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こんにちは、作曲アドバイザーのひろです。現在僕は、音楽活動としては、3つのバンドのキーボードで参加してるのと、曲作りのサポートをやってます。3バンド中2バンドは、メジャー経験者や音楽の先生が混じってるので、音楽のレベルが低いわけではないと思います。そしてもう一つのバンドは、これから初めてバンドを組むボーカルのサポートです。新しい試みとして、完全にサポーターとして関わってみようと思いました。そんな僕の音楽歴は、実はゲーム音楽が好きすぎてスタートしたのです。僕は学生の頃、もともとゲームが好きで、特にファイナルファンタジーが好きでした。メッチャ楽しいですよね。親が寝たあと、こっそり起きてゲームして怒られたのを今でも覚えてます。笑ただ、普通のゲーム好きと違う所は、ゲーム音楽そのものが大好きだったんで、ドラクエとかFFのサントラが発売されると必ず発売日に買いに行くって事ですね。笑※ファイナルファンタジーのサントラは、今でも聞いてます。笑さらに、当時は下手ながらもキーボードで好きなゲーム音楽を弾くのが趣味でした。僕がゲーム音楽にハマった理由は、音だけで世界観や感情を表現してるからです。音楽を聞いただけで、情景が思い浮かび、感情まで左右されてしまう音楽の力がどうしようもなく好きだったんですよね。まぁ、ゲームや映画、ドラマからBGMがなくなったらどんだけ白けた世界に見えるか想像してもらえたらBGMの力が分かりますよね。現実の世界なんて、音楽で演出されているのです。例えば、卒業式や結婚式で音楽が無かったらどうでしょう?例えば、スーパーでも歯医者でも音がなかったらどうでしょう?普通に外を歩いて、音楽のない世界だったとしたら、どれほど白けた世界なのか分からない。思っている以上に、あらゆる所で音楽が流れているんです。音楽で感情を動かされているんです。そんな僕は、専門学校で友達に影響を受けるまで、歌ものの良さがまったく分からないくらいBGM一筋なヤツでした。歌ものは、言葉の力を使ってるので、音だけで伝わるこそが本当の音楽だと思っていたんです。※今では、あらゆる表現出来る力が相乗効果を生むなら大いに組み合わせたら良いと思うようになっています。そんな感じで、ゲーム音楽作曲家になるために、18歳の時に東京に上京してきました。18歳からは音楽の専門学校生です。そこで友人に影響を受けて、次に好きになったのは、なんとダンスミュージック!専門学校の時は、たまに友達に連れられてクラブにも行ったりしてましたね。爆音が大好きになった時期です。騒ぐの楽しいです。笑この頃から、歌ものも理解出来るようになったし、ライブとか音楽による一体感とかそういう感覚が好きになり始めました。まぁ、結局卒業後はゲーム音楽作曲家ではなく、典型的なフリーターになったんですが。。特に音楽活動をするわけでもなく、趣味程度にキーボードを練習したり、なんとなく曲作ってみたりって感じで。バイト先の店長が音楽好きだったので、作った曲を聴いてみて貰ったりして、でも、内心では、”音楽で生きていく、それ以外はありえない”と思いながら日々を過ごしていました。そして、22歳くらいで初めてちゃんとバンドメンバーを集めてバンドを組んでみました。当時はやった事なかったので、とりあえず募集をしてみたら1人反応があったという感じでした。選ぶという概念ももたず、とりあえず来てくれたので結成みたいな。笑そして、ボーカル、ギター、キーボードの三人組ユニットが誕生したんです!僕の記念すべき、バンド活動スタートです!バンド活動が初めてだったし、他のバンドも何も見てなかったので、当時は”オリジナル曲がないと活動が出来ない”と思っていました。なので、ライブをやるために毎週1曲のペースで、たぶん8曲くらいは作ったと思います。ボーカルもそれに合わせて、どんどん作詞してくれました。自分としては、当時作った曲は、「メッチャ良いじゃん!」と思っていたけど・・・。今聞くと恥ずかしいですね。苦笑少なくても、作曲は一度も習った事も勉強した事もなかったので、今考えると「そうなるよね」と納得なんですけどね。まぁ、そんなこんなで、そのバンドは、メンバーを入れ替えながら6年くらい続けていたような気がします。当時は、チラッとテレビに出してもらったり、地方のラジオに収録に行ったりと、今思い返すと貴重な体験を結構してましたね。ここまでで、ゲーム音楽作曲の挫折と、バンドでメジャーを目指す事の挫折と、結構大きな方向転換をしてきました。バンドをやめる時は、本気で”音楽活動じたいをやめる事”を決意していたのです。ただ、僕はそもそも音楽活動を始める時に、”我が人生に就職という言葉はない”という痛々しい志を掲げていて、音楽活動をやめたあとも、この決意はまったくゆらがないというダメっぷり。。逆に言うと、音楽以外に得意な事が何一つないし、やりたい事も何も見つからないんです。世界は、どんどん薄暗い世界に見えるようになっていきます。音楽を実際まったくやらなかったのは、だいたい2年くらいだったと思うのですが、この時期は非常に大事な事に気付きました。自分から音楽を取ったら、”存在そのものの意味がなくなる”ということに気づいたんです。だから、この世界で生きてる間は、死ぬまで音楽に関わっていこうとこの時に決意しました。僕に音楽をやめろという事は、”死ね”と言ってる事と同義なのです。当時、メジャーを目指していたバンドメンバーは今後も僕の人生に大きく関わってきます。この時は、ベースの人から連絡があり、「会わせたい人がいるから時間作って」と連絡がありました。実際に行ってみたら、プロのスタジオミュージシャンのギタリストがいました。そして、音楽をやめるなと説得を受け、キーボーディストとしてセミプロ活動を始めるキッカケになったのです。ここでは、一度メジャーに行ったミュージシャンのバックキーボードをやらせて頂いたり、ギターの人がプロデュースしてる女の子のサポートキーボードで参加させて頂いたりと、またまた貴重な体験をたくさんさせて頂きました。毎週のように路上ライブに”お仕事”として参加したり、名古屋でのライブツアーに参加したり、モールの中のステージやラジオ出演など、普通の生活では経験出来ない事がたくさんありました。大事なライブで、大きなミスをしたり、アレンジ案が出てこなくてメッチャ怒られたり・・・。ステージングでも、アドリブで何かを振られたら、その場で対処する適応力を求められたりなど、ほんとう大変でした。この時期は、バンドではなくアコースティックが中心だったので、演奏力を磨く良い機会になりました。音楽でお金を貰うのって大変だなぁと思いつつもメジャー以外でも音楽のお仕事ってたくさんあると気づいた時期でもあります。この時は、音楽一本で生活してましたが、そうこうするうちに・・・今度は前のバンドのギタリストから「バンドやりたいから手伝って」とオファーが来ました。解散後もいろんな形で関われるメンバーって本当に大切だなと思います。誘ってもらえるって幸せな事だなと思います。もう、音楽活動は止められないなと。笑そして、自分の在籍するバンドがあるって素晴らしいなと思いながらの活動再開です。ここで組んだバンドは、ボーカル、ギター、キーボードの三人組ユニットだったので、最初にバンドを組んだ時を思い出します。主な活動は、曲作りからアレンジ、レコーディングまでバンドで機材を全て揃えてやっていたので、レコーディングスキルがメッチャ上がった時期になります。音楽活動をしてると、本当学ぶことが尽きないです。そんな活動をしているうちに、ある年の年末にギターが、「久しぶりに前のバンドメンバーと忘年会やらない?」という誘いが来ました。数年ぶりに会ったメンバーは、やはりそれぞれいろいろあったワケなんですが、ただ、共通して言えるのは、全員何かしらの形で”音楽”に関わっていました。そして、そこから、「せっかくみんな集合したんだから、過去の楽曲で一回ライブやらない?」という話が出てきたんです。結果いろいろあって・・・バンド再始動となりました。笑これが冒頭で話したバンドの一つで、自分にとってのメインバンドになります。まぁ、音楽活動をしてると、いろいろありまして、2つ目のバンドは、まったく異色のバンドで、別口から知り合った人に誘われて、アニソンバンドを組んでいます。僕がファイナルファンタジーが好きなのを知ってるので、ゲーム音楽バンドを作ろうって企画もあったんですが(笑)そこまで手が回らないので、今は保留にしてます。いつか、必ずゲーム音楽の活動はやるつもりですが!ちなみに、アニソンバンドにも元メジャーのメンバーがいます。アニソンってオタクな感じがするけど、実際オタクなんですけど、何気に演奏レベルはハイレベルな人がメッチャ多いです。アレンジ面でもすごく勉強になります。僕は、もともと”音で感情を動かす音楽”が好きなので、一風変わったキーボーディストではありますが、BGM系って聞いたらイメージ出来ると思うんですが、ショウビジネスの世界では、”あらゆる注文に対応しなければならない”難易度の高い世界です。ドラマや映画のサントラを聞くと気付きますが、世界のあらゆるジャンル、雰囲気、楽器が取り込まれます。世界のあらゆる音楽が、作品の世界観を作るのです。例えば、僕の好きなファイナルファンタジーで言うと作曲家の植松信夫さんはもともとロック畑で、プログレが好きな人ですけど、教会音楽からブラック系、クラシック、民族音楽までいろんなアプローチが使われています。なので、BGM系の人は、おそらく”聴き真似が得意な人が多い”と予想しています。僕は、そのタイプなので、チャレンジした事がないジャンルを聞くと、逆に興味をもってワクワクして来ます。ただひとつ、僕の苦手なジャンルがあるのですが、それは、音階が取れないノイジーな音楽。例えば”デスメタル”みたいなやつですね。それ以外は、基本的に好きになれると思います。笑こんな感じで、僕の音楽歴とか偏食歴とか分かって頂けたかなと思います。このブログのコンセプトは、”初心者に感動させるような作曲法を教える”ですが、これを立ち上げようと思ったのはちょっとしたキッカケがあります。僕はお話した通り、音楽がないと生きていけないのですが、今までの音楽活動を通して強く願っている事があります。それは、音楽は感情に直接作用しますが、最強の”メモリアル”になると思っているんです。昔聞いていた曲を聞くと、その時の感情や風景が鮮明に蘇る事がありませんか?僕はこういう感覚があるんですけど・・・。僕だけが変なんじゃないと信じたいです^^;僕が究極的にやりたい事は、聞いてくれる人達のメモリアルソングが書きたい!という強い欲求があります。そして、つい最近それが完璧に実現出来たエピソードがあります。それは、バンドメンバーの結婚式の時に自分が作った曲で”場を感動させた”事です。新郎新婦揃って泣いたし、その場にいた人たちからは、「メロディが頭から離れなくて困ってる」という言葉を後から聞きました。僕はこれを聞いて、「やっとやりたい事が出来た」と感じたんです。もちろん、感動させた理由として、結婚式という”場の影響”は大きいとは思います。でも、それは、音楽に”歌”が乗って効果が大きくなるのと一緒で、”場”も含めて一つの作品だと思っています。ライブもしかり。でも、こういう体験が世界に増えていったらすごく素敵な事だと思っています。こんな出来事があったと思ったら、今度は知り合いから、『昔ミュージシャンを目指していて、作った曲(メロディ)がたくさんあるのでどんどん形にするのを手伝って欲しい』という依頼が来ました。こちらは、有料でもいいからやって欲しいと頼まれたので、一緒にスタジオに入って、とりらえずメロディを歌ってもらいその音源を持って帰ってくるようにしました。メロディはあっても、コードや曲の構成が出来ていない状態だったので、その辺をスタジオで一緒に作ったんですね。で、この経験を通して、作曲指導もいつの間にか出来るようになっている事に気づいたんです。まぁ、そんなこんなのご縁で、曲作りのお手伝いをやっているのですが、それを見ての反応なのか、バンド未経験の友達なんですが、いきなりバンドやるから作曲手伝ってと依頼が飛んできました。笑すでに、曲作りの手伝いの経験があったので、他の人でも、未経験の初心者でも出来るかなと思ってやってみたら、普通に出来たんですよね。スタジオに入ってだいたい3時間弱くらいで曲の全体像とコード付けが終わりました。まぁ、相手は初心者なので、自分の曲が短時間で曲として組み上がっていくプロセスにビックリしてましたが。笑自分としては、いつもの作業なので^^;これを読んでくれているあなたは、作曲は難しいものと思っているかもしれませんが、実は誰でも出来るんです。今あなたが鼻歌でふと口ずさんだメロディが、実は名曲の元になるかもしれないのです。曲は、メロディだけ聞くと、おそらく自分自身でショボいと感じてしまうでしょう。ですが、曲とはアレンジや場を含めて初めて本当の姿を見るものなのです。現在ある曲でも、メロディだけ鼻歌で歌って録音して聞いたら、ほとんどみんなショボい曲になるのです。笑このブログでは、今後ショボい鼻歌から実際に組み上がっていくプロセスもお見せしようと思っています。だから、どうか一つお願いがあります。今あなたが鼻歌で作った歌も、きちんと録っておいて欲しいのです。一般的には、完成形の曲を聞いてみんな楽しむので、曲の在り方が分かっていないと思いますが、作曲とは、作曲者と共に成長していくのです。曲が成長するという事も含めて、実際のノウハウはブログで書いていきますので、ぜひ、あなた自身から生まれる名曲を作りましょう!長いプロフィールとなりましたが、よろしくお願いします^^
テーマ: ブログ
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