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國友裕一郎(くにとも ゆういちろう)1978年 2月23日 生まれ 魚座のA型 高知市にSUGA JAZZ DANCE STUDIO 創設者 國友須賀の長男として産まれる。松山大学経済学部卒業好きな言葉 『いつもこころに太陽を!!!』現在 SUGA JAZZ DANCE STUDIO 代表取締役2代目◎ 高知市内にて幸せな幼少時代を過ごすが、7歳の時に両親が離婚。父方の実家で弟 慎之助と一緒に暮らすことになる。その時のストレスや環境の変化がきっかけで重度のアトピーと円形脱毛症を併発。髪の毛が全て抜けてしまう。同時にいじめを経験する。小学校6年からスポーツにのめり込み、肥満体型だった体も引き締まり、脱毛症も回復に向かう。アトピーは以前完治せず。中学校から大学生までSOFT TENNISに夢中になり、四国大会、全国大会にも出場。青春を謳歌する。この時努力してこつこつ積み重ねる事、チームワークの大切さを学ぶ。高知県立中村高校3年生の冬第2回ホノルルフェスティバルに初めて参加する。大嫌い(両親の離婚が踊りのせいだと思い込んでいた)でやる気なく踊ったよさこいに『感動』し、号泣をする。そして忘れられなくなる。頭では『嫌だ』と想っている事でも、こころは違って感じることがあることを初めて体験する。またハワイのマウイ島の美しさに魅せられ、虜になる。1996年松山大学1年生の夏、第5回YOSAKOIソーラン祭りに参加。セントラルグループよさこい踊り子隊の踊り子として95 レインボードラゴンの踊りで札幌を駆け回る。この時に完全に踊りにはまってしまう。人生のすべてだったテニス部を辞め、大学1年の秋からSUGA JAZZ DANCE STUDIOにてJAZZ DANCEを始める。ひたすら無我夢中。毎日レッスンを受け続ける。部活動で培った体力と根性がこの時生かされる。松山と高知を毎週行ったり来たりしながら多くの方にお世話になる。DANCE STUDIO MOGAさんでHIP HOPやモダン、コンテンポラリーを学ぶ。この頃NYにダンス留学を経験する。BROADWAY DANCE CENTERにてJAZZ DANCEを フランク ハチェット氏に師事する。1999年のYOSAKOIソーランに出場。セントラルグループ鶴の舞を踊り、ある車いすに乗ったお客様から『あなたの踊りで生きる勇気をもらった』とお言葉を頂き、人生観が変わる。この頃から須賀の振り付けアシスタントとして活動を始める。各地のプロデュースチーム振り落としには同行し、指導、演出を現場にて肌で学ぶ機会を得る。同時期アトピーを薬に頼らず自然治癒力で癒すことを決める。食事、運動の大切さに気がつき始める。好転反応で長い時間アトピー悪化をして苦しい時期を体験する。2000年 よさこいにっぽんが設立 岡野弘幹さんとのコラボレーションが始まり、高知よさこいでまほろば披露。須賀よさこい連が新たなるステージに発つ。この頃からリードダンサーとして須賀の代わりに先頭に立ち始める。同時期、長期のダンス留学をNYにて経験する。JAZZ ,HIP HOP,バレエ、コンテンポラリー、等を3ヶ月学ぶ。この旅にて本山新之助氏、黒木由美氏といった素晴らしいダンサーと運命的に出会う。NYにて舞台、AROUND WORLDにゲスト出演。2001年にはハレルヤ、フリーダムという大ヒット楽曲が生み出され、日本全国を毎週ゲストとして出演する。2002年 立脇千賀子バレエ研究所発表会にゲスト出演。 NY、911の犠牲者の方々へ天の祝人で追悼パレード参加。スタジオ20周年記念公演『SHOUT LOVE』で振り付けを手がける。2003年 IZANAIミュージカルSTARNATIONのリードダンサー。その冬NYに留学 jonte morning,victor Rojas ,kevin maher. luam, 素晴らしいダンサーと交流を深める2004年 STAR NATION全国ツアーに参加 香川県にIZANAIアカデミー設立と同時にメイン講師として在籍 全国規模の活動拡大 この頃からベジタリアンに近い生活になる。2005年 COSMIC RAIN 全国公演スタート 振り付け 演出補佐 メインダンサーを務める。初の海外公演 フランス、ドイツにて賞賛を受ける。2006年 引き続きCOSMIC RAIN全国ツアー リードダンサー。全国30公演以上を成功させる。よさこいのプロデュースチームの指導を本格化。LAにダンス留学。