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顔のフレームをソフト手技で変えていく小顔矯正と体軸を整えていくことにこだわる根本セラピーを2002年から始める。10代、自分の見た目のブスさが性格にも出る。20代、もう本能としか言いようのない自己チューの好きなことを選んで生きる。30代、見えない世間とか将来を心配するようになる。40代、自分の居場所を探していた。50代、悲劇のヒロイン気取りはもうヤダ、本来の自己チューに 戻るぞと決意する。50になってやっと『自分の人生なのになんで私いつまでエキストラやってるの?』という事に気づくこのトロさ。でもこれも私の大事な部分です。生きていれば色々あります。”火事場の底力、ど素人から小顔矯正セラピストへの道のり”少々お付き合いください。**私のなりたち**おばあちゃん子で、お絵かき大好き。割り算が出来ず授業中泣き出した小3。オバケ、ブスと言われ続けられた小中学時代。りぼん、マーガレット、少女フレンドで育った10代。漫画家志望の高校時代。高卒後、商品卸会社就職。初任給手取り8万円。22才 :親戚を頼りにサンディエゴへ初の一人海外旅行。。29歳:結婚**美容矯正とのなれそめ**>起<2000年:主人の仕事(自営:中古車販売業)でオークランド移住英語、パソコンまったく使えずただのお荷物的存在。英語しゃべれない=馬鹿な奴と誰からも見られているとずーっと感じてた。2002年:借家の一室から美容矯正サロンを始める。>離職<NZへの移住約4年前、主人が欧州営業中風土病の一種ライム病にかかる。ホントーに渋々4年11ヶ月働いたリホーム会社を辞めて入院先のパリに飛ぶ。(飛びたくて飛んだわけじゃない(`Δ´))春、主人は頭痛、痺れ、吐き気が取れないまま帰国。そのまま神奈川の大学病院に検査入院。その1ヵ月後、「数値に異常がありません。お気を確かにお過ごしください」と、医師から励まされつつ体調が戻ってないまま退院となる。それから長-い病院のはしごと病院難民生活が始まる。快方の兆しのない中、引退、引きこもりも考えている発言まで出る。ちょーーーっと待ったー!それはこまる!それは失業だよ。おっとちゃん!!!会社を辞めてしまった事務の出来ない40歳女はどーすりゃいいの?正社員の道は絶たれてしまっているんだよーウチの人にど――にかしてでも復活してもらわなきゃ!マジに将来食べて行けないってばっ。大泣>転<暗中模索の中、ミレイ ド・シェル(現在の勝山浩尉智 美容矯正)スクールを知る。オステオパシーという医学をベースに骨格、筋膜、筋肉、頭蓋骨の歪みを改善して本来の「美」を引き出すという骨格矯正メソッドの美容矯正。主人の頭痛や痺れが歪みとどんな因果関係があるのかどうかまったくわからない度素人の私。でも「矯正」という2文字は私を引きつける。鍼でもなく、マッサージでもなく、リフレクソロジーでもない。骨格矯正なんだと。ライム病という言葉はもう私の中にはなかった。私は即断し、スクールに通う。始終懐疑的なウチの人をモデルに復習、練習また復習を重ねる。周りの雑音はまったく耳に入らないほどに私は一直線。とある日、相棒「最近、オェッ、オェッて吐く様な事やらなくなってきたし、なんか変わったよね」この一言を待ってましたぁぁー!美容矯正を習って本当にホントーーによかったと思った瞬間。私の自己満足じゃなく、ウチの人の外見、表情そして刺々しい雰囲気が取れてきたから周りの人が気づいてくれたんだと確信できた。美容矯正は彼から頭痛、痺れそして将来への不安を取り除いてくれた。2000年:主人はニュージーランドでの事務所設立の為出国。「亭主元気で外がイイ」的な絶好な時を逃さず私は「私の生きる道、美容矯正」に磨きをかけるべくして東京ミレイ ド シェルのサロンに通い、見習い、接客、セラピスト講師を勤める。しかし半年後、私はネコの手要員としてNZに入国。(T▽T;)>異変<NZ入国後、「東京、女性マガジンで人気の『小顔』をNZで!』のキャッチコピーを掲げ宣伝する。成り行き上、普通の主婦がゼロから自営業をしていくから最初から頭打ち状態。ポケットマネー程度の収入に甘んじていた。しばらくして不具合の芽が自分の中に出て着きたのを感じる。気がつけば、身体の内側から嫌悪感、重い疲労感が湧き出てきてどーしても人の身体に触れられない自分がいた。仕事への意欲もないし空虚感に満ちて、ここにいる意味が分からなくなっていた。帰りたかった。日本じゃなくて、自分が自分でいられる場所に。空を見ていてもツーと涙まで出てくる自分。開店休業状態が2年近く続く。もう仕事は無理だろうなとあきらめていた時、「霊気」のアチューンメントを受ける。宇宙からのエネルギー(波動)と繋がる「手当て療法」自分への癒し生きることに積極的になれるらしい。(是非、なりたい!)KIWIのセラピストも受けているらしい。。。