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いつからかわからないけど、そんな人生送って63年。「やりたいかやりたくないか」この5ヶ月、文字通り、なにもわからない、なにもないところから、考えて、悩んで、泣いて、笑つて、今日があります。何をしたいか?どうなりたいか?何ができるか?歳のせいで涙腺緩んできてるのもあるけど、とにかく心を揺さぶられた。真面目、いい人、ちゃんとしなきゃ、俺が悪い、あいつが悪い、何かが悪い、俺が正しい、何かが間違ってる、わかってるけど、できない、言い訳ばっかり、いつからかわからないけど、そんな人生送って63年。61歳の時に大人の事情で、今までの環境が一掃されて、「どうして生きていくか」ということを考えざるを得ないところに立たされた。けど、どうしていいのか、どうしたらいいのかさえわからなかった。背中は痛いし、手足は痛痒いし、体中に湿疹は出るし、どうすんねん。皿洗いもできひんし、荷物も運べへんし、何もできひん。ただ、今までなかった時間だけは少し出来た。去年の夏、前から、気になっていた、えいこさんの「遠隔身体調整」の講座がたまたま、大阪で開催されることがわかり、申し込んだ。あのタイミングで申し込めたことが正解だった。一年早くても、一ヶ月遅くてもダメだった。あのタイミングで、講座のあと、あきこさんとえいこさんの3人で、喫茶店で話をしたことが、今につながっている。この出会いがなければ、とんでもない話で、きっとおやじより先に、あっちの世界に行っていたかもしれない。それはそれで、有りだったのかもしれないけれど、今は、思う。「そんな人生で、終わりたくない!」と鈍亀な僕でも、少しは振り返ることができる。そして、あの時に思っていたことというか、今までの生き方考え方がしんどかったんやと。考えてみたら、それから、パートを友達が紹介してくれたりしてくれて、足りないけれど最低限の収入を確保できたし、なかなかできなかった遠隔身体調整の練習もえいこさんのおかげで、できるようになったし、ゆきさんに、レイキを教えてもらえたし、ずっと買えなかったMacBook Proも変えたし(まだ半分ぐらいしか使えてないけど)今までからちょくちょく会ってはいたけれど、そんな小学校時代の同級生とまたちょっと違った感じで付き合えたり、高校時代の同級生にも、また違った感じで、ありがたみを感じたり、大学時代の友人が、20数年ぶりで会いに来てくれたり、大学時代の別の友人とやっぱりまた違った感じであえたりとか、たぶん、僕の捉え方なんだろうけど、とっても素敵になってきています。大人の事情に押しつぶされていたんだろうけど、それよりも、やはり、僕自身が、何がしたいのか、何をやれば楽しいのかが、その頃はわからなかった。子供が元気に大きくなってとか、楽しい家庭とかはあったけど、ほんとに何がしたいのか、何をしたら楽しいのか、わからなかった。家族でディズニーランド行って、エレクトリカルパレード見て、楽しかったけど、、、、、、充実感がなかった。なにかしようとしても、やる前にいろいろ考えて、できない理由ばかり考えて、今までやってきたことから少し違ったことはブレーキをかけていた。それで、安全な道を歩いていたつもりだった。けれど、やりたいことを自分で止めて、一歩も動けないそんな自分が嫌だったけど、変えようとはしなかった。変えなかった。今、自分が変わろうとしています。自分を見つめなおして、本当にやりたいこと、住みたい世界、生きたい世界を考えると、自分が元気になって、人に遠隔してあげたり、レイキしてあげたり、話を聞いて共感して励ましたり、一緒に泣いたり笑ったり、お茶飲んだり、御飯作ったり、畑仕事してみたり、歌を聞いたり、ホタルを見たり、星を眺めたり、薬草摘んだり、して、そこにいれば、ホッとして、安心できて、癒やされて、ただ、生きていてよかったって思える「場」を作りたい。今、そう思います。青い鳥が身近にあることを感じられる「場」の提供。青い鳥は本当にいま自分の中にいるんだということを見つけられる「場」。喫茶店でも、畑でも、スカイプで話することでも、そこにただ居さえすれば、青い鳥の存在に気づける安心な「場」それを作る人になります。そのために、まだまだ今までの考え方の癖が邪魔をしてくるだろうし、癖は抜けないかもしれないけれどそれを横に置くことを少しは覚えたので、一歩ずつ、踏み出していきます。よろしくお願い致します。 いつからかわからないけど、 そんな人生送って63年のかつみ
テーマ: 自分の声を聴く
メンタルヘルス
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