2007年 サンフランシスコ LAにダンサーとして留学、舞台出演。メキシコに須賀とともにミュージカル『REGINA』のために旅をする。最愛の仲間佐藤光治をガンで失い、健康に生きるにはどうしたら良いのか考え始める。2008年 IZANAIミュージカル『REGINA』制作開始。レヒーナ役をつとめ、振り付け、演出補佐を務める。12月佐世保を皮切りに全国ツアースタート。スピリチュアルで衝撃的な内容で、感動の波を興す。結婚をし、息子を授かる。2009年 ミュージカルオペラ龍馬全国公演に参加 ジョン万次郎役を務める この頃農業に興味を持ち畑を耕し始める。2010年 スタッフ木庭宏幸の死を体験する。新潟スタジオ発表会『CRIST LOVE』にて演出、脚本、振り付けを初めて行なう。年末新たなステージ 千葉県旭市に移住 大松農場と連携を取り、農業ベースの芸能をスタートさせる。2011年 てんつくマン、ロックバンドおかん、との講演、舞台でのコラボレーションがスタート。新潟にて演出、脚本『ETARNAL UNION』を成功させる。九州スタジオ発表会『LOVE ALL SERVE ALL』も手がける。東日本大震災が起こる。震災、津波、そして最愛の母 國友須賀の死を経験する。代表としての人生が始まる。12月には岡野弘幹氏、マークエステル氏とのコラボレーションで神代音絵巻 むすひに参加。東儀秀樹氏と舞台を同じくする。2012年全国各地でソロ活動開始。主に即興で神社、仏閣での奉納を行なう。奈良県は天河神社、新潟は弥彦神社等で祈りの舞を捧げる。2月 京都南座で阿含宗と特別協賛によって行なわれた東日本大震災復興支援特別公演『日本の祈り』の第2部岡野弘幹氏演出声明と現代音楽のコラボレーションに舞踏家として参加。2013年須賀IZANAI連『よさこい』で新しいIZANAIをPR2014年原爆の残り火を元に 一人一人が平和の燈として未来を照らしていこう!『Rise nwith peace flame~レインボーチルドレンプロジェクト』を全国発信 ヒューマンノート 寺尾仁志さん、ロックバンドおかDAIさん、ゲスト参加。2015年、高知市文化振興事業団様より、よさこいの功労者、國友須賀の生涯、生き様をミュージカルにしようと企画が挙がり、「Suga.〜Spirit Never Die 受け継がれた虹色のバトン〜」を第67回高知市文化祭開幕行事で公演。翌年、長崎県佐世保市で再公演。 同、2015年 戦後70年の節目の年に「70年の祈り〜幸福の連鎖〜」を高知・新潟・長崎、全国3箇所で公演。過去の教訓から同じ過ちを二度と繰り返さぬよう、平和の尊さを発信しました。2016,2017,2018年國友須賀の遺言のひとつ、月夜の晩に皆で祈りの祭りを踊って欲しい。それを具現化したカムナガラシリーズがスタート。月カムナガラでは本城美紗子さん日月カムナガラではブルーハーツの梶原徹也さん全てに児玉宝謹さんがゲスト出演して頂く。 2018年、第70回高知市文化祭開幕行事では新潟佐渡から日本が誇る、世界の和太鼓芸能集団 鼓童さんとコラボレーション。題名を『土佐の息吹〜鼓童と舞踊による芸術の融合〜』と題したこの公演は、第一部を鼓童の演奏。第二部を地元の団体(ダンススタジオ・役者・日本舞踊・体操)が協力し、若くしてこの世を去った若者の生涯を作品にし、捧げました。2018年 よさこい祭り65周年の節目を迎えることで、正調よさこい鳴子踊りに敬意を持って踊り継ぐことを決意する。児玉宝謹さん、岡野弘幹さんにオリジナル音源を依頼制作。この日か須賀IZANAI連で踊り継いでいく。 2018年 11月24日〜12月16日にかけて日本全国5会場にて全13公演(日本武道館 大阪城ホール 幕張メッセ等)約十万人が動員されたミュージカル 刀剣乱舞 『真剣乱舞祭2018』 musical-toukenranbu.jp/pages/shinkenranbusai2018 において國友裕一郎がお祭りパート制作のお手伝いをさせて頂きました。 また近年では岡野弘幹氏や多くのアーティストと神社 仏閣 聖地、祭での奉納、演舞等も行い、お祈りする事の大切を学び、実践をしています。笑顔を持って仲間と心ひとつに活動しています。みんなとかけがえのない時間と、個性を慈しみ合いたい。幸せを分かち合いたい。生年月日1978年02月23日性別男性血液型A出身地高知県居住地高知県ステータス既婚SNS
テーマ: ヒーリングルームリボーン
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