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1993年上京、メザーハウス(ボーカル科)に入学。 メザーハウス、小柴大造の紹介で、 佐野元春 のバックバンド「ハートランド」小野田清文(ベース)の下で音楽の勉強をしていた。その頃、VOICE・武田鉄矢・時任三郎等のバックバンドを勤めていた首藤(ギター)、プロデューサーの川越(ドラム)、吉俣(キーボード、NHK・CM等の音楽プロデューサー)と知り合う。 そして自らのバンドを結成。当時「BEAT CLUB」(サザンオールスターズの松田が設立した事務所)に所属していた川越にCD・ライブを聞いてもらい、2002年4月4日にミニアルバム「P」を発売。その年の9月には早くも2000枚を売り上げた。その後追加発売し3000枚を突破。 2003年10月15日、「Doku Ringo」を製作するにあたり、首藤・小野田・吉俣・川越にバックバンドを依頼。累計2000枚以上を売り上げる。2005年、中村敦(元KATZE)プロデュースとしてのCDを製作。そして、出来上がった CD『呪文』これを片手に 愚息(中村敦(元KATZE)尾上サトシ(元KATZE))と供に 全国行脚をし 最終的には累計2000枚を売り上げる。2006年頃まで山口県周南FMやエフエムくらしきで「トンネル39個」という番組のパーソナリティーを務め。 2010年、2002年にミニアルバム「P」発売にあたり、PEKE(ペケ)からニシナミユキに改名したが、再び、PEKE(ペケ)に戻し、今まで制作したCD「P」「Doku Ringo」『呪文』を 全て手売りで 完売し新たなスタートとして、自らをプロデュースすべく、音楽事務所 SOUND APARTMENTを立ち上げ 同時に 新たなCD製作に取り掛かる。2011年、その歳のスタートとして、1月1日(元日)『私は知っています』をリリースする。(今までに無いスタイル(ピアノバージョン)で、大人の応援歌的な歌詞を 独特なあの声で熱唱する姿は ファンを魅了して止まない。)2012年自らの音楽性に疑念を抱きライブ活動を休止。以前からボイストレーナーとして活躍していたが、更に力を入れる。それでも「どうしても歌ってほしい」という熱いラブコールに答え、数回イベントに出演。現在も苦慮しつつ音楽活動を続けている。
テーマ: ブログ
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