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日赤看護大学で助産師コース専攻。地元の成田日赤に就職。同じ関東でも自然分娩や母乳ケア支援の違いがありすぎることにショックを受けるが、「地域や病院ごとの格差がなくなって欲しい」と思ったのが、現在の活動の原点である・・・そして、奨学金のため成田で2年働かなくてはいけなかったが、地元の暖かさ、たくさんの症例は貴重だと思い、3年お世話になる。 そして、アメリカの助産は進んでいるとの情報で留学を試み、半年で挫折するが、助産師から一度離れたことが、助産師に向いている自分に気がつくきっかけとなる。 帰国後、東京の日赤に就職しかかっていた時、日赤のDrが助産師を引き連れて助産師中心のお産を展開するための開業したという情報に、たまたまめぐりあい、そこで働きたいと志願する。 そこが、育良クリニックの前身の「代官山の育良クリニック」。そこでは1人で夜勤してベビーを取り上げたり、夜勤あとは昼過ぎまで勤務したり、お産があったら夜中に自転車で駆けつけるなど、修行僧のように?働いた。 30歳、第1子出産。育良に育児休暇がなく、これまた思いがけず専業主婦になり、ベビーサインにはまる。復帰したくとも、保育園問題にぶち当たり幼稚園ママライフも経験しながら、ベビーサイン講師を細々と続ける。 33歳、第2子出産、2回とも水中出産。今度は保育園に入れて、世田谷区新生児訪問や出張母乳ケアをはじめる。 35歳、助産院開設をめざすも、規制が厳しく断念、母乳ケアは出張のままで子育てサロン開業。ベビーサインは東京で一番の生徒数を誇る。 37歳、母乳ケアの助産院開設。以前、占いで「小さい子に囲まれる職に向いている」といわれ、助産なら赤ちゃんなのに??と不思議に思ったが、サロンではたくさんの小さい子に囲まれ、当たっていたな~と実感する日々である。
テーマ: 母乳で育児をするということ
テーマ: つぶやき
テーマ: 直母できないとき
アラフォー
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