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【起業家】株式会社トレンド・プロ代表取締役33歳の時(1988年11月)に起業。広告マンガ制作会社として日本初、日本一の実績。社員数1万人、年商1兆円の大企業で活躍、中小企業勤務経験から起業の第一コンセプトは、「大企業ができないやらないことしかやるな!」です。そうしないと必ず倒産します。業種業態は好きなものをやればいい。経営信条は「日本初」と「差別化」経営戦略は「ランチェスター戦略」と「戦わない経営」【若者を育てる活動家】岡崎塾塾長大企業、中小企業勤務、起業、倒産の危機を乗り越えた経験を活かして50歳(2005年秋)から就活生を対象に「岡崎塾:人生指導塾」を主宰。5年間の内定率は97%。指導育成相談期間は岡崎が死ぬまで(希望者のみ)塾生OB・OGは、企業「内定」「入社」で安堵せず三菱商事、電通、航空会社CAなど大企業からベンチャー企業まで各分野で活躍中。社会人になってからも成長し続けていることが岡崎塾の特徴である。「内定がゴールではない!」「人間はどうしたら成長できるのか!?」が岡崎の生きる命題です。私は死ぬまで成長し続けたい。岡崎塾は本気で自己成長、自己実現を望む若者が集まる場である。なりたい自分になるために、必ず夢は実現する。指導法は「帝王学」を元にした実践型対面指導。就活生向けには、1期7名のチーム就活が基本。■2011年4月より、就活前の大学1、2年生を対象にした目標達成型個別指導を開始。就活を意識せず大学生活をエンジョイしながら「内定力」がバツグンに向上する特長がある。■2011年4月より「ビジネス本」ベストセラー作家×岡崎とのトークライブイベント開始>>詳しくは19歳まではケンカできない、スポーツできない、勉強できない、人前でしゃべれない、女にだらしない、とにかく「弱い男」だった。このままの人生なら死んだ方がマシだと思えた時から逆転人生が始まる。19歳で地元大学を退学。外資系企業でコミッションセールスを経験。20歳で中央大学へ入学。これまでと正反対の人生を歩む。ポイントは「自問自答」による自分の心の声を聞き、それを毎日実践する練習。他者の評価ではなく自分自身の欲求を自分が素直に感じることができれば「なりたい自分」に近づいていく。それ以降、恋愛、交友関係、スポーツ、バイト、社会人との交流、全てが上手く行き出す。1980年ヤマハ発動機入社。83年東京支店トップセールス。84年本社マーケティング担当。85年VOIS(顧客管理代行システム)、今で言うCMSの様な仕組みを考案、PLとして全国導入。母の死をきっかけに87年1月退社。1987年2月プランチャイズラーメンチェーンに転職。プランチャイズ本部管理室長。広告、広報、採用を担当。中小企業の悲哀を感じ88年8月退社。1988年11月株式会社トレンド・プロ設立。「日本初、日本一」になれる業態を目指しコーヒーの焙煎販売事業を起こすも軌道に乗らず1ヶ月で撤退。結婚式の披露宴で配るブライダルコミックを考案、お客様からの評価は高いが3作作るも採算に乗らず厳しい船出となる。3カ月で資本金は底をつきまずは借り入れに奔走。1989年3月宣伝会議に「私たちは文章をマンガに変換します」のキャッチコピーで広告を掲載。掲載翌日より電話が鳴り続け半年で3000万円の売り上げ。3年間は倍々ゲーム。「こういう会社を待っていた」「マンガを描かせて欲しい」「社員になりたい」と様々な問い合わせを頂く。TV、新聞、雑誌の取材が殺到し、記事が記事を呼ぶ好循環。日本に「広告マンガ」という新たなジャンルが出来上がった瞬間だった。良い時代は長くは続かず1998年、営業社員が全員退社、倒産の危機を感じる。こういう時の戦略などない。ただやるべきことを全力でやるだけ。後は覚悟を決め、運を天に任せることだ。私が運が良かったのは、ちょうどその頃からインターネットが爆発的に普及し始めたこと。会社のホームページに新規問い合わせが来はじめた。その問合せ数が月1から月2、週1、という具合に増えていき営業マンの代わりになろうとは思いもしなかった。それ以降、営業マンなし、広告費なしとなり経営効率がバツグンによくなった。2005年以降は毎日新規問い合わせを頂いている。2005年秋「岡崎塾」活動開始。>>>もっと詳しくは
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