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こんにちは【自分リズムを整える♡体ゆるませメソッド】の明羽美姫です。現在は自分リズムを整える♡体ゆるませメソッドという活動をして『自分を出せない』『身体も心もゆるませたい』という人をサポートする活動をしています。視界が明るく呼吸も深くなる身体をゆるめる体操と自分の嫌なことが気にならなくなる催眠療法この2つが柱となっています。・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【My story】私は双子であるが故に、周りから注目されることも多く幼い頃は、とても強気でやんちゃな幼少時代を過ごしていました。ところが、小学生のとき、友達に何気なく言われた言葉に大ショックを受けます。「声が小さくて何言ってるか分からないよ~」「私ってダメなのかもしれない」人と話すことが楽しかったのに、一気に不安になりました。そこから私の思い込みが始まります。「私の言ってることって、伝わらないんだ…」勝手に決めつけちゃってました。学級会で自分の意見を発表しようとしたり、友達が3人以上話をしているところに話しかけようとしたりすると知らない間に体が強張り、頑張って話そうものなら、後は疲れて溜め息ばかり。一時期、クラスのノリのような感じでいじめられたこともありました。話しかけても誰にも返事をしてもらえず、目が合ってるのにふいっと無視されました。心臓がキューっとなり目の前の友達がスーッと遠くに行ったような、そんな感覚。本当に寂しくてつらかった。大人になった今でも、その当時を思い出すと体が反応します。コミュニケーションって大変なものなんだ、と漠然と思うようになっていました。一方で、自由にやっている人を見るとモヤモヤしてました。私自身は、怒られたくないから、先生の話をきちんと聞く子供だったし、自習の時間や、休み時間に遊具を使うためのルールをきちんと守ってました。そういうルールを守らず自由な人に対して、モヤモヤ、イライラして、強い正義感からキツイ言葉を投げかけることもしばしば。それでも、思っていることをなかなか声に出せず、ギリギリまで我慢して、爆発寸前になり突然キレることもありました。唯一自分を表現することが出来たのは5歳で始めたクラシックバレエだけだったのです。中学時代、多い時は週に6日間バレエスタジオに通い、食事制限もし、本気でバレリーナを目指していました。身体的条件は恵まれていないけど、努力すれば報われる、と信じて。でも、中学3年生で将来を決めるとき、高校進学をするかバレエの世界に飛び込むかの2択で、私は高校進学を選んだのです。コンクールの成績も振るわず、自分にバレエが向いているのかどうか自信がなくなり、夢をあきらめる決心がついたから。「あんたには無理よ」子供の幸せを願った母親の声も後押ししました。この言葉に「やっぱりなぁ」と思う反面、とてもショックだったことを覚えています。将来の夢を失い、勉強も学校行事も何も手に付かないような高校時代、そんな中でも一生懸命汗を流したのは創作ダンス部でした。これまで私が踊ってきた、決められた動きの訓練から始まるクラシックバレエとは真逆で、自分たちで動きを作り出し自由に表現する創作ダンス。踊るのは好きだったけど「自分を出す」ことは苦手なんだということに気づいたのです。ある時、顧問の先生に勧められて、さらに専門的なモダンダンスを勉強できる大学の受験を決意。「自分を自由に表現するのは苦手だけど…だからこそ、このハードルを自分の人生に置いてみたい」これが、この時の私の心境でした。大学受験の試験当日の夜、突然、原因不明の左耳の突発性難聴を発症。自分の声も相手に届かないのではないかという不安も常にある上に、話し相手の声も聞こえにくくなり、苦手だったコミュニケーションが益々難しくなりました。人との壁がいつもあり、近くにいるのに遠くから見ている感じ。難聴のため聞こえづらいときは、相手の口を読んで、何を言っているのか想像するので、集中しすぎて頭が痛くなることもありました。大学では、毎日踊れることは楽しかったのですが、自分を表現することは挑戦で、正解があるようでないモダンダンスで「表現する」「自分を出す」ということに混乱した時期もありました。モダンダンスの公演の前日に、踊ることに我慢できなくなり体調を崩し吐き気が止まらず、当日の朝、2時間の点滴をして本番を迎えたこともありました。大学の4年間、同級生たちが、自分でダンス作品を創作していく中、私は一度も作品創りをすることはありませんでした。そんな私の居場所は宝塚歌劇好きが高じて参加した大学のミュージカルサークル。ミュージカルでは、台詞も歌もダンスも全部台本があり決まっているので、演じている中では私は自由に表現できる!それに、相手が何言ってるか分からないとか、自分の声が届いてないとか、心配しなくて良いんです。