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テーマ: ブログ
2022年03月18日 16時49分
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プロフィール
潜在意識アロマ®と深層リンパドレナージュ™セラピストのhiloと申します。
沖縄県出身、在住。二男、一女の母親。
看護師をしながらセラピストとしての活動をしています。
しばし、私の自己紹介にお付き合いください。
元々はのんびりマイペース、なんくるないさーな性格でした。
記憶がある年齢からすでに集団が苦手、外出すると体調が悪くなり、家の中でも人が来ると隠れることもあったほどの繊細さ、他の人と感覚が違う、人に合わせないと恥ずかしいと姉に言われ続け、無理して人に合わせていた学生時代。
人に干渉されるのが大嫌いで、学生の頃は早く家を出たいと思い、外国や誰も知らない世界に行けば自由になれると思っていました。
高校卒業後は神奈川県の専門学校へ進学。新しい環境で楽しい生活がスタートした矢先、母親が鬱になり数ヶ月で沖縄に帰ることになります。母はかなり重い鬱の症状でした。母親が自分で自分を傷つけるのを目の当たりにし、明るくて優しかった母親はそこにはいない感じがしていました。病院の看護師さんの言葉かけに勇気をもらい、誰かの役に立てる仕事がしたいと看護師を目指します。
看護師になり、仕事はかなりハードでした。仕事を覚えるにつれ役割や周囲の期待も増えていき、いつの間にかマイペースな自分はなく、周りに合わせなきゃ、期待に応えなければと、自分が頑張ればどうにかなるとがむしゃらに働いていました。
仕事でまたもや地元から離れ離島勤務をしていた頃、時々電話で話す母親の言動の異変にまたもや嫌な予感が...また鬱が再発したのかと思わせる言動でしたが、50台の若さで若年型アルツハイマーとの診断でした。その後の数年は実家近くの病院へ転勤し、母親の介護をしながらの勤務、この経験はつらいこともありました。今振り返ると父と母の絆を感じることができ、人として大切なことを知ることができた素敵な時間だったと思います。結局、母は、60歳を目前に亡くなりました。その時までは西洋医学がすべてだった私が、その時は治療法はないと言われ、何もすることができず、無力感を感じました。
自然療法との出会い
患者さんから「大変なことになっているよ」と、テレビを指しながら声をかけられたことを覚えています。なんとなく目に映ったのは津波の映像、その時はなんのニュースかもわからず、それに足を止めることもできず、目の前の仕事をこなすことでいっぱいいっぱいでした。「2011年の震災」私の近くで起こったことではなかったのですが、患者様の話にも気を止めることもできず、すさまじい映像を見ても何も感じることなく、周りを見る余裕もなく。私は誰のために、なんのために看護師をしているのだろう、、、とその日を境にはっとしたことを覚えています。
その後は、働くことに意味を見出せなくなり、体調不良と二人目の妊娠をきっかけにお休みをとることに、何もしない日が続き、看護師をしていない私になんの価値もないと思うように、、、無価値観が強くなっていき、身体的にも動くことすら億劫に、精神的にも落ち込んでいきました。しかし、精神的に落ち込んでも人にはそう思われたくない、負けず嫌いな私は人前では平気な振りをしていました。
2人目を無事出産後、美容室でなんとなく目に入った講座の案内に惹かれました。キネシオロジー、メディカルアロマ、初めて聞くその内容に感動。それまではアロマは良い香り、癒しの効果はあるなーとしか思っていなく、香りがするものは人工でも、自然なものでも違いはないと思っていましたが、アロマを使ったキネシオロジーで香りの即効性を体感、本物の精油の香りを嗅ぎ、精油の効能を知ることで、母親が生きているうちにその講座に出会えてたらなという思い。そこから自然療法に惹かれていきます。
仕事復帰後は身体がすでに拒否をしていたことに気が付きます。時短勤務を希望し、アロマの資格取得に挑戦しました。同時期、深層リンパドレナージュとも出会います。キネシオロジーの先生がやっていた深層リンパドレナージュという手技。身体のメンテナンスのために受けてみた所、オステオパシーの手技で強い痛みはなく身体に触れていくのですが、微睡の中で身体が緩んでいく感覚と施術後の頭がすっきりする感覚。自己治癒力の覚醒を促すという手技に惹かれました。タイミングよく講師の先生が県外から来られ、沖縄で講座が受けられるとのことで受講。同時期にそれぞれの受講は大変でしたが無事に資格取得。それ以外にもフラワーエッセンス、靈氣や東洋医学と学んでいく中で、自分が癒され、自分を取り戻せたことを実感していきました。
今の仕事を辞めて、起業したいと思うように!
その気持ちを夫へ伝えると、理解はしてもらったものの、条件は今よりも生活の質(給料)を下げない事。少しずつ自分を取り戻していた私は、持ち前のなんくるないさ〜と14年務めた病院を退職しました。
資格をとった後、看護師のパートをしながら、自宅サロンをスタートします。しかし、集客しても自信がないからお客様からお金が頂けないない、自宅サロンで準備を含めるとかなりの労力と収入が見合わない。仕事をしながらの集客でなかなか自宅サロンをオープンする日が少ない。ダブルワークの看護師の仕事もやればどんどん忙しくなる日々。
そんな中3人目の妊娠が分かり、夫は大喜び。私は自分のやりたいことができなくなるという思いが出てきてしまい、全力で喜ぶことができなかった。その後流産してしまい、つらい手術。自分らしくのつもりが、夫や家族の事を後回しにしすぎて本当に大切なものを見失っていたことに気が付きました。
流産後は体調が思わしくなく、いったん自宅サロンは休業することに。
その後は精神科病院での勤務を開始。
そんな中、妊娠が分かり家族みんなで喜びました。今度こそは大切な家族のためにも自分のためにもいい出産をしようと心に決めました。自宅からは距離はありましたが自然療法も西洋医学も両方大切にしているクリニックで出産。出産後の食事もマクロビを中心とした食事で素晴らしかった。本当はもっとゆっくりしたかったはずなのに、またしても周りに遠慮して早めに退院をきめてしまった。
退院後、子供に先天性の心疾患が見つかる、退院後呼吸の異変を感じていましたが、2週間検診で相談し問題なく、でも変だなと思っていたらどんどん状態は悪くなり、緊急手術。
自分の選択に何度後悔するのか、産後ゆっくり入院していたら早く気づいたかもしれない、異変と思った時点で何度も病院へ行くべきだった、もっと早く受診させればよかった。
この前大丈夫だと言われたし・・・と自分のプライドがなんとなく邪魔していること、思ったことを直ぐに行動しなかった自分をまた責めた。自分を責めてもどうしようもないこととはわかっていても、自分の馬鹿さ加減にあきれてしまった。今は、無事に元気に育ってはいますが、小さい体でよく手術に耐えてくれた、入院中は祈る毎日。そのことが更に家族の絆を強く、やさしさや思いやりを育ててくれたと思います。今度こそは後悔しない人生を歩むと心に決めました。
仕事復帰し、セラピストとしての再開も目指していたところ、潜在意識アロマに出逢います。体験会・説明会で潜在意識アロマについて知ることで、今まで学んできたことが私の中で繋がると確信。学んでみてさらに想像以上の潜在意識アロマの魅力、可能性を感じました。
潜在意識アロマの学びの中で、他人軸で生きていた事、くそまじめで完璧主義な事、自分で制限をかけて動けなくなっていた事などに気づき、どんな自分も認められてるようになっていきました。これからの未来も自由に創造できる。潜在意識アロマで自分自身も癒され、自分を信じられるようになっていきました。本当の意味での自由が感じられた気がしてます。
セラピストとしての思い
私の今までの経験の中で、西洋医学でたくさんの人の命が救われるのを見てきました。
人の最期にも立ち会う事もありました。慢性的な病気で症状を繰り返す方も見てきました。
病気だけに限らず、色んな人の人生の一部に触れる機会が多くありました。それらの経験から学んだ事は多く、全てを言葉にすることは難しいのですが、自分の身体を医療者やセラピスト任せにするのではなく、それぞれが自分としっかり向き合う事ではないかと思います。自分の身体、自分を信頼し向き合うお手伝いを潜在意識アロマ、深層リンパドレナージュを通してできると実感しています。
一人一人が本来持っている魂の生き方に向かい、楽しく生きるためのお手伝いができる事が私の喜びです。
子育てが落ち着くまではゆっくりとしたペースで、ライフワークとしてのセラピストとライスワークとしての看護師の両立をしていきます。
数少ない予約日となりますが、必要な方に届きますように。
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