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排毒師 めぐみです。私のプロフィールをご紹介させていただきます。生い立ち1977年、ロッキード事件があった年。今ではアイドル好きの方の聖地として有名な中野サンプラザのある中野区に生まれました。スーパーを経営する明るい両親の元に育ちました。よく服の取り合いで激しい喧嘩をした年子の妹がいます。今では私の良き理解者です。思春期の頃は色々な問題をおこしました。その度に両親は真正面からぶつかってくれました。高校一年生の時。ボーイフレンドと旅行に行くことを告げ、父からバイクで跳ねられたこともありました(笑)そのおかげか(?)今ではとても仲良しです。学生時代夢中になって何かをしたこともなく、やりたい事も見つからず、ただただ遊んでしまった学生時代。とにかく自分に自信がありませんでした。ブランド物を沢山身に付け、自分をどうにか価値のある存在にしようと頑張っていました。「社会人になったら3年くらい働いて、結婚して、寿退社。」そんな風にぼんやりと考えていました。1997年20歳/短期大学卒業・丸の内OL時代短期大学を卒業するとリース会社の営業事務として働き始めました。ここで私は社会人の基礎を身に付けました。働く事の厳しさや自分の知識のなさを知ったのです。沢山のミスもしました。大切な契約書をシュレッダーしてしまったこともありました。上司が青ざめている横で、しらっとしていた私。それがどんなに重大なミスかもわかっていませんでした。無知で、非常識だった私。そんな私のことを考え、愛情をもって叱ってくれた上司や先輩に恵まれた事に感謝です。2000年23歳/イギリスへ短期留学3年間、いつでも誰かに助けてもらっていた自分。そんな自分が嫌になり退職しました。「成長したい。」その一心で、英語もろくに話せないままイギリスロンドンへ短期留学をしました。これが転機となりました。言葉の通じない国での生活は想像以上に不便でした。自分が伝えたいことが伝わらない現実に、「言葉の通じる国で、なぜもっと積極的に動かなかったのだろう・・・」と過去の自分を恥ずかしく思いました。いつも誰かに助けてもらっていた自分。そんな自分を変えたくて訪れたロンドン。しかし、他国でも周りに助けられる自分がいました。落ち込んでいた時、友人の「誰でも助けるわけじゃないよ。めぐだから助けたいと思うから良いんだよ」この言葉で、私が助けてもらったように・・・“私も助けられる人になろう。”感謝の気持ちを忘れずに生きていこうと決意!!2001年24歳/外資系化粧品会社経理部入社やりたい事はまだ見つからず、留学した手前だけを考えて外資系の経理部に入社。当時の上司に気に入られただけで入れたようなものでした。周りは一流大学出身の優秀な人達ばかり。同期や後輩は昇進する中、私は上司に「落ち込んだりして元気がない人がいたら元気にしてあげるのが君の役目だよ!」と言われ、ショックを受けました。「私って期待されてないんだ。」そう思った時から、仕事に対するやる気がなくなりました。仕事が終わってからの飲み会や習い事、休日だけが楽しみになり、いつも愚痴ばかりこぼしていました。2004年27歳/実家のスーパーが閉店仕事に楽しさを見出せなかった時期。大型スーパーの相次ぐ出店により、実家のスーパーが閉店することに!外で働いていたのは私だけだったので、先々に不安を感じた私はOLをしつつ、週末はアルバイトを始めました。このアルバイトを通じて、「人と接することが大好きな事」、「サービス業を心から楽しいと思える事」を実感したのです。一年頑張り、アルバイトをやめることにしました。2度目の転機、初めて何かを全力で頑張った経験でした。この経験で初めて自分に自信を持つ事が出来たのです。2008年31歳/結婚・リンパドレナージュの仕事アルバイトもやめ、家のことも落ち着いた頃、当時付き合っていた彼との結婚が決まりました。それを期に、7年務めた経理部を退社。好きだと気付いたサービス業に挑戦することにしました。自分が通っていたO脚矯正・骨盤矯正の専門院にご縁を頂き脚痩せのリンパドレナージュのセラピストとして働き始めました。経営のノウハウや仲間の大切さを学びました。ここで出来た仲間は第2の家族です!同時期に大好きな叔母がクモ膜下で倒れ、健康の大切さを考え始めました。自分の技術では、その場でむくみを改善することは出来ました。しかし、根本的な原因は解決していませんでした。ですから、またすぐむくみます。原因は解決されないまま、来店を繰り返していくのです。「表面上だけの改善」ではなく、「根本からの改善」。心からお客様に喜んで頂ける知識や技術が欲しいと思うようになりました。2009年32歳/アーユルヴェーダとの出逢い・インドへ“心からお客様に喜んでいただける知識と技術”それが頭から離れなくなりました。しかし、働いていたお店は超人気店。忙しさのあまりそれを追求する時間は創ることができませんでした。「もっと学ばなきゃ」自分と向き合う時間をつくるため、退職することにしました。もっと時間がつくれる仕事を望んで、地元の整骨院で助手としてアルバイトを始めました。そこでも、身体の不調を訴える人がこんなにも多い事に驚きました。“身体の根本から改善出来るような技術”を身に付けたい気持ちはますます強くなっていきました。