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福岡の料理研究家 宮成なみです。患者歴27年、透析歴14年、料理研究家歴17年。患者と料理研究家の立場から患者目線の食事療法のやり方やコツやなどの商品開発や研修をしています。 どんなに正しい知識でも、生活の中で実践できなければ宝の持ち腐れになってしまいます。研修や講演会では体力や時間のない患者でも実践できる食事療法・生活改善のコツをわかりやすくお話しています。 先天性の難病をもって生まれてきたので、幼いころから病気をしていると、気づくことがありました。同じ景色を見ているはずなのに、患者から見える世界と医療者から見える世界がずいぶん違うなぁと感じること、また、健常者と障がい者から見える世界もずいぶん違うなーって思うことが多くって、お互いが見えているモノが違うから、すれ違いが起きるなら、そのすれ違いななくなればいいのになって思っているうちに、だんだん、患者の立場から見える見える世界や、日々の生活の中での工夫を話すようになり、仕事のひとつになりました。このブログでは、患者の目線で見える世界を書いていきたいなって思っています。過去の実績早良病院・西区ソーシャルワーカー研究会様 「患者に伝わる食事指導~減塩編」久留米聖マリア病院・腎不全看護を語ろう会様「患者目線の食事療法~透析・腎臓病編」脳卒中リハビリステーション様「患者に伝わる食事療法~リハ栄養・高アルブミン」ご興味、ご縁を持って頂きありがとうこざます。 ■ プロフィール楽しい食卓株式会社代表取締役料理研究家 宮成 なみ16歳の時に「現代の医学では治すことのできない難病」結節性動脈周囲炎を発症。医師より社会復帰断念を宣告される。唯一進行を遅らせる方法である「食事療法」に望みをかけ、食事改善に取り組み、不可能だと言われていた社会復帰を果たす。現在は、透析をしながら、テレビ、ラジオ出演、レシピ作成、食品加工メーカーにて商品開発、食育講演会。研修講師などを行う。【 料理を始めた幼少期 】私が5歳の時、父が起業をしました。勤めていた会社を辞め、起業したのと同時に妹の妊娠が発覚。(笑)起業したばかりの会社には、まだ信用はありません。経済的な余裕もなければ、妊娠、出産、乳飲み子と父の会社の経理の仕事を抱える母に時間的余裕もありません。そこで、母は長女だった私に、料理を教えることにしたのだそうです。5歳の私に母が最初に教えてくれたのは、お味噌汁とおかずの温め方でした。まずは、火に慣れること、火傷をしないように火の扱い方を知ることから始まりました。慣れたら次は包丁の使い方。そしてお味噌汁の作り方。私は、あまり器用ではなくて、人が1度でできることでも、3度、4度と繰り返さないとできない子だったので、母は根気よく辛抱強く教えてくれました。たくさん、たくさん失敗したし、火傷もしたけど、「上手にできたね」って褒められるのがとても嬉しくて、プラスチックの人参ではなく、本物の人参を使って、私は、リアルおままごとな幼少期を過ごしました。【 食といのちと向き合った闘病生活 】高校受験も無事に済み、仲の良い友達とも同じクラスになり、好きな人のことやテストの点数で一喜一憂する楽しい高校生活がスタートしました。そして誕生日を迎えばかりの16歳の冬。私にある人生の転機がやってきました。それが現代の医学では治すことのできない難病、【結節性動脈周囲炎】の発症でした。発病から5年以内に8割の方が亡くなると言われ、現在(平成23年時点)全国でも250人しかおらず、治療法もデータも圧倒的に不足している病気でした。そして主治医の先生は、私にこう言いました。「現代の医学で、なみちゃんの病気を治すことはできないけれど、唯一…ひとつだけ進行を遅らせる方法があります。それが、【食事療法】です。食と言う可能性にかけてみませんか?」と。それまでの私はと言えば、風邪と虫歯でしか、病院に行ったことがなくて、健康はあって当たり前のことで。平凡で、ありふれた普通の女の子だった自分がキライでした。なんの変哲もない取り柄もないそんな自分が嫌でした。だけど、普通の女子高生だった私は、元気に走り回ることのできていた私は、どんなにすばらしかったことだろう。どんなに後悔してもしきれなくて、あのころの自分に戻りたくても戻れなくて、その頃の私の夢は、「普通の女子高生になること」ただそれだけでした。普通の恋がしたい。普通に学校にいきたい。普通に生活できるようになりたい。それさえも手の届かない遠い夢のようでした。【 いのちが命を作ってる。今日食べたものが私の未来を作ってる 】1年弱の闘病生活を終えた私の体は、病気の進行と共に私の手足はマッチ棒のように細くなり、目はくぼみ、頬はこけてお腹だけぽっこり膨らむ餓鬼のような体になりました。肌はレンガのように乾いて、40歳の母より、16歳の私のほうが老化が進んでいました。乾いた肌はひび割れて、血が滲みウロコのようになりました。そんなわが子を見て、母は、少しでも美味しく、少しでも元気になれるようにと、知恵を絞り、私の食事を作ってくれました。本当に、ごはんで元気を作ろうと思ったら、小さな苗木が月日を重ね、ゆっくりと年輪を描いていくように、本当にゆっくりとしたスピードでしかないけれど、私の乾いた肌が少しずつ潤い、やせ細った肢体は女性らしいふくよかな肉付きを取り戻し始めました。今日、食べた大根も、人参も、トマトもきゅうりも、肉も魚もお味噌汁の味噌の中に入っている大豆や麹もすべてはいのちで、いのちが、私と言う名の命を作っているんだ。食べたモノが血になり、肉になり、私と言う体を作っているんだ。今日食べたごはんが私の命になって、私の明日を未来を作るんだ。