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お二人の理想の形をお手伝いしたい株式会社umidas・ブライダルプロデュース事業部楢崎恵(ならざきめぐみ)です。ありがとうを伝えたり、伝わったり、感じたり、繋がったり、その気持ちのカタチが結婚式だと思っております。「一日で一生分のありがとうを伝えよう」心が温かく、そして優しい気持ちになる素敵な一日を大切な方々とどうぞお楽しみください。『プロフィール』言葉の意味をはき違えたあの頃18歳まで鹿児島で生まれ育ち、家族や周りの方から愛情をいっぱいもらい、すくすく成長していきました。16歳で実家を出て高校の寮生活へ他界した父の言葉で『好きなことをとことんやれ』の意味をはき違えてしまい親の目が届かない事をいいことに好き勝手な生活を送るようになる。福岡の短大へ進学するも好き勝手LIFEはますますエスカレートしていく。がむしゃらなあの頃22歳、アパレル業界へ就職芸能人をCMに起用するなど、当時は有名ブランドお気楽な気持ちで入社したが、とても厳しい環境でした。店長、先輩方から、まずは言葉使い、接客の仕方、洋服の売り方、洋服のたたみ方、お客様に対しての感謝の気持ちなど、事細かに指導される。『もう辞めてやる!』と思うが、お客様と話したり、個人の売り上げが上がると、不思議とやる気が湧いてくる。いつの間にか、仕事オンリーな私に。以前のおバカで遊び好きな私はどこへやら。常に、売り上げのこと、ディスプレイのこと、後輩の指導のことなど考えるようになっていました。気付けば、終電がなくなることもざら!がむしゃらに働く自分に美学さえ覚えていたんでしょうね。熱がさめたあの頃仕事終わりの至福の一杯を味わっていた時の同僚の忘れられない一言。。。『私達、どんなに仕事をがんばっても給料変わらないよね、ときどきむなしくなる』確かにそうだ。夜中に帰って、翌朝出勤する。休みもほとんどなく、どんなに働いても、安い給料で細々と生活している。がむしゃらに頑張ってきた仕事。でもプライベートは?今の自分は幸せ?答えはNOでした。そして退職届を提出したのです。今思えば、この仕事をしていなかったら、中途半端な人生を送るハメになっていたと思う。自分の幸せを掴み出したあの頃数年経ったある日、友達の紹介で出逢った旦那さん。6歳年下の、とても優しく、思いやりがあり、何でも話せて、親友のような人。自分が幸せだと、周りも幸せにできるんだ!と当たり前のことが分かってきたのもこの頃。出逢ったころから何も変わらない旦那さんに感謝。そして♡そして私達の結婚式が大満足だったので幸せのお手伝いができたらいいなあと言う想いからウエディングプランナーになりました!新郎新婦様の最高の瞬間に立ち会えることを心より嬉しく思います。今の幸せに感謝して、お仕事もプライベートの楽しんでいこうと思います。
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