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1989年以降、バブル崩壊後のマーケットで投資経験投資スタイル:自ら開発した時系列分散建玉法に基づく、時系列分散売買システム(同一銘柄に対する複数売買システムでのリスク分散ポートフォリオ構築) 投資家トレーニング、運用チーム・運用組織の効果性を高める為の組織開発コンサルティング、他楽々投資家実践会」事務局のエバンジェリスト、なみのりヒロです。出身は広島です。厳島神社はご存知でしょうか?平清盛・・・平家の・・・壇ノ浦の戦い(源氏と平家の戦い!?)・・・の広島ですね。そのまた、山奥・・・中国山地の真ん中で生まれました・・・、過疎の集落で生まれましたが、小さいころ祖父に・・・「ここはな、昔々・・・源氏に敗れた平家の残党があのヒノキ(川の瀬・・・急流の呼び名です。)を渡って切り開いたんじゃ(広島弁)。おお~きな檜の木を切り倒して渡った・・・」と聞かされて育ちました・・・川底には鮎がゆっくりと・・・藻を食み(ハミ)ながらおよぐ・・・祖父は鮎つりの名人で・・・確か・・・ラジオ局が番組の収録に来ていたこと(あゆの話で)もあったかと・・・のんびりと育ちました・・・高校も田舎・・・モット田舎の高校に下宿して通っていました・・・。その後、大学受験で一度失敗、浪人した後に東京の私立大学に・・・法学部でしたが・・・あまり、勉強せず・・・。軽音楽のサークルでギターを弾く・・・冬は、スキーに夢中で・・・と典型的な学生生活・・・いまになって勉強しておけばなどと思う・・・これまた典型的な・・・平凡さ・・・卒業後・・・なにを、思った(勘違い・・・したんですね!)か!?・・・世界的に有名な・・・優良な大企業(メーカー)の内定(当時は売り手市場で友人はみな内定を2~3個はもらっていた時代です。バブル前ですね。)を蹴って・・・泥臭い・・・日系のコンサルティングファームへ・・・その時代の友人の何人かはコンサルタントをしています。同期は、ほとんど転職してしまいましたが・・・わたも・・・外資系のコンピュータメーカーの今は○○ポッドで有名な会社へと・・・当時はシェアもなく、果物の会社?と田舎では思われていたようです。あっつ、そういえば・・・フォレストガンプでも「フルーツの会社・・」と言うせりふが・・・その後、当時の上司に誘われて・・・某有名なコンピュータメーカー「○ル」・・・へ、これまた日本ではあまり知られていない時期に移りました・・・ところが、この時期、かつての知人や友人がベンチャーへ・・・の流行に流され(苦笑!)、とあるネット系ベンチャーを創業しようと、友人数人と・・・チャレンジしたものの・・・玉砕です。その後、事業開発(新規開拓営業とマーケティングと・・・なんでもベンチャーを成長させるために必要なことは手がけるお仕事・・・)でベンチャー企業のお手伝いの仕事へと・・・時には、飛び込み営業・・・時には、資金調達、・・・なぜか人との出会いには恵まれました。独立系ベンチャーキャピタルで有名な○○ー○○の○○さんとも、ここ数年、ベンチャー経営者を紹介したり、資産運用会社の責任者をご紹介したり・・・投資先のお手伝いをさせていただいたり・・・人材の紹介をしたり。バタバタと色々なことを手がけてきました・・・。ところが、この間、本業と並行して・・・株式投資、商品先物取引、・・・いろいろと手を出しましたが・・・さっぱり泣かず飛ばず・・・あらゆる書物、システム、・・・手を出したものの・・・毎年の赤字です。何冊かの本との出会いと・・・昔・・・出会った方のアドバイスを思い出すまで、7年間で○○○○万円の赤字です。その後、いくつかの偶然の出会いが、この「楽々投資家実践会」へとわたしを導きます。かつて社会人になりたてのころに経験した、行動科学と呼ばれていた考え方を取り入れれば・・・はたと気がつくのです!そして・・・、知人と・・・この試みを始めます。