ブログをブロックする
ブログを報告する
39歳で結婚して4ヶ月経つ頃、高齢なので不妊治療でもしなければ、さすがに子供は授かり難いだろう、との思いから、検査と治療を開始しました。間もなく自然妊娠発覚。しかし喜びも束の間、9週で繋留流産。その半年後、採卵した受精卵を顕微授精した結果、胚盤胞にまで成長させることに成功。凍結保存して翌月、子宮内に戻す日を待つだけとなっていました。そんな或る日、クリニックの院長から直々に電話があり『 大事な話があるから明日来てください 』と急に呼び出され、何の疑いも無く出掛けた処、『 先日検査のため採ったポリープが悪性だったので至急、癌研有明病院に転院してください 』と、まさかの癌宣告。何の事なのか訳が解らず、頭が真っ白のまま、気付いたら駅で号泣しながら、主人に電話していました。G1の高分化腺癌1a期であることから、ホルモン療法適用となり、その後7ヶ月間、ヒスロン薬の服用と同時並行して、3度の子宮内膜全面爬掻手術を受けました。『 ホルモン療法は、2年以内に80%以上の確率で再発するから、急いで妊娠して下さい 』と、医師より急かされていたので、不妊治療が解禁になった2010年8月、凍結保存しておいた受精卵を、指示通りに早速子宮内に戻しました。しかし、うまく着床せず、まさかの子宮外妊娠。聞く処によると新橋夢クリニックでは、このケースは全体の1%以下だと言う。強制流産の目的で『 MTX 』という抗がん剤を処方されましたが、やはり副作用に悩まされました。この同じ月に、パーキンソン病末期で寝たきりであった母が、自宅で眠るように静かに逝去しました。別段いつもと変わらなかったので、そんなに具合が悪いとは全然気付きませんでした。あまりに突然の不幸に驚き、涙が出ませんでした。連日猛暑日が続く8月末の出来事でした。翌年2011年2月、癌が再発しました。ホルモン療法が終了してから半年後の事でした。今度は、G2の中分化腺癌で前回よりも顔つきが悪くなっているので、問答無用に、子宮・卵管・卵巣・骨盤内リンパ節郭清手術の適用ということで、早急に手術予定日を決める話になりました。サードオピニオンまで受診し、絶望の果てに出した結論は 『 西洋医学の治療を断る 』でした。このブログでは、それからの自助療法の経緯や、心境の変化などを綴っています。結婚して4年の間に、怒濤のように目まぐるしく移り変わる出来事に翻弄されながら、今年結婚9年目を迎えました。
テーマ: 健康古民家かのう
入院・闘病生活
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります