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こんにちは、「人生が変わった30代からの習慣」の小野尾(おのお)です。私は28歳のときに会社を辞めて、2年間の浪人生活を経て30歳のときに公認会計士になりました。36歳で開業して事務所を構え、現在は公認会計士と税理士の仕事をしています。同世代の経営者と同じ経営者として経営に関する話をするのが楽しいですね。さらに新しく、人を育てる事業を始めようとしてブログやメルマガで情報発信をしています。ささやかながらですが、マイホームを持ち、週末などに家族3人で出かけるのを楽しんでいます。おかげさまで公私共に充実した生活を送っています。という経歴を話すと「充実しているのは転職したり、起業したからでしょ」と思うかも知れませんね。でも、そうではないのです。というのも、公認会計士になってからも、開業してからも、心のどこかに「このままでいいのかな」という不安があったからです。不安がなくなってきたと感じられるようになったのは開業して6年ほど経った42歳の頃です。・・・・・・私は理工学部の大学院を卒業して機械メーカーに入社しました。漠然と機械の設計開発がやれればいいなと選んだ会社です。しかし、入社して担当することになった業務は、機械そのものの設計開発ではなく、システムの開発業務でした。しかも、大学での専攻が全く役に立たない業務でした。前向きに取り組もうと独学で勉強したりもしましたが、身が入りませんでした。追い打ちをかけるように、会社の業績が悪い上に社内雰囲気はよくありません。個人的にも人間関係がうまく築けませんでした。いつの日からか「このままでいいのかな」と思うようになりました。その想いは日に日に強くなっていきました。やがては「会社を辞めよう」と思うようになり、「会社を辞めてどうするか」を考えるようになりました。考えに考え、一人で悩み抜いた結果、人生をやり直す意味も込めて、会社を辞めて、公認会計士の資格を取ることに決めました。27歳のころです。しかし、なかなか上司に辞意を伝えることができず、結局、会社を辞めることを決断してから1年近くたった28歳の夏にその会社を辞めることになりました。・・・・・・・会社を辞めた私は、貯金を取り崩しながら一人暮らしをして、公認会計士の試験勉強に専念していました。友達関係も断ち、好きだった格闘技やプロレス雑誌を買うのもやめ、テレビを見るのもやめて、勉強に集中しました。朝5時に起きて、1日12時間を超える勉強をする生活を続けました。毎朝5時半に家を出て駅まで30分歩いて学校に通っていました。「絶対に試験に合格する」という強い思いと、「絶対に大丈夫」という前向きな気持ちが私を支えていました。しかし、残念ながら、はじめての受験は不合格。手応えは感じられたのでもう一度挑戦することに決めました。両親の理解もあり、実家に戻ることができ、さらに試験勉強に専念できるようになりました。1日12時間を超える勉強をする生活をまた続けました。二度目の受験の3日間の試験が終わったとき、試験会場の早稲田大学の構内のとある木の下で座り込み、脱力感と開放感に浸っていました。8月の割には気持ちよい風が顔に当たっていました。そして「もうこんな生活はもうできない・・・」と思いました。試験結果は2ヵ月後です。合否は霞が関のどこかの官庁の掲示板か官報で確認できます。私は合格発表日にインターネットで官報を見ました。はやる気持ちと緊張を抑えながら受験番号を若い方から追って行きました。徐々に私の番号に近づいていきます。そして、ページをめくったときに不意に私の番号が目に飛び込んできました。畳の上で大の字になって伸び上がりました。心の中では大はしゃぎでした。でも、それも束の間でした。なぜか、心に穴が開いた感じでした。「合格しちゃった・・・」2年間浪人して、毎日12時間以上勉強して試験に合格したのに、ですよ。合格したはいいけど、また何か頑張らなくちゃ行けないという気持ちがあったんだと、今は冷静に見ています。・・・・・・晴れて公認会計士になり、公認会計士の専門業務である会計監査という仕事がスタートしました。が、すぐに違和感を感じました。仕事内容もそうですし、職場の人間関係もそうでした。何か私が求めていたものとは違っていたのです。そんな違和感を抱えながらも業務は続けました。会計監査の仕事を始めて2年位経った時に証券取引所に出向させて貰い、株式上場審査業務をやらせてもらいました。経験を積むのと世界を広げるのが目的でしたが、本当は違和感を解消させるためだったのかも知れません。IPOバブルだった32歳のことでした。1年間の出向を終えて職場復帰したものの、会計監査の仕事が肌に合わなかったので転職することにしました。転職先はIPOコンサルティング会社でした。株式上場審査業務の経験を活かせるのと、会計だけではなく会社経営により近いところで経営者をサポートできると考えたからです。期待を持って入社したものの、IPOバブルが終わっていたこともあり、コンサルティングの仕事はほとんどないという状態でした。しかも、社長の従業員に対するあまりにも理不尽な態度に見兼ねるものもあって、その会社も1年ちょっとで辞めました。この時点で開業することになってしまいました。もっと経験を積んで人脈を広げてからと考えていたので想定外でした。36歳のことです。開業した以上、仕事を取ってこなくてはいけません。勉強会や交流会に顔を出しては名刺を配りまくりましたが、ほとんど成果は出ませんでした。情けないことに開業したのに営業トークができなかったのです。それでも、ほかの公認会計士から仕事を貰ったり、知り合いから仕事を頂きながらしながら何とか食いつないでいきました。名刺を配っていくという営業手法がうまく出来なかったので、私はインターネット広告に活路を見出しました。コンサルティング会社に仕事を依頼し、ホームページを作成し、グーグルやヤフーに広告費を払うことでお客さんを増やそうとしたのです。百万円を優に超える投資をしました。その甲斐もあって少しお客さんを増やすことができました。やっと経済的に安定するようになりました。ただ、問題がありました。問い合わせ電話が鳴るたびにドキッとしていたのです。問い合わせが来て欲しくなかったんです。開業してお客さんが欲しいはずなのに、投資を回収しなくちゃいけないのに。・・・・・・幸いだったのが、インターネット広告のコンサルティング会社の担当者が、単なるコンサルタントではなく、人生を見つめ直すことのサポートもしている人だったのです。今の仕事を続けていくのか、違う道を進むのか、一緒に考えてもらうことができました。割とすぐに方向性を決めることはできたのですが、心の方がついてこなかったですね。頭では決められたけど、心がついてこない。これだと思ってやり始めても、なかなか続かない、ということを何度か繰り返しました。あるいは、こんなことをやってみたい、あんなことをやってみたい、そんなことしか話せず、なかなか前に進めませんでした。でも、諦めることなく、根気を持って続けました。やれること、やる気になったことがあったら、それをコツコツと続けてきました。諦めずに続けてきたことによって、少しずつ「これでいいんだ」と思えるようになってきました。方向性を決めてから2年くらい経ったころでしょうか。42歳も終わりに近づいていました。ようやく、「これでいいのかな」という不安が解消されて、公私共に充実した生活を送れるようになりました。・・・・・・思い返せば、会社を辞めようと思った27歳のころから、本を読むようになりました。正確な数は把握していないので、もはやわかりませんが、延べ数でいったら1000冊以上、もしかしたら2000冊を越えているかも知れませせん。分野も仏教や心理学、東洋思想、成功法則や成功哲学、日本の歴史、神道など多岐にわたっています。本を読んでは自分を見つめ直すことを繰り返しました。その間、転職もしたり、起業もしたりしました。時間もかかりましたし、遠回りもしましたが、逆に時間をかけて幅広く学んだからこそ、気付けたこともがあります。それは、どうすれば人生を変えることができるかに関しては、古今東西、同じことが言われているということです。それさえわかれば、実は割と簡単に人生を変えることができるのです。どうすれば人生を変えることができるかを知りたくなったら、7日間の無料メールセミナーをぜひお読みください。私は自分の経験と知識を活かして、私と同じように「このままでいいのかな」という漠然とした不安を持っている人や「人生を変えてみたいけど、どうしたらいいかわからない」という人のサポートをしています。また、私が幅広く学んだ中でつかんだ普遍的なこと、私が実践してその効果を体験したものを一人でも多くの方の役に立たせたいと思い、ブログやメルマガで情報発信しています。ぜひ応援をしてください。よろしくお願いします。では、7日間の無料メールセミナーでお会いしましょう!セミナー実績(社)メンタルプロモート「受容とあるがまま」(株)プロネクサス「事業計画策定セミナー」会計参与支援センター「上場審査担当者が語る上場審査のポイント」他著書「一番良く分かる税務・労務・経理 基本と実務」(西東社)
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