邪気からのプロテクトになるらしい。。。知らないスピルチャルな世界。だけどこんな状態から抜け出したかった。後日、どこが、ナニが変わったのかトンと判らなかったがその日から宇宙エネルギーとの回路は開かれましたとお墨付きをいただく。OKサインをいただいてしばらくして、自然と『仕事を続けていこう』という気持ちが湧いてくる。不思議でも大きな変化。>転落<私の中身がガタガタ狂い始めた辺りから、ウチの人の仕事も行き詰まり、2つの会社を潰す。あてにしていた仕事はお流れになり無職となる。家は売れたが購買ピーク過ぎた時期で足元見られて叩かれる。夫婦で踏んだり蹴ったりの貯金を崩しての生活が始まる。飼い猫は長期猫ホテル預かりとなり、夫婦で所帯道具をハイエースバンに詰め込みホリデー貸家に1ヶ月、アパートタイプのホテルに1ヶ月と浮き草暮らしが続く、まだまだ続く。やっとこさ借家が決まり、飼い猫とも住めるようになる。この間、ジャパンレストランのパートタイムの仕事に出る。ジャパレスではドジばかりを踏む。この時点でもまだ簡単な英会話が出来ない自分を痛切に自覚する。ズタズタに落ち込む。>縁<オークランドを負け犬のごとく逃げ去りノースのワファンガレーに住むことを主人が独断で決める。しかし、私は自分に意志で(←ココ大事^^)家の貯金をはたいてでもオーウランドに残ることを主張する。反旗を翻したわけです。私は自分の意思でオークランドを出るかどうかは決めたかった。「この非常事態でナニ馬鹿なこと言ってんだぁーーー!!」と細っそい糸目からギラリと威圧的に睨うウチの人。だからって何よ!もう懲り懲りなのよ、自分を流して生きていくのが。わかる?わかるか、男のあンたに?にらみ合い中、私の頭の中では「離婚」の二文字がグルグル回ってた。結果、1年半近くのプチ別居生活となる。私はハウスクリーニングのパートに出て現金収入を得る。心の支えは生活の基盤がないこの時期、1ヶ月に1回でも2ヶ月に1回でも定期的に整顔の依頼をしてくださるお客様がいること。生活の張りにも繋がり精神的に支えられる。1年半後、知人からの紹介で主人が再び中古車業界で再就職が決まる。この頃には私の「満足」度が満たされいた。2013年:オークランドのサウス地域、マヌレワに移り住み私は自宅サロンを再開する。 。 。 。2013年:勝山浩尉智 美容矯正アドバンス認定修了2017年:神戸小顔カレッジ エンドリングファイシャル修了2018年:IMA国際メディカルアロマセラピー修了2018年::勝山浩尉智 美容矯正NZ校認定講師結婚後すぐに自営業を始めて29年、その中で会社を切り盛りし何でも自分たちのチカラで物事を起こし決断し困難を通り抜けてきたと思っていましたしかしそれは大きなうぬぼれ。振り返れば自分ひとりで出来ることは限られていました。大きな大きな「縁」という海の中で私たちは泳いでいたのです。主人の会社設立の時も、私が整顔を学んだ時も、会社を潰した時も、母が亡くなった時も、自分だけのチカラで立ち上がってきたわけでなく、そこには必ず手を差し伸べてくれる人たちいました。浮いたり沈んだり、溺死寸前かと諦めた日々の中、宇宙の采配なのかと思えるタイミングで大事な人たちと出会いそして別れを繰り返しています。これまで色んな授かりモノや助けられたきたことを今度は私がお福分けをする番だと考えてます。形は違うけど、お客様が数あるサロンからピースリリーを選んでくれた「ご縁」。その縁を大事にし、目の前のあなたに幸せになってもらいたいからです。女も男も(私だって)顔のコンプレックスはナイーブな問題です。大人になればなっただけ本心を打ち明けられすになります。「今さら、年なんだし」と無関心や大人ぶったそぶりが増えます。でも1つでも悩みが消えれば心は軽くなり、表情はあかるくなります。それは今まで欠けていた自信というピースが埋まるからじゃないでしょうか。いままで置き去りにしてきた可愛そうな自分に向き合う事から始まります。お任せください。あなたが独りで抱えているコンプレックスや、体の痛みに渡辺は真面目に向き合っていきます。二人三脚で取り組んでいきましょう。==================#所在地:ニュージーランド、オークランド市#1960年9月生まれ #静岡県熱海市出身#血液型:AB型#家族構成:新潟県人の夫、17才メス猫【サクラ】#好きな事:鯖、落語、猫、ギャラリー巡り、ハワイ、脳科学##私のゴール:ニュージーランド、ハワイ、日本の3カ国を拠点にして仕事と生活をエンジョイするサロンオーナー兼講師になる。#嫌いな事:窓拭き掃除、数学、ココナッツ、無料メルマガ始めました。「第一印象をビシッと決める美肌小顔を手に入れる7日間無料講座」http://eepurl.com/di9GAz
テーマ: 整顔&小顔
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