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「もっと人と接する仕事がしたい」と看護師を目指す20代前半で事務の仕事をしている時に父が精神の病気を患いました。はじめての体験にどうしていいかわからず不安でいっぱいでした。病院を受診して入院が決まった時には「これで父は良くなっていく」と心底ホッとしました。しかし同時に父はなぜ病気になり、どのような治療が行われ、そしてどのような結果になるのか分からない怖さを痛感しました。そんな状況の中、その怖さは病気になった本人や家族みんなが持っているものだと考え「医療を通じてもっと人と接する仕事がしたい」と思い看護学校に入学しました。「人の2倍の人生を生きたい」と考えていたので、とにかくがむしゃらに勉強していました。特に好きだったのが、解剖生理や病理でした。人の体はとても精巧な仕組みによって生きているのだと何度も感動しました。各臓器の関係性から病気になる過程を組み立てていくのはイメージが出来るまでとても時間がかかりましたが、わかってくるとさらに面白くなりました。その頃、「自分の肩こりは自分で運動して解消していこう」と、50代以上の方が多く通うスクールで、練功十八法(気功)を体に浸み込ませたりもしました。勉強の甲斐あって看護学校を卒業し、難関の保健師の学校へも進学することが出来ました。「医療を通じてもっと人と接する仕事がしたい」そのためには地域医療と考え地元の総合病院で働き始めました。命のはかなさを感じた看護師経験20代後半で勤務した病院では2年ごとに勤務移動となり、外科・胃腸科・内科・脳神経外科・皮膚科など、様々な現場で病気の患者さんと接することになりました。看護の仕事は責任が重く大変なこともたくさんありましたが、元気になって退院していく患者さんの様子や「ありがとう」と一言ってもらえることに喜びを感じていました。一方で毎日やらなくてはならない業務が多く、患者さんやご家族とゆっくりと話す時間も十分に持てないことも大きな悩みでした。そうして30代になった頃、同世代の終末期の患者さんを受け持つことが多くありました。死は敗北という暗黙の価値観がある中、患者さんとそのご家族のために、担当看護師として私にもっと出来ることはないかと考えるようになりました。特に小さなお子さんを残していく母の思いや「残されたご家族は死を受け入れられただろうか」と思いを馳せることも多くありました。どんなに頑張っても助けることの出来ない命があることも深く感じました。一番つらい別れを目の前にした患者家族にはその後病院で会えることはほとんどなく、残された家族に対する気持ちの整理のサポートも必要ではないかと思うようになりました。命をはぐくむなかで出会ったホメオパシー看護師として精一杯仕事をしてきましたが、妊娠しても手を抜くこと出来ないと自分でもわかっていたので病院勤務を辞め友人の勧めから保健センターで働き始めました。しかし1年も経たないうちに妊娠し出産・育児のため仕事を辞めることになりました。そんなときに母乳育児相談で出会った助産師さんからホメオパシーのことを教えてもらいました。はじめは半信半疑で話しを聞いていましたが、子どもが薬を飲むと発疹が出たり軽く喘息様の呼吸となったりしていたので自然のもので作られているホメオパシーでのセルフケアを始めてみることにしました。症状の治る経過はある程度わかっているつもりでしたが、ホメオパシーのケアで病気が普通に治っていく体験に感動しました。今まであたりまえに考えてきた「高熱が出たら熱を下げて体力の消耗を減らす」「症状が出たらその症状に合ったお薬を使う」など看護師として勉強してきた知識に対し「症状は出しきることで終わる」というホメオパシーの全く異なる考えと病気が治る事実を多く見聞きして「真実を知りたい!」と思いホメオパシーの勉強を始めました。2番目の子の妊娠・出産も重なりましたがホメオパシーの学校に通いながら子育てと勉強を続けました。在学中は、一人では出来ないことを友人達がほんとうに親身になって助けてくれましたとてもありがたかったです。妊娠中は薬でおさえていたいろいろな症状が出ましたがホメオパシーで乗り切り元気な子どもを産み育てることが出来ました。下の子どもが1歳を過ぎたころ保健師としての仕事の依頼があり、そこから生活習慣改善のための勉強を始めました。同じ頃にどんな療法とも相性のいいクラニセイクラルセラピーを学ぶ機会もあり、生活の中でホメオパシー+クラニオセイクラルセラピー+生活習慣の改善の実践が始まりました。命を守りたいと思った震災を経てホメオパシーを4年学び卒業式も近くなった頃に東日本大震災が起こりました。原発の事故が起き、所属する日本ホメオパシー医学協会とともにホメオパシーでの被災地支援も始めました。今のようにSNSもなくホメオパシーを知る人も少なく、被災への便乗商法も横行していて思った以上に動くことが困難でした。しかし放射能の子どもへの影響を心配し心と体の緊張状態が続いている人も多く「今、私が出来ることを精一杯やってみよう」と仕事とボランティア活動、放射能に関する勉強に力を入れました。そうして震災後の混乱期もひと段落した頃にホメオパシーとクラニオセイクラルセラピーを提供するお店「プランターゴ」を始めることになりました。私がこの仕事を始めるきっかけとなった父は震災後何度も生命の危機を乗り越え、自分で歩くことは難しいものの余命3年のところ倍の6年を生きることが出来ています。命の危機を見守る辛さも介護する大変さも経験してきました。私がプランターゴに込めた想い私は病気の本人もそれをサポートするご家族も含めて支えたいと思っています。ホメオパシーとクラニセイクラルセラピーで症状の改善をはかり、思考パターンや生活習慣の修正を行えるようにじっくりと時間をかけてお話をうかがいながらアドバイスしていきます。病気を抱える人を支えるご家族は、看病や介護で自分の体をいたわる余裕もなく心身共に疲労困憊してしまう事も少なくはありません。家族の方に対しても心身の疲労を改善するとともに現状を受けとめることが出来るようお手伝いしていきます。プランターゴとは和名でオオバコのことです。雑草であるオオバコは人に踏まれることで根を強く張ります。そして踏まれるときに種を人につけて運ばれ、その先で芽を出し成長していきます。人生の困難を糧に成長し、たくましくも穏やかに過ごせる希望を抱かせます。あなたが本来の自分を取り戻し、自分を大切にすることができたら家族や周りの人もあなたが暮らす環境を大切にすることができる・・・。そんな思いで私、やまきみゆきは、あなたとご家族が健康を基盤として幸せに生きていける様にサポートをしています。*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o【資格 等】JPHMA認定ホメオパスNo.0681保健師看護師労働衛生管理者*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○☆*:..。o○☆゚・:,。*:..。o○
テーマ: Plantago(プランターゴ)について
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