つくった時間を使って、「身体の根本から改善出来るような技術」を模索しました。とにかく色んなところに施術を受けにいきました。そんな中、「アーユルヴェーダ」に出逢いました。アーユルヴェーダを一度受けただけで、今までにないほど体が変わり、衝撃を受けました。本場インドで学べるスクールをみつけ、迷う事なく申込みました。アーユルヴェーダ医師の下、一からアーユルヴェーダを学びました。自分自身も本場でアーユルヴェーダを受け、更なる心身の変化を感じ、これがもっと広がれば健康で幸せな人が増えると確信!「身体の根本から改善出来るような技術」をやっと手に入れました。意気揚々と日本に戻り、自宅サロンを始めました。2010年33歳 アーユルヴェーダ専門店Padmaオープン帰国してからすぐに自宅でサロンをオープンさせました。すぐに友人、知人がお客さんになってくれました。思った以上の反響を友人達からもらいました。 「冷え性が改善された。」 「精神的に落ち着くようになった。」 「汗がかけるようになって代謝が上がった。」感謝される事に本当に喜びを感じることができました。「もっと沢山の方を健康にしたい」「幸せになって欲しい」という思いが募り、自宅から独立して『アーユルヴェーダ専門店Padma』をオープン。20代の頃、両親をみて、自営業の大変さを知りました。「自営業の人とは絶対に結婚しない」と誓った私は父が独立開業した33歳、同じ歳に開業しました。全ての事が初めてでした。何件もの不動産屋に付き合ってくれた前職上司や友人。古い建物を材料費のみで直してくれた大工の義弟。快くモデルになってくれた友人。HPやパンフレットを理想通りに作ってくれた友人。本格的に機材を持ち込み無料で写真を撮ってくれたカメラマンの友人。開業祝だとパンフレットを作成してくれた印刷会社の友人。そして、朝から晩まで1番はりきって内装を手伝ってくれた父。裏でサポートしてくれた母や妹。小さなサロンですが、みんなの愛情が沢山詰まったサロンが出来ました。2011年34歳/離婚・再スタートPadmaは素晴らしいお客様に恵まれました。 「もやもやがなくなり、気持ちが明るく穏やかになりました!」 「冷え症もなくなり、生理も軽くなりました!」 「長年悩んでいた肩こりが嘘のように軽くなりました!」沢山の「ありがとう」を頂き、お客様の帰った後に1人で嬉し泣きをする事が多くなりました。悔し泣きが多かった今まで・・・自分が嬉し泣きが出来るなんて!!5000年の歴史のあるアーユルヴェーダ。勉強がしたくてどんどんのめりこみました。有りがたいことに、Padmaはオープン以来一度も赤字になったことはありません。もっと沢山の方にアーユルヴェーダを知って、健康になってもらいたい。家事をする時間も仕事にあてるようになってしまいました。仕事がとっても楽しくなる一方で、家庭は冷え切ってしまい、結婚生活は3年で終わります。2人でとことん話し合った結果の決断でした。円満離婚でしたが、届を出した日から胃腸が動かなくなり、心と身体は繋がっている・・身を持って再認識しました。この時の私の不調を改善したのはやはりアーユルヴェーダでした。2012年現在そして未来OPENしてまもなく2年が経とうとしています。アーユルヴェーダのトリートメント人数が1000人を突破致しました。沢山の方にアーユルヴェーダを知って頂き、笑顔とありがとうを沢山頂きました。私は個人サロン、1名体制です。1日に3名様までしかトリートメントが出来ません。沢山の方に伝えたくても限度がありました。2011年素敵なご縁を頂き、講師をする機会に恵まれました。2012年はもっとアーユルヴェーダを広める為にスクールやセミナーも始めます。 沢山の素晴らしいアーユルヴェーダセラピストさんが増えること。 アーユルヴェーダの認知度が高まること。 日本でもインドと同じように「医療」として認められること。 西洋医学と東洋医学が個々に選択出来るようになること。そして、今より病気を未病な状態で予防出来るようになるのが大きな目標です!これからも初心を忘れず、私の手から出る想いで精一杯トリートメントさせて頂きたい!小さなサロンではございますが、皆様が日頃溜まってしまった心身の毒素を排出し、本来の笑顔を取り戻せる場所でありたいと願っています。サロン名Padmaの由来Padma(パドゥマ)とはインドのサンスクリット語で「蓮」です。蓮は決してきれいとは言えない泥水の池の中に根を張ります。やがて葉を水面に出しぐんぐんと太陽に向かって茎を伸ばし、朝にポンと音を立てて大輪の花を咲かせます。泥水の池は現代のように例えられると思うのです。決して生きやすい環境ではありません。だけど、「常に美しく純粋な姿でそれぞれの大輪の花を咲かせて欲しい」そんな願いを込めて名付けました。保有認定証・London Center of IndianchampissageInternatioal JAPANにて“Indian Champissage”ディプロマ取得・Fathima Kerala Traditonal Academyにて“Kerala Traditional Ayurvedic Therapist Level1+2”修了認定・ジュニアファスティングコンシェルジュ ディプロマ取得
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