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ようこそ。「ココロ革命」にお越しくださいました。ココロ革命家の“きらくるかず(つちだかずみ)”です。「ココロ革命」では、働き方、生き方を変え、成長したい全ての人のための、「ココロ革命」のヒントをお伝えしています。私は、アラフィフの大学の非常勤講師です。そんな私が、40歳を過ぎる頃から、働き方、生き方が激変しました。今では、その頃の私は、別人とってもいいくらいです(笑)でも、その変化は、すんなり起きたことではありませんでした。途中、不安や恐怖もありました。でも、たった一度の人生を、後悔せずに生きたい。そんな思いから、進んできた道であり、導かれた道です。そして、これからの私の使命は、「ココロ革命」のアドバイザー、トレーナー、そしてガイドとして、一人でも多くの人に自分の人生を歩んでもらうために「ココロ革命」を起こすお手伝いをすることです。そのために、私の「ココロ革命」の物語をお話ししますね。みなさんの「ココロ」にも革命の火が灯り、人生が変わっていくことを願ってお伝えします。~~~きらくるかず(つちだかずみ)の「ココロ革命」ストーリー~~~0章〜とにかく上を目指して進んだ日々〜私の前半生は前だけをみて、そして、上だけを目指していた日々でした。22歳で、国立大学教育学部を卒業後、特にやりたいこともなく、かといって、先生にもなりたくなく、なんとなく一般企業に就職しました。にもかかわらず、たった9ヶ月で退職。その時、初めて本気で自分のやりたいことを考えました。もともと、人と同じことをするのが嫌で、教育学部を卒業しながら、教師にならなかったのに、いまさら、教師は考えられませんでした。でも、漠然と、人に教えるのは好きだったんです。学生時代は塾や家庭教師のアルバイトに明け暮れていましたし、子どもたちが、わからなかったところがわかるようになる様子を見ると、私も胸が熱くなったのです。人に教えること。でも、学校の先生はイヤ。そんなことから、思いついたのが、日本語教師になることでした。当時、日本語教師という仕事が出始めたころで、新しもの好きだったこと、そして、外国で働くこともできるという思いから日本語教師になるのが、私の「夢」となりました。それから、日本語教師になるために、昼は塾で働き、夜は日本語教師養成講座に通うこと、実に6年。そして、やっと、日本語教師となったのです。30歳の時でした。しかし、日本語学校での非常勤の仕事では、月に数万円にしかならないことが判明したのです。そんなブラックな職種だともっと、早く気づけばよかったのですが、その時は、「夢」が先行していて、わからなかったんですね。唯一、日本語教師で食べて行くには、安定した職を得ること。それは大学で職を得ることでした。それに気づいたのが、30歳を過ぎてですから、かなり気づくのがおそかったかもしれません(笑)。そして、大学卒業後、10年たって、再び受験勉強をして大学院に入ったのが32歳の時でした。周りは、10歳くらい年下の人ばかり。この10年間を呪い、10歳年下の同級生たちが、大学の専任講師や教授になって行くのに、負けまいとして、必死でしたね。そして、どうにかこうにか35歳の時にやっと大学の非常勤講師の職を得ました。「さーて、これから巻き返すぞ。」「この道で、上を目指していこう!」「まずは、専任にならないと、負けだ。」「そのためには、博士課程に進んで、研究もしなければ・・・」そうして、自分をどんどん、追い込んで行きました。「人に負けてはいけない」そんな気持ちだけで、進んでいました。今思えば、無理なことを必死でがんばっていて、本人だけが気づいていない「痛い人」です。ですが、当の本人は、やる気も満々で、エネルギーに満ちていて、自信もあったのです。でも、それが「ココロ」のダークサイドであることには気づいていませんでした。第1章 〜ダークサイドに落ちて本当の「ココロ」と向き合う〜そうして、5年くらいは、上を目指してがむしゃらに仕事をしました。正直、上昇志向のエネルギーで、夜も寝なくても結構平気でした。これは後になってわかるのですが、上昇志向の時、人ってエネルギーが出てくるんです。でも、このエネルギーは「ダークサイド」のエネルギーなんですね。スターウォーズのアナキン・スカイウォーカーがダースベーダーになっていく時のエネルギーといってもいいかもしれません。ですが、このダークサイドのエネルギーは続かないんです。きっかけは、目指していた専任になれなかったことでした。大学院の博士課程の受験に失敗し、専任の応募を数十校出しましたが、ことごとく不採用。大学の専任は普通、35歳までと言われていて、40歳を過ぎると、皆無状態。その時、私は40歳。もう、専任にはなれない。自分の人生設計がゴロゴロと音を立てて崩れて行く感じがしました。私より若い人が准教授、教授となっているのに、自分には能力がない。自分は社会から認められない。自分は人より劣っている。そんな声が頭の中を渦巻いて、一歩も先に進めなくなったのです。自己嫌悪に陥りましたね。そして、それを誰かに助けてもらいたい「誰か私を助けて〜」と、いつも心の中で叫んでいました。でも、それが言えずに、パートナーには反対の言葉を言っていました。「なんで、あなたは、何もしてくれないの?」「私が、こんなに苦しいのに。こんなに頑張っているのに。」そうやって、相手を責めてばかり。家庭内は当然、ギクシャクし、心も通わず、お互いがお互いを無視するようになってしまったのです。そんな時期が数年は続いたでしょうか。今、思えば、地獄の日々でした。