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富田林市でピアノ教室を開いております、清水麻理子です。大阪芸術大学音楽教育学科を卒業後、音楽教室の講師を経て、現在、自宅にてレッスンをしております。レッスン歴は25年になりました。ピアノを森脇登美子氏、故 遠藤一枝氏、声楽を田中公道氏に師事。音楽教室講師時代には、リーダー講師、グレードテストやコンクールの審査員などもしておりました。また、コーラスの伴奏などもしております。個人ピアノレッスンを中心に、ソルフェージュ、楽典(テスト対策)、コンクール、音大入試対策、幼稚園教諭・保育士資格など対応しております。指導実績コンクール堺ピアノコンクール 奨励賞多数、記念演奏会(5年毎)3名カワイ子どもコンクール 入賞多数カワイ音楽コンクール 近畿大会出場音大合格大阪芸術大学、大阪音楽大学、大阪教育大学、お茶の水女子大学プロフィール福岡で生まれ、兄弟の姉として育つ父は広告代理店母は専業主婦たくさんの愛情を注いでくれましたが、厳しい両親でした。従姉妹にピアノの天才がいまして、彼女は10歳の時、NHK教育TV「ピアノのおけいこ」にレギュラー出演。これを見ておもちゃのピアノで真似して弾いていました。両親はそんな様子を見て、3歳で近所のヤマハのグループレッスンへ入れてくれました。ピアノの先生になりたい!その後6人のピアノの先生に出会いましたが、どの先生も素晴らしく良くしてくださいました。ピアノの先生になりたい!そんな憧れができました。大阪の子が怖い!小5年生福岡から大阪へ大阪府和泉市立光明台南小学校訛りや言葉が通じなかったためにいじめられた。大阪の子が怖かったです。あとは仲間はずれにされたり、色が白かったので外人と呼ばれたり。それは結局中学卒業まで続きました。リチャードクレーダーマンリチャードクレーダーマンが流行っている頃でよくそれを聴いて弾いてもいました。ピアノを弾くことが唯一の楽しみでした。ただ練習をサボっていると『(従姉妹の)お姉ちゃんは毎日8時間も練習しているだって』私はいささかのんびりしたところがあって、そういわれたらどうやって8時間も時間を作れるのか?なんて計算してました。コツコツ型光明台中学校に入学して、勉強もコツコツ頑張り100人中10番以内。コツコツとやるタイプでした。ピアノの練習も細かく区切って確実に弾けるようにして行った。褒め上手な先生私の演奏が終わった後に『すっごくよかったからまた聞かせてくれない?』そんな事を言われたのは初めてだったので、すっごく嬉しかったです。この頃から音大を目指そうと決意しました。バラ色の高校生活入った高校は自由な雰囲気で今までいじめられていた自分にとっては天国のようでした。クラスは12クラスもありましたが、皆とても仲よかったです。友人もたくさん出来、なによりも同じ学年で音大を希望する子が10人もいたのは心強かったです。音楽仲間音楽の紀ノ定先生がとても協力して下さって、その子たちと弾き合い会をしたり、お昼休みにソルフェージュの練習をしたりしました。個人的に演奏会に連れて行ってくれたりもしました。なんとこの先生、かつての小学校の音楽の先生だったんです!すごいご縁を感じました。大阪芸術大学音楽教育練習の甲斐があって大阪芸術大学音楽教育に合格。毎日音楽の勉強と同時に、他の芸術分野、美術や写真などの学生さんとも仲良くなれ楽しかったです。高校の時についた森脇登美子先生、田中公道先生に大学でも師事。カワイ音楽教室就職卒業後カワイ音楽教室の講師になり、月間50人を教えるように。同時に自宅でもピアノ教室を主宰。生徒は20人に増える講習やレッスンで忙しかったが充実した毎日で、そんななか、ハンドベルにハマりました。その結果、講師コンサートに出演したり、新人講師の研修担当になりました。経済的危機28歳で退職、翌年結婚する。子供も二人授かり、仕事と子育てに追われるなか、34歳の時に経済的危機に見舞われました。娘たちはまだ幼く1歳と3歳このままではいけないと奮起!ピアノ教室を頑張ろうと決めました。鬱発症35歳、娘が幼稚園に入学してしばらくして、体の変調を覚えました。めまいに襲われ、その後鬱と診断され、レッスンは休まざるをおえませんでした。清水先生しかいないそのどん底から立ち直らせてくれたきっかけを作ってくれたのが・・・2年生の男子生徒さんがお母さんとお見舞いにきてくれたのです。私はでれずに母が対応、声のみ聞こえました。『僕には清水先生しか、先生は考えなれないから・・・早くよくなってください』負けない!その言葉が嬉しく嬉しく、ここで負けてはダメだ、早く元気になろう!と誓いました。効かなかった薬がだんだん聴き始め、徐々に回復していきました。近所で評判にその子のお母さんが通う歯科で私のことを話題にして下さったら、その歯科になんと昔の生徒さんが務めていて、私のことを覚えていてくれていました。『優しくて面倒見のいい先生だったよね。』と言ってくれたそうです。また高校時代の音楽の先生から生徒を預かることになり『あなただったら大丈夫』と言われたことも嬉しくそうした周りからのメッセージがどんどん私を元気にしてくれました。37歳の時には完治出来ました。娘が原因不明の病気にですが、39歳の時に今度は長女が原因不明の病気にかかり、朝が起きれなくなりました。2年生の時に、しんどいと学校を休みがちになり、そのうち学校にいけなくなりました。2年後まさかの下の子も同じような症状で起き上がれなく、姉妹2人とも学校に行けなくなりました。起立性調節障害まだ聴きなれないこの病名にであったのは、娘たちの病気を色々調べている中でした。命に別状はないが、普通は思春期に発病するケースが多く、朝が一番ダメで、夕方から夜には元気になるという、不思議な病気。いじめ下の子が4年生の時に病気の影響もあってか、いじめにあいました。娘はすっかり人間不信に。。。いっときは家族全員でこもるように・・・お母さんこそ自分の人生をこれではいけないと、起立性調節障害のお母さんたちが集まる交流会に参加するようになりました。カウンセラーの方が『子供が病気なのは大変だけれど、お母さんの人生はお母さんのもの。お母さんがしっかり自分の人生を歩むことも大事。』この言葉に感動し、私自身も心の事や自分のあり方などを勉強するようになりました。スキルアップ・アドラー心理学をベースとした子供の勇気付け講座・時間管理術・自分軸を持つ講座心の持ち方を学び始める2018年、カウンセラー養成講座初級終了 現在、カウンセラーエキスパート講座受講中。
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