もちろん最初は、身近な友人、知人の中で、興味を持つ数名でひっそりと始めました・・・。ここで、「楽々投資家実践会」名前の由来!について・・・誤解のないようにお話しておきます。あるとき私たちは「手堅く、確実に利益を出し続けている金持ち投資家、金持ちトレーダーはどんな人たちだろうか?」と話していました。メンバーの1人が、・・・・「成功している人は、意外と楽々とやってるよね!自分のスタイル持ってるし、毎日やること決まってるし、例外もあるけど、少なくとも本業もって副業で投資・トレーディングしてる人は、ほとんどよけいな時間もかけないし。―――」と・・・もう一人、こんなことを言っています。「機関投資家で活躍してる人たちも、手堅くやってる人たちは、肩の力抜いてやってるよね!・・・、はたから見ると、淡々と楽々と!」TOP5%に入れれば「楽々」と続けられる。一生でも「楽々」と・・そんな意味を込めて「楽々投資家実践会」という名前になったのです!!「楽々投資家実践会」の創業!?メンバー!?はじめは、私の個人的な試行錯誤から始まります。私自身、本人が気がつかずしばらくの間忘れてしまっていた貴重な出会いがあったのは、バブル崩壊直前の1988年、当時、私が所属していたコンサルティングファームの仕事で大阪のとある中堅企業の経営者と1ヶ月に2~3回お目にかかっていた頃のことです。その経営者に、江戸時代、米相場の時代からの相場のやり方を受け継いでいると思われる老相場師を紹介されました。1時間程の世間話・・・、その僅かな時間の中で聞かされた話の内容は、利益を出せない貧乏投資家が金持ち投資家へと脱皮し、毎年、手堅く利益を重ねてゆける楽々投資家になる為のエッセンスのような話だったのです。ところが、当時、私はその話の内容の重要性に気がつきませんでした。その後、7年間は無残な赤字続きでした・・・、たくさんの失敗や勉強、試行錯誤を続けた後に、その「本物の金持ち投資家」老相場師のことを思い出します。そして、・・・・ようやく、何とか貧乏投資家と金持ち投資家の境界線上を越えられるか否か?さまよい始めた頃に、機関投資家でファンドマネージャーをするA氏と出会います。彼とも出会った頃は投資やトレーディングの話はほとんどすることもなかったのですが、居酒屋で酒を飲みながら話しているときに、・・・確かベンチャー企業の事業開発の仕事をしているときだったと思います。何社かのIT関連企業の日本法人の仕事を経験した後だったので、米国と日本の起業環境の違いを話していました。その際に、米国でのヘッジファンドの実態の話になりました。たしか、絶対パフォーマンスを追求するヘッジファンドは日本でも税制等々の問題はあるが、本来、独立系の運用会社として存在するべきだとか・・・・・、目立たないが、密かに江戸時代、米相場からの流れを汲む相場師が存在し、運用資金の金額は比較にならないほど少ないものパフォーマンスは決して劣らない人物は存在する・・・・スカウトされたり、本人の事情があったりで、米国に移って運用する人がいる。といった話などしていたかと思います。その時に、お互い、投資に関して、それなりの技術水準にはありそうな様子が分かりましたので、時々、会って相場の話をするようになったのです。この出会いの後にちらほらと、ある程度の経験を積んだメンバーが集まるようになり、楽々投資家実践会へと発展してきました。投資家やトレーダーの成長と自立の為の楽々投資家実践会!として今後活動してゆく予定です。私以外のメンバーはそれぞれ本業で運用に関わっていたり、・・・事情が有りますので名前は出せませんが、当面は、私、森田がメンバーの見識や考え方、等など、お伝えしてゆくことになります。なお、申し訳ございませんが、お問い合わせはなるべくメールでお願いいたします。また、返事が遅くなってしまった場合にはご容赦ください。詳しくはこちらで・・・
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