睡眠薬を飲まないと眠れず、「自分は生きる価値がない。」「人生で何も残せない。」「誰の役にも立たない。」「私の人生には何の価値もない。」そんな声ばかりが、頭の中から聞こえてきました。でも、同時に「まだ、人生はあきらめたくない。」「絶対に、生まれてきた意味があるはずだ。」という声も聞こえてきたのです。だから、何とかして、ここから抜け出そうと思いました。どこに進むのか、何が正解か。そんなことはわからなかったけど、今とは違うところに進んでみよう。今まで、上しか見なかった私が、自分の内面である「ココロ」に本気で向き合った瞬間でした。第2章 〜どん底から始まった「ココロ革命」の旅〜それからの数年間は、自分の「ココロ」と向き合う日々でした。最初は心理学でした。自分の「ココロ」に初めて向き合った体験でした。自分の「ココロ」はなんて真っ黒なんだろう。どうして、人を責めてばかりいるのだろう。どうして優しくなれないのだろう。そして、その過程で、自分がいかに自分を否定しているのか。自分にダメ出ししているのか。それに気づきました。何とか、自分を変えたい。こんな自分はいやだ。そう思いながらも、平静を装いつつ、仕事をしていました。でも、気づく人にはわかるものです。卒業後も親しくしていた、ある外国人の元学生が、そんな私の様子を見て、こんな言葉を言ったのです。「先生、自分を愛している?先生は愛されるべき人だよ。」おそらく、その元学生は、私が辛そうな雰囲気だったのをみて、言ってくれたのです。そんな人の「ココロ」がわかり、それをストレートに伝えてくれることができる人でした。でも、正直、その時はその言葉の意味がわかりませんでした。その、表面的な言葉の意味にすがり、私はそれから数年間、その元学生に、優しい言葉をかけてもらいたい一心で、精神的に頼るようになっていました。ですが、ある日、その学生からは愛想をつかされてしまったのです。それは、当然のことです。相手の都合も考えずに、頼ってしまってばかりでしたから。今ではよくわかるのですが、エネルギーを奪ってばかりいた、エネルギーヴァンパイアだったのです。でも、その時はショックでした。そして、いよいよ、誰にも頼れず、目の前が真っ暗になりました。「誰も助けてくれない。」「いや、自分を助けるのは自分しかいないんだ。」そんなココロの声が聞こえてきて、その時、決意したのです。「私は変わる」と。私が自分のココロを救い、自分を変えると決意した、本当の「ココロ革命」のスタートでした。第3章 〜ココロ革命の始まり -ココロのデトックス編―それは2012年の5月でした。「私は変わる」と紙に大きく書いて、壁にはり付けました。でもどうすれば変われるのか、さっぱりわかりませんでした。でも、何かしないと・・・そう思って最初にやったのが、数年前にあの学生がかけてくれた「先生、自分を愛してる?」という言葉だったのです。その時は、「自分を愛する」ということと、「自分が変わる」ことがどう結びつくのかはわかりませんでした。でも、確信というか、直感的な何かで、「自分を愛する」という言葉が、「ココロ革命」のドアを開くことになると感じていました。それから、すぐに、「自分を愛する」をネットで調べてみました。すると、それまで触れたことがなかった、スピリチュアルな考え方が広がっていました。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜最初に触れたのはエックハルト・トールでした。人間の意識や思考のしくみ、どうして自分が自分を愛せないのか、自我のしくみやインナーチャイルドやインナーペアレンツなど、今まで、私が考えたことがなかった「ココロ」と「宇宙」と「世界のしくみ」が書かれていました。そして、むさぼるように、その知識を得ていきました。私が生きづらかったのは、自分を否定していたのは、自分の「ココロ」がわからなかったからだったのだと、その時、苦しみから解放される気がしたのを覚えています。そして、今までの苦しみは、「ココロ革命」に必要なことでもあったのだと、気づいた瞬間でもありました。私が、前半生で思うようにいかなかった人生があったから、こうして、本気で「自分を変えたい」と思えたし、こうして、「ココロ」のしくみがわかったし、こうして、次に踏み出せたのだと。それから、次々と、導かれるように、「ココロ革命」に必要な知識やメソッドや方法と出会っていきました。量子力学、引き寄せの法則、瞑想、タッピング、エネルギーワーク、リーディング、そしてコーチング。それらを次々に学ぶうちに、一つのことに気づいたのです。それらは、すべて同じことを言っていて、すべて、「ココロ革命」を起こすためのメソッドなのだということに。それは、「ココロの呪い」をデトックスする手段だったのです。私はそんな「ココロの呪い」のデトックス方法を一つ一つマスターし、自分のココロをキレイにして行きました。最初は、自分を否定する「ココロ」の底にある呪いと向き合うことでした。それは、「私は愛されていない」という思いと、「女はダメだ」という強烈なものでした。私は、5歳上の兄と1歳上の姉と私という3人兄弟の末っ子でした。末っ子というと、さぞ可愛がられたかと思うかもしれませんが、両親は自営業で、仕事が忙しく、0歳の時から保育園に預けられ、年長の時には、母は迎えに来ることができずに、一人で保育園から歩いて帰るという子どもでした。今から考えば、危ないこと極まりないことですが、当時はおおらかというか、何というか、それが、許されたのです。でも、子ども心に、「お母さんに甘えてはいけない」「親に頼ると迷惑をかける」という思いