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日本共産党都議会議員(2013年初当選)。活動地域は東村山市・東大和市・武蔵村山市の3市です。23年間、中小業者の営業と暮らしを守る仕事に携わってきました。安心して暮らせる東京をめざし福祉の拡充、正社員が当たり前の状況をつくるために頑張ります。【以下は2009年作成の「尾崎あや子物語」肩書などは当時のもの】尾崎あや子物語*未熟児で生まれた元気な子 あや子さんの実家は、山形県白鷹町の農家。祖父母と父母、姉の6人家族で育ちました。実家は、コメ作りを中心に養蚕、野菜、果樹、後には畜産も。お父さんは育牛で、何度も賞をとっているそうです。今でも両親は農業の現役で、牛も17頭います。 あや子さんは、1958年(昭和33年)に、妊娠7か月めの未熟児として生まれました。まわりは心配しましたが、すくすく育ち、「キャッキャッと騒ぐのが好き」な元気な女の子に。遊びも男の子たちと一緒。社交的なおばあちゃんに似たのかも知れません。 中学時代は軟式テニスに明け暮れ、県大会にも出場。この頃ついたあだ名が「たまこ」。旧姓「児玉」からきたものですが、テニス部に入部したての頃、球拾いが上手だったから。飛球の行方を見通し、俊敏にキャッチし投げ返します。 クラスの人気者でクラス委員にも選ばれていました。明るく、言いたいことをきちんと言う。「失敗してもグダグダしない。一晩寝ると、まあいいかとなる」という性格は、今もしっかり生きています。*「なぜ出稼ぎしなくてはならないのか」 あや子さんが子どもの頃の白鷹町は、冬は屋根の高さの雪に埋もれました。冬場の仕事を求めて、地域の農家は集団で千葉や東京に出稼ぎにゆきます。秋の収穫が終わる11月頃から雪が解ける4月頃まで、お父さんたちはいなくなります。残った家族も近所で助け合いながら、長い冬を過ごしました。 中学の社会科の授業で、あや子さんは、「なぜ出稼ぎをしなくてはならないのか」という思いを作文にしたためました。教師はそれをほめてくれて、農家の実態や出稼ぎの背景を教えてくれました。社会の仕組みへの問題意識が、このころから芽生えます。*「40年間の教え子の中で一番印象に残る学生」 高校は、親元を離れたきびしい寮生活。大学は、親にお金の苦労はさせたくないと夜間の短大に入学。昼間は一般企業や大学生協などで働きながら学び、「もっと学びたい」と、4年制の千葉商科大に編入します。 この頃の恩師である千葉短期大学名誉教授で、哲学を担当していた中村行秀氏は、「彼女の熱心な学習態度は40年の教員生活の中でも強く印象に残っています」と。商大でのゼミの指導教授だった竹内壮一教授(日本経済史)も、ゼミの課題の報告では「いつでも期待以上の成果だった」と回想しています。 あや子さんは当時すでに民青同盟に入っており、科学的なものの見方、考え方を学んでいました。「難しそうな哲学」も、余計に面白く感じられ、科学的社会主義の古典も次々に読んだそうです。 千葉商科大学時代に、「自然の流れ」のように日本共産党に入党。民青同盟の地区副委員長もつとめます。【中村行秀千葉短期大学名誉教授】大学卒業後も何度か会う機会がありましたが、彼女のその後の社会での仕事・経験からみても、共産党都議の一員になって石原知事の暴政と対決して都民のいのちと暮らしを守る仕事にたずさわるのにもっともふさわしい人だと確信しています。支持を広げて選挙で見事に当選されるよう期待しています。【学生時代からの友人・北川順子さん】 芯はとても強いのに、心優しく、温かい。こんな尾崎さんです。都議会議員選挙に当選し、都民の役に立ちたいという熱い思い!!この思いを古い友人として絶対にかなえさせてあげたいんです。それは、私たちの願いを実現してくれる人、都民の代表としてふさわしい人だから!「清く正しく美しく」。もう古い言葉かもしれないけれど、こんな言葉がピッタリの、尾崎あや子さんをどうぞ、都議会へ、送ってあげてください。お願いします!*「仲間を増やすしかない」―民商青年部を7人から250人へ 尊敬できる教師に恵まれたあや子さん。大学卒業後は教師になりたいと思いましたが、商業科の枠はせまく、私立高校の産休補助教員を務めたあとは、他の仕事を探すことになります。 たまたま紹介されたのが新宿民主商工会事務局員の仕事。26歳で業者運動にとびこみます。「よろず相談会」を開催したり、商店の税務調査に立ち会ったり、不渡りをつかまされた業者の解決のために走り回ったり、「怒ったり、笑ったり、泣いたりで、普通のサラリーマン生活では体験できない」人間臭い毎日。あや子さんは、持ち前の明るさで前向きに立ち向かい、学び、鍛えられていきます。 あや子さんが担当した青年部は、約2年半で7人から一気に250人にまで拡大。全都・全国を励ましました。『月刊民商』1991年11月号には、その経験を紹介するあや子さんの小論が掲載されています。「私は当初、青年部を担当して悩みました。…どうしたら元気が出て、以前のような活気を取り戻せるのか真剣に考えました。結論は『仲間を増やすしかない』ということ」「民商の班会や支部の取り組みなどが新会員や若い人の出やすい雰囲気になっているのか、一人ひとりを大切にする活動になっていたのか、など民商そのものの在り方について考えさせられました」「部員を主人公にした活動の具体化が成功のカギを握ると思います」。 物事に真摯にたちむかい、仲間を愛し、楽しく活動。今候補者として、まわりを励ますあや子さんの、青春時代の姿です。*「仲間の心の叫びをもう一度よく聞こう」 全国商工団体連合会での2年間にも、あや子さんは大きな仕事をします。全商連共済会の共済金支払い実務にたずさわったあや子さん。「自殺」の多さに驚きます。単なる統計や実務に終わらせてはならない、「ひとりの犠牲者も出さない」という共済運動の原点に立った検討が必要だと、独自に調査。「病苦」とされていた53歳の青果業の男性も実は借金苦で、遺書には総額1億円の借金を8千万円の保険金で支払うよう書かれていました。業者の生活実態が見えてきました。 「長引く不況で、商売の展望が見えにくい現状では、『自殺』は、もはや特別な人のことではなくなっています。“あすは我が身”と思っている人も多いのではないでしょうか。」「民商・共済運動の理念は、一人の悩みを、ひとりだけのことにとどめず、団結して、知恵を出し合い、励まし合って乗り越えていくことです。会員同士はもとより、お互いの家族も信頼関係にあってこそ、民商・共済のすばらしさが発揮されます。」「不況の問題・融資の問題・強権的な税務調査――国の政策が、大企業本位ではなく、中小企業を大事にする行政であるならば…と、強く感じます。中小業者が大事にされる社会の実現に向けた運動の推進と、一人ひとりの業者の悩みを、具体的につかみ解決していくことが、あわせて求められているのだと思います。」(『月刊民商』96年4月号より) 「なによりもまず、自殺してしまった仲間が、なぜ自ら命を絶たなければならなかったのか、心の叫びをもう一度よく聞こうではありませんか」(同)。あや子さんのこの提起が、全商連の共済会が、運動の重要性をふかめる大きな契機となりました。*多重債務解決へ、「グレーゾーン」撤廃運動の立役者 1997年から11年間勤務した東京商工団体連合会では、経営対策担当として活躍。寄せられる相談の解決にとどまらず、要求をどう運動化するかを追求してきたあや子さん。当時大きな問題になっていた多重債務問題で、画期的な役割を果たします。 それまで、各地の民商で、多重債務の相談や調停、返済計画をつくり解決にむけて励まし合う「道場」や「会」の活動がおこなわれていました。しかし、「借りる方が悪い」という見方が根強くありました。それに対して、高金利の貸し出しを行っている「貸し手責任」をこそ問題にすべきだとがんばったのが、あや子さんです。利息制限法の上限金利15~20%に対して、出資法の上限金利は29・2%。しかも利息制限法には刑罰がないため、サラ金やクレジット会社などが出資法すれすれの「グレーゾーン」金利で融資。この異常な高金利こそ、破産や自殺などの深刻な多重債務問題の根源です。中小企業には貸し渋りながらサラ金に資金を供給している銀行、高金利を放置している政府にこそ責任がありました。あや子さんは金融アンケート調査で、業者が資金繰りでサラ金から借りざるを得なくなっている実態を明らかにします。商工ファンド本社前での抗議集会や集団交渉、東京簡易裁判所調停員の態度改善の申し入れ、警視庁やサラ金コマーシャル放映のテレビ局にも申し入れます。国会議員団との懇談や国との交渉、東京都とも交渉を重ねて、都の相談窓口を拡充させます。東京から発信された運動は全国に広がり、大きな世論の高まりの中で、2006年に出資法金利が20%に引き下げられ、グレーゾーンは撤廃。今年12月に施行されます。【全国商工団体連合会会長・国分 稔さん】「グレーゾーン」撤廃運動の仕掛け人は尾崎あや子さんです。額に汗して働く中小業者を信じつづけた尾崎あや子さんだから、こんなに大きな役割を果たせたのだと思います。都政にぜひ送り出していただきたい、私からもお願いします。*「やったことのないことをためらわずに」「構造改革」政治の不良債権処理や地域金融機関の破たんと合併などのもとで、地域の金融機関のあり方が問われました。あや子さんは、金融関係の研究者や労働者、自治体職員などと金融情報交換会で学習し議論を重ねながら、金融シンポジウムも開催。全中連主催のEU・OECD視察にも参加し、EU「小企業憲章」やフランスの「出世払い融資」などを学び、全商連の「金融政策提言」の作成にも加わりました。東商連として信用金庫本店との懇談を毎年おこない、地域経済の再生への共同の道をさぐります。自治体の制度融資問題では、東京都への3年越しの要求で、「借り換え融資」制度を創設させました。中小企業はまじめに返済しているリスクの少ない融資先です。「中小業者の役割である地域に貢献すること。地域内の資金を循環させることで地域の経済が活性化するという地域での役割を中小企業者自身が自覚し誇りを持つことが、今求められていると思います」(2003年、中小商工業研究第74号より)。「やりたいこと、やったことのないことを、ためらわずにやる。楽しく活動してきた」というあや子さん。次々に新しい企画にとりくみます。業者の仕事場見学、早稲田商店会会長や東京米穀組合長をそれぞれパネラーにしたシンポジウム、都立航空高専のロボット見学と学生との交流、「ものづくりの楽しさ再発見と製品展示」…。いつでも足を運んで飛び込んで、一部の経験をみんなのものに広げて、みんなで学習して、行動につなげる。「中小業者運動が大好き」というあや子さんです。*実態調査と当事者の声こそ一番の力業者婦人にとって、家族の働き分(給与)を必要経費として認めずに、事業主の所得分として課税対象にする所得税法56条を廃止することが、積年の課題です。あや子さんは、東商連婦人部協議会事務局長として、業者婦人に寄り添い、一人の人間としての働き分を認めないのはおかしいと運動の先頭に立ってきました。いつでも要求をつかむこと、実態をつかむことを出発点にしているあや子さん。東京都に「女性自営業者・家族従業者の実態調査」の実施を迫るために、東婦協として2千名を目標に実態調査をおこないます。目標を上回る2127人の業者婦人から寄せられた実態は、「ほとんど眠る暇を惜しんで働いているのに、生業だけでは生活できず、借金。借金が借金を呼び、生活に余裕がない。一生懸命働いている人が報われる世の中になってほしい」など、切実そのもの。都政への要望で多く寄せられたのが、「医療・介護・子育て支援」「商店街の活性化」「ごみ有料の軽減」「融資制度の拡充」。あや子さんたちは、この実態と声を広く知らせようと、都庁前宣伝と東京都への申し入れをくりかえします。日本共産党都議団事務局員の秋田さんは、「尾崎あや子さんは、業者の方々の実情をとてもよく把握していて、交渉の場ではまるで自分のことのように、業者の思いに立って熱心に訴えていました」と述べています。都議会で都民の願いを直接ぶつけたい。都議選への挑戦は、あや子さんにとって、自然な流れでした。【東商連婦人部協議会会長・井賀久恵さん】 大変な中でも、大好きな商売を続けたいとがんばる私たち業者婦人の心にしっかり寄り添い、共に歩もうとする姿が感じられ、とても頼もしく思えました。運動の局面で、その時にぴったりと合った活動方針や政策を提案する能力に、いつも感心させられたものです。 遠くからの通勤で、夜遅くなることもあったのに、帰宅後にお子さんの弁当を準備されたようです。愚痴一つこぼすこともなく、頑張り屋で家族思いの方です。弱い者いじめの石原都政を変えてこそ、私たちのくらしと商売を守れるとがんばる尾崎あや子さん。何としても都政の場での活躍を期待しています。*「働き者で骨身を惜しまない人」 あや子さんの夫は、東大和市議会議員の尾崎利一さん。あや子さんが29歳の時、新宿民商での職場結婚でした。 「新宿民商にはじめて出勤して、緊張しながら『こんにちは』と声をかけた私の方を見て、ニッコリ笑って迎えてくれたのが彼だった。八の字眉の笑顔に、なんとなくホッとした」そうです。当時の事務局長が、若手の男性事務局員を居酒屋に集め、「彼女には3年間は手を出すな」とくぎを刺します。 3年後、あや子さんは3人の男性から同時に交際を申し込まれました。その中から選んだのが利一さん。利一さんも一生懸命アタックしました。「同じ職場の中で、彼が信頼できる人であることは早くからわかっていた。一番私をわかってくれ、自分が無理をしなくても大丈夫な人」だったからです。業者運動の中で3月の税金申告の時期に次いで忙しい12月下旬。一人娘を出産したあや子さんのもとへ、利一さんが山形の病院まで駆けつけて、「ありがとう。お疲れ様」と大きな花束を持ってきてくれたのは忘れられない思い出です。 利一さんはその後、日本共産党の新宿地区委員長をへて東大和市議に。地域で党支部のみなさんとともに活動し、政治を動かす利一さんの姿を見てきたあや子さん。このことも、あや子さんの都議会挑戦へと背中を押しました。【夫の尾崎利一市議会議員】 尾崎あや子は、働き者で骨身を惜しまない人。結果を恐れずに、正しいことは正しい、間違っていることは間違っていると言える人。日本共産党の政治家として、確固とした足場を持っている人だと思います。 中小業者運動も、惰性に流されず、運動の前進を切り開いてきた人です。こういう人だからこそ、都民の要求に固く依拠した、すばらしい都議会議員になれると思います。【小松恭子前都議】 あや子さんの一挙手一投足に感心させられています。物事を立体的、総合的にとらえ、論理的で、行動は柔軟です。記憶力とともにメモをとり記録する力も見事。ビラ作りも圧巻ですよ。こんなすごい能力を持ちながらも、一面では大変優しく思いやりある方です。家庭を大切にし、お姑さんへのきめ細かな心遣いも温かなものを感じます。だからこそ、一人ひとりの要求をじっくりお聞きして、その解決に全力を尽くせるのでしょう。現職都議からも「素晴らしい後継者。対都交渉ではいつも積極的に提案し、鋭く論戦しています。必ず都議会に送ってくださいね」と待たれています。【池田真理子衆院比例・東京20区予定候補】 「現場に行ってその声を聞いたことがありますか。ぜひ実態調査をしてください」。障害者自立支援法見直し問題での政府レクチャーの場で、尾崎あや子さんは、凛とした声を響かせました。それぞれ都政と国政をめざす候補者として一緒に活動しながら、あや子さんがくらしの声に深く共感し、我がことのようにきっぱりと主張し、改善を求めて速やかに行動する姿に、私も学ばされています。私より数歳年下ですが、時には格段の若さを感じ、時には年上のような頼りがいを感じています。あや子さんを都議会に送るため、私も全力でがんばります。*「私を何としても都議会送り出してください」(尾崎あや子) 昨年8月末の出馬表明以来、早朝の駅頭をはじめとした宣伝や演説会、小集会、訪問活動などの候補者活動を、生き生きとこなすあや子さん。都立清瀬小児病院存続などのさまざまな要求運動にとりくむとともに、各分野での懇談を重ね、寄せられる切実な声をもとに、東京都や国、地元自治体に何度も要請行動をおこなっています。そのあや子さんが語ります。 日を追うごとにどんどん楽しくなっています。「都市農業では税金が大問題」「元気出せ商店街事業費の倍増をぜひ実現して」-農家でも商店街でも、共産党の政策、私の提言は共感を持って受け入れてもらえます。「高齢者医療費無料化ぜひやってほしい」と固く握手してくれる方。なにより、街頭の訴えで、署名活動で、清瀬小児病院なくしてはならないし、存続させることは十分可能だと実感しています。「子どもが命を救われた」「なくさないで」との声はそれほど切実です。 選挙でも、やりたいこと、やったことないことを、ためらわずにどんどんすすめたい。都民の切実な声に真摯に向き合う都政に変えるために全力でがんばります。なんとしても私を都政に送り出してください。
テーマ: 横田基地問題
テーマ: 都議会活動
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