サークル仲間と楽しくミュージカル三昧の日々を送り、サークルの部長も務め、大学卒業と同時に、そのままの勢いでミュージカル劇団に所属。自分が夢見ていた輝いた世界で表現し続けるも、俳優として「自分を出す」ことは必要だし、日常でもやはりコミュニケーションに苦しむ日々。笑顔をつくることに苦しみ、人との会話も上手くいかず、ひとり黙々と努力することしかできない。そんな時、左耳の突発性難聴はついに、お医者さんより完治しないと宣告を受けます。「聞こえる右耳は、大きな音を聞いてはいけません。」「大音量のせいで、右耳が聞こえなくなる可能性もあるので、イヤホンもやめてください」お医者さんの言葉にびくびくして、ミュージカルの稽古中、スピーカーから流れる大音量に「本当に右耳も聞こえなくなるかもしれない」と恐怖で涙を流すことも。大きな音に怯えて過ごしていたある日、いつまでも悲劇のヒロインをしていてもしょうがない!!と行動に出ることにしました。「難聴が治らなかったのは、私がすぐ医者に連れて行かなかったから…」と、悔やんでいる母親にも「ほら!左耳が聞こえるようになったよ!」と言ってあげたかったから。そこからは、西洋医学でダメなら、他の方法で何とかならないだろうか、と思い立ち、いろんなことを試しました。チャクラヒーリング、オーラリーディング、前世療法、ホメオパシー、アロママッサージ、太極拳、神代文字修練、天国言葉を唱える…学習欲と達成欲の私の強みが発揮され、とにかく様々なことにチャレンジしていきました。同時に、いろんな考え方に触れ、自分を知ることの大切さも学びました。また、一人では難しいけど誰かと一緒なら安心して進めていけるんだと実感!ただ、いつも最後は「これでは難聴は治らないなぁ…。さぁ!次のチャレンジしよう!」となってました。そんな時に心と体を緩める「ゆる体操」を学び、第3の脳と言われる皮膚が持つ科学的な働きに注目し、体・心・思考の3つからより良く生きるコンセプト「スキンドライブ」を学びました。難聴が治ったわけではありませんが、ゆる体操とスキンドライブ、そして過去に受けたいろんな知識もプラスして、子供のころから20年以上悩んでいた自分の状況がガラッと変わりました!!⭐笑いたいときに笑えるようになった⭐「AKIHAさんの声を聞くと癒される」と言われるようになった⭐ 自分の言いたいことが10コのうち、今までは2だったのが、6は言えるようになった⭐ 自由に自分を出して踊れるようになり、振付の依頼が途切れないようになった⭐ 気を使いすぎることなく自分が楽しめるようになった⭐ 緩ませ癖がついて、その場に応じて考えられるようになった素晴らしいことが起こっていきました。実はこのメソッドをなんとなーく他の人に教えたり、伝えていくと💎 身体だけでなく心が楽になった💎 何歳からでも変われるんだと思った💎 頑張らない自分でいたいと思えた💎 わずかな時間で、こんなに変わると思わなかった💎 人と話すことが楽しくなった💎 親子の間でもゆるむと関係性が変わると実感した💎 たった30分で顔が別人のように変化した!💎 五十肩が痛くなくなった💎 30分でウエストが細くなり履いていたズボンがぶかぶかになったすごいですよね!私もこのメソッドにはびっくりしています笑おそらく、上記のようなことで悩んでいる方って多くいると思います。だから私は自分が得た経験と、自分を変えてくれた自、潜在意識と身体の関係を知ることによって世の多くの女性の未来をもっと輝かしいものにしあなたはもう大丈夫もうラクにあるがままに生きてもイイんだよって伝えていきたいんです。これを読んでいるあなたももしかしたら私と同じような悩みがあるかもしれません。もしよければ私のブログを読んでみてくださいそして機会ありましたら私に会いに来てくださいね。一人で悩んでいても何もイイ方向にいきませんから♪・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・【取得・受講】・ゆる体操指導員・スキンドライブシステム ・UNCCOMON 論理的思考 終了・自己理解プログラム 終了・楽算スクール 受講・睡眠栄養アドバイザー【経歴】・お茶の水女子大学舞踊教育学科卒業・ミュージカルカンパニー イッツフォーリーズ所属・様々なダンス習得幼少のころよりクラシックバレエ、大学で、モダンダンス、日本舞踊、フラメンコ、コンテンポラリーを学ぶ。ミュージカル劇団に入ってからは、ジャズダンス、タップ、ヒップホップ、パントマイムなど様々なダンスを学ぶ。・NHK番組 出演・振付多数NHK-BS「おかあさんといっしょ」ダンスと歌のおねえさん教育テレビ「うたっておどろんぱ」おどるくん 他・ミュージカル 出演・振付・プロデューサー多数・ゆる体操 250名以上の方に指導
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