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pasuterude 筆とパステルで楽しくアートを作るお手伝い・かしわやなおみです。三重県四日市市内のコンビナート工業地帯に近いところで生まれ、両親と祖父母、姉のそして私の6人家族でした。祖母はとても厳しい人で母が泣いている姿を見て育ち、祖母に口答えをした時に「母親が言わせている」という言葉を聞き小学校に入る前には言って良い事いけないことの理解が出来、周りの顔色を見るようになりました。中学3年生の秋ごろ目に痛みを感じるようになり高校進学に必要な内申書への記載するための健康診断で著しい視力の低下が分かった。すぐに病院に行き原因が分からない治療法もない数万人に一人の病気と言われ、違う医師の診断を受ける為病院を転々。唯一見える方法はコンタクトレンズでしたが病気が進みレンズが合わなくなった時が失明という宣告を受けてしまいました。この頃はこの病気に特化した物ではなかったので目の痛みに悩まされる日々でした。この痛みは10年間続くことになります。目を酷使することを医師からは止められていましたが高校には進学しましたが、医師が言う通り目にはかなり厳しい3年間でした。疲労が重なると目に一番に影響が出て2年生の時にレンズによる目への摩擦が角膜に大きな傷になってしまい1週間ほど学校を休むことに。この時は医師からも失明の可能性を言われていました。3年生の進路決定時期、進学するつもりでしたが疲労が重なると目が悪化。やむなく就職に切り替えました。高校卒業後は市内の製造会社に一般事務で就職。そして23歳で社内結婚。最初から親同士の価値観が違いすぎた中での結婚でした。 そんな周りの状況に常に巻き込まれやがてうまくゆかなくなってゆきました。主人から「母親は人生の先輩だから母の言葉を信じる・・」という言葉を聞き私たちの間の価値観の違いを痛切に感じ離婚を決意。わずかな期間の結婚生活でしたが目まぐるしく色々なことを経験しました。 そして社内で出来た友人も去ってゆきました。実家に戻りましたがそのころはまだ離婚ということに周りが敏感で田舎ということも有り両親共肩身の狭い思いをしました。もともと両親から行動を制限されることが多かったのですがさらに厳しくなり意見を聞いてもらえることもない日々でした。そして名古屋市内の会社に就職。今まで地元しか知らなかった私は自分の世間の狭さをすごく感じました。 違った世界で働きそして友人も変わり次第に自分も変わってゆきました。34歳で再婚。実家を出てから気持ちが自由になり、やりたいと思うことも少しずつ始めることもできました。一方、会社での仕事は忙しく人間関係も難しいところのある職場でした。事務所内で起きたトラブルで当時一緒に仕事をしていた人が放った言葉がとても怖く心の緊張状態による体の不調にも気づかず仕事を続けていましたが、2007年にくも膜下出血を起こしました。入院中は会社からとても良くしてもらい仕事に復帰もさせて 頂きました。 しかしこの事がこれまでの人生を見直す切っ掛けになり退職。幸いにも障害が残りませんでしたので、それからはアロマセラピー、カラーセラピーなど色々な事を やってみました。数年前には他の団体のパステルを学びましたが、それ以上は学びたいとは思えずパステルの道具一式は放置状態。昨年処分しようと思い立ちましたが、その前にもう一度パステルの事を調べようとPCを開けました。そして最初に目に飛び込んできたのが梅邑先生のブログ。サイト内の作品を拝見すると以前学んだものとは明らかに違う作品でした。作品が何か話しかけているような・・早速無料講座に申し込みました。これが私とヒーリングアートとの出会いです。それまでは今まで学んできたことが自分の中ではどれも全く別物としてとらえていたことがヒーリングアートに出会えたお陰で一つに結び付き決して無駄ではなかったのだと思えるようになりました。ヒーリングアートを通して私自身も自分軸を持ち人から左右されない人間になりたいと思います。時に生きづらさを感じていたり、悩みを抱えている人にも自分を癒すことが出来るヒーリングアートをお伝えし 素の自分で生きてゆくお手伝いをしています。日本ヒーリングアート協会認定 ヒーリングアートセラピー🄬講師 ヒーリング曼荼羅アートティーチャー My羽根アートティーチャー英国IFA認定アロマセラピスト
テーマ: ■思い感じた事
イラスト・アート・デザイン
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