少しずつ、綺麗になっていく腕を眺めながら、そんな風に思いました。ご飯ってすごいなぁ。いのちってすごいなぁ、って。生きていけるかどうかもわからなくて、日常生活さえままならなかったのに、私の中に、「この感動を、ごはんと命の素晴らしさを伝える人になりたい。 母や祖母がしてくれたことを今度は私がする人になりたい。 食に関わる、命を伝える、そんな仕事がしたいなぁ」そんな小さな夢が生まれました。【 できないこと悲しむよりもできることを楽しみなさい 】誰もが、私が社会復帰できるなんて思っていなかったんです。私が退院するとき、両親が呼び出されて、お医者さんに言われたそうです。「娘さんは、25歳まで生きられないかもしれません」と。けれど、私は、今でも元気に生きています。お医者さんが言った寿命を遥かに超えて。そして長年夢見続けてきた「料理研究家」と言う仕事に就き、今も夢を追い続けることができています。私は、5歳の頃に母にフライパンを持たせられ、料理を教えてもらったけれど、台所で母から学んだことは、「ごはんの作り方」だけではなかったように思うのです。台所で料理を通して私に与えてくれたもの。それは、「生きる力」と言う、人生を切り開き、前を向いて笑顔で生きていくための幸せのレシピだったのだと思うのです。闘病生活の間、母は何度も言ってくれました。「できないことをメソメソ悲しむより、できることを楽しみなさい。 できないことは、できないでいい。できない中からこれならできそう、できるかも、って思うことを1つでもいい。やり続けなさい。 そしたらね、できることは増えていくから。 10年後の未来は絶対に変わってるから。お母さんが約束する」と。16歳の時に未来に怯え、白い病棟で膝を抱えていた少女は10年後、26歳の時に目指し続けていた料理研究家の夢を掴みました。そしてさらに10年後。36歳になった今もなお、料理研究家として夢に向かって生きています。【終わりに】最後までお読み頂きありがとうございます。これまでの人生、病気は私にいろんなことを教え与えてくれました。その時は苦しくて、悲しくて、つらくって逃げ出したくて、なんで私ばっかりこんな目に合わなきゃいけないの?って神様さえも恨んだりして。けれど、振り返ってみれば、すべては今の私を作るために必要なことだっだんだなって。今は、病気に感謝さえしているんです。ある友人が言ってくれました。「なみちゃん、すべては、偶然ではなく必然なんだよ」って。出会いも別れも出来事も。すべては偶然ではなく、必然。磁石で引き寄せられるかのように、出会いも、出来事も、小さな偶然を積み重ねてその時の自分に必要なことがやってくるのだと思うのです。ありふれた日常のなかにある幸せと出会いに感謝しながら、今私にできることを精一杯、発信していきたい。ご縁を育んでいきたいと思っています。美味しく食べて元気になれる先人が残してくれた台所の知恵を次世代に受け渡すこと。毎日のごはん作りをラクにする台所の知恵を届けること。私はもう、子供を産むことはできないけれど、小さな小さなお手伝いならできるかもしれないと思うのです。小さな小さなきっかけのひとつでも心の奥に残せていけたら私は嬉しい。「身体が弱いあんたやけん、 できること。 身体が弱いあんたやから、 わかること。 身体が弱いあんたじゃないと、 できんこと。 きっとあるはず。 探してみたら?」べそべそ泣く私の背中をバンッと叩いて、友達が言ってくれた言葉。透析をしてるからできること、料理研究家だからできること。楽しい食卓株式会社は、毎日のごはんで家族の笑顔と健康を守る楽しい食卓作りに貢献する会社でありたい。それをカタチしていくことが、私の次の夢です。ご縁を大切にしている方、人とのつながりを大切にしている方、ぜひ友達申請やメッセージお待ちしております。2011年12月30日料理研究家宮成 なみ■ さらに詳しいプロフィールはこちら。http://www.miyanari-cook.com/prof■ 食育講演会と講演を聞かれたの声▼ 講演依頼はコチラhttp://www.miyanari-cook.com/irai/kouen▼ 講演会の感想、お便りhttp://www.miyanari-cook.com/irai#iraiVoice■ 宮成なみ公式ホームページhttp://www.miyanari-cook.com/■ アメブロhttp://ameblo.jp/miyanarinami/■ Twitterhttps://twitter.com/miyanarinami■ 軌跡2002. 「食卓の向こう側~半歩先宣言」シンポジウムパネリスト2003. 「オトコをトリコにするメロメロレシピ!/西日本新聞社出版」出版 初版3週間で完売。増刷に。5増刷目も完売。在庫なしの状態に。2004.5 西日本新聞社様ブックレット「食卓の向こう側2」掲載2005.10 西部ガス様「ガスならできる展05'」にて食育講演 他 2006.4 RKB様「今日感テレビ日曜版」日曜キッチンレギュラー出演。2006.4 西日本新聞社様「フライパンひとつでメロメロレシピ!」連載。2007.7 楽しい食卓株式会社設立「奇跡のごはん/東洋経済新報社」出版 2008.4 企業様販売促進レシピの作成事業の開始2009.4 ホクト株式会社様販売促進レシピ作成 他2010.2 新日本製薬様「愛情おうちごはん」連載 他 2011.8 中西一清さんと東北支援ボランティア活動 他2012.2 NHKドキュメンタリー「ドラクロワ」出演2013.4 西南学院大学「食の自立支援講座」講座講師。福岡県6次産業化推進事業審査委員会審査委員。他
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