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4月15日に熊本県天草郡牛深市で生まれる。 21歳、関東逓信病院に就職。 2病棟2階という一般外科病棟に就職。 そこで、数々のショッキングな医療の現実にぶつかり、 疑問を感じ、その現実と戦い、笑ったり、泣いたり、怒ったりしながら、外科系スペシャリストナースを目指し、中学生以来の勉強を始める。 就職2年目で、はじめて外部研修を受ける。看護記録についての岩井邦子先生の講義。そこで、インスピレーションを感じ、POS、フォーカスチャーティング、看護診断といった、看護記録を極めようと挑戦。 癌看護、褥創ケア、ストーマケアに関心を持つ。 3年目に手術室へ移動。手術室では外科のことは何でも知っているつもりの私の自信がガタガタと崩れ落ち、なんにも知らなかったんだと、改めて勉強する。 5年ほどでICUへ移動。この移動は、自分なりに外科系ナースとして必要だと感じていたので、強く希望して、希望通りに移動となる。急性期の対応を学ぶ。 ICUは、勉強になったが、長くいる場所ではないと判断して、またもや移動を希望。2年ほどではじめに就職した2病棟2階へ移動。今まで勉強したことをすべて、出し切ることのできる現場だった。 この時、サリン事件がおきて、3名くらいの方が入院された。貴重な体験だった。 友人を巻き込んで、「スキンケア研究会」を作り、褥創やストーマケアの自主的勉強会をやった。あの頃は、まだ、褥創ケアに対しての診療報酬加算はなかったので、あまり相手にされていなかったが、あの頃のメンバーが、今になって、スキンケアのプロフェッショナルとして頑張っているらしい。 病院が建替えをするので、ナースが余ってしまうため、附属看護学院の教員として研修に行く人を募集していた。教育には関心があったので、手を挙げて、教員となる。 母校の教員生活は、若い学生たちと飲みに行ったり、恋愛相談を受けたりと楽しい1年だった。 そして、1997年、私にとって、ターニングポイントの年だ。外科系のことなら、まかせて!という私に婦長さんから「クリティカルパス」の係をやって頂戴!との話がきた。基本的に仕事をお願いされたら、断らないのが主義なので、もちろん、即OK。 クリティカルパスのことは、看護雑誌でチラッと読んだだけの知識だったが、これはおもしろい!と思っていた矢先だった。 それから、あっという間に、看護部長ともに書籍を執筆、現在のパスのモデルとも言われている胃がん手術のクリティカルパスを開発していくこととなる。 1年の学院教員研修が終了すると、病院建替えにむけての電子カルテの担当ナースとして、看護部付けに配属となる。白衣を着ないで、院内をうろついていると、内科の医師から批判がきていたらしが、看護部長が守ってくれた。 電子カルテの中にクリティカルパスを入れるという構想があったので、私の仕事は、電子カルテ担当とパス担当だった。 全国にクリティカルパス開発・導入の方法セミナーを週末に行い、平日は普通に病院勤務をしてという生活で、かなり疲労していたが、日本の医療界にクリティカルパスを導入させるという使命が楽しくて、看護部長の傍でたくさんの勉強ができて、ワクワクだった。 でも、その頃の私は、30歳を過ぎて、これから、ナースとしてどうしたいのか、模索していた。このまま病院にいて、普通に主任になって、婦長になって、出世していっても大病院で、なおかつ企業病院であるために、安定はしているが、大企業であるがゆえのジレンマも多く、歯車のひとつで終わるのはつまらないなぁ、と思っていた。 その時に、書籍を一緒に作ったメンバーの方からお誘いを受け、医療法人の役員として働くこととなった。在宅医療を手がけている医療法人で、経営管理を勉強できるチャンスだった。病院にいると管理はできるが、結局、大きすぎるために経営までは、手がけることは難しい。小規模な法人であれば、実際に経営に携われるのではないかと感じた。 そして、看護部長は、私のためになるからと、了解してくださった。電子カルテもクリティカルパスもこれからという時だったのに、看護部長の器の大きさに感動した。 そして、医療法人では、役員ではあるが、現場にスタッフが足りない状況が続いていたので、訪問看護師として、在宅看護を体験し、在宅ケアの面白さに目覚めた。訪問看護は、ナースの力量がはっきりする現場である。 実力のないナースは訪問看護を続けるのは難しい。 特に在宅ターミナルケア、ご自宅で見取りを希望される方の癌看護は、やりがいのある仕事だった。 ただ、悲しいことは、本当に実力のあるナースが数少ないという現実を知ったこと。もっと、ナースが実力をつけないと、在宅ケアを選択する患者さんが、不幸になる。 そして、平成12年介護保険がはじまった。 デイサービスをスタートさせ、開設のための申請方法や新規オープンでどうやって、利用者を集めるのか、そして、自立に向けての介護ケア方法を勉強した。 理事長は、今までに出会ったことのない医療介護に関する知識の豊富な方だったので、この5年間で20年分くらいの知識を得ることができた。感謝している。 経理や総務や人事などのような経営管理業務も一手にやっていたので、様々な法律に基づいて法人を運営していくための方法を学ぶことができた。 そして、多くの体験をして、茨城県水戸市に 平成16年9月にあおぞらデイサービス水戸を弟妹たちと一緒にオープンすることができた。自分たちの会社だ。 今までのすべての経験を活かし、高齢者がお元気になるための介護ケアを実践するために、私の力量が試される場でもある。 現在は、情熱ある優しい、勉強熱心なスタッフにも恵まれ、理想の介護ケアを実現するための日々を送っている。 事業所も職員数も増やすことができ、より良い介護の実践に日々奮闘中①あおぞらデイサービス水戸居宅介護支援事業所②あおぞらデイサービス水戸③あおぞらデイサービスひまわり④訪問介護あおぞら水戸⑤適合高齢者専用賃貸住宅あおぞらニュータウンひまわり館⑥高齢者下宿あおぞらハウス壱番館介護の世界にもクリティカルパスが進出し始め、私の人生を変えたクリティカルパスにまた、再会している。 質の高いケアを標準化し、それを私だけができるのではなく、スタッフが同じように実践することで多くの高齢者がお元気になってくださるように、標準化をキーワードに、よりお元気になるケア方法を追求していきたいと考えている。 2006年日総研出版「要介護度改善ケアガイドブック」創刊あおぞらデイサービスで毎日実践されている介護ケアをあますことなく披露しています。 http://www.nissoken.com/book/1138/index.html 2011年中央法規出版「基礎から学ぶ介護シリーズ 生活場面から見つ身体観察のポイント」創刊高齢者の命を守るため、介護職員が何をどう観察すればよいかがわかりやすく解説されています。http://www.amazon.co.jp/%E7%94%9F%E6%B4%BB%E5%A0%B4%E9%9D%A2%E3%81%8B%E3%82%89%E8%A6%8B%E3%82%8B%E8%BA%AB%E4%BD%93%E8%A6%B3%E5%AF%9F%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%83%88-%E3%81%8A%E3%81%AF%E3%82%88%E3%81%8621%E3%83%96%E3%83%83%E3%82%AF%E3%82%B9%E2%80%95%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E3%81%8B%E3%82%89%E5%AD%A6%E3%81%B6%E4%BB%8B%E8%AD%B7%E3%82%B7%E3%83%AA%E3%83%BC%E3%82%BA-%E5%B2%A9%E4%B8%8B-%E9%A6%A8%E6%AD%8C%E9%87%8C/dp/4805833041/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1318667823&sr=1-1好きな言葉 神様、私にお与えください。 自分に変えられないものを受け入れる落ち着きを 変えられるものは変えていく勇気を そして二つのものを見分ける賢さを
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