状態や、体が抜け出して多次元に行ったこともありましたが、これは過去世の修行の結果だったと思われます。しかし、いくらこんな事ができても、私の求めている答え(大いなる存在)は見つかりませんでした。ひよっとすると小学3年生の頃に、もっと素直に考えれば答えが出たのかもしれない!私は誰かと?・・・そして、今考えてみると、歳を取ると本来の自分を忘れていく為、忘れかける前に思い出したかったのだろうと思います。しかし、その時期には気が付けないように人生のプログラミングを組んできたのだ!ということが後でハッキリ理解できました。 そして40歳を過ぎて、ハッキリ何か解らなかったが、おぼろげに真実という形が見えてきました。しかし、私には誰も教えてくれる指導者がいなく、本を頼りに読み続け・・・あるときサティア・サイババの本を読んで、全ては1つ(ワンネスの原理)ということ、人生すべてがプログラミングされているとがわかり、感激したことを今でも鮮明に覚えています。その頃「全てはドラマでこの世は全てプログラミング通り動いていて、元々全ての人々は自由なんだ!」という話をすると「運命論者」と言われ、意見が合わず孤立していたように思えました。しかしそれから、ラマナ・マハリシ、パパジ、エックハルト・トール、レナード・ジャイコブソンなどの本を読んで、自分の状態が真実だと言うことを理解出来ました。そして、50歳近くになり、いろいろなことが紐解かれ(ある意味で楽になって)自分の今いる世界(二元の世界)と宇宙が統合して1つになりました。そして「今この瞬間」だけが真実だと言うことにたどり着けました(というより気がついたという表現があっていると思います)。映画で例えるならば、いま見えている現状(人生)は、心が投影した画像(今生のプログラミング通りの画像)で、私はスクリーン(大いなる存在)です。ですから、他のものから何も影響を受けないことが理解できました。そして、全ては満ち足りていました。足りないものなどなかったのです。もともと完璧だったのです。そして、表現は不可能ですが、この世界に自分も他人がいなくなり光だったと気づきました!全ては終わったドラマ・・・ただ毎日、再生されてる画像を見ています。ですから、あとの残りの人生はプログラミング通りに任せて楽しむのみです!これからアセンション時期、沢山の方が同じ状態に気がつくことになるでしょう。私たちは同じランナーです。先生や生徒などはいません!一緒に気づいていきましょう。過去世などで私のドラマに参加していた方、この文章を読んでピン!と来た方、縁を感じる方お待ちしています。
テーマ: サットサン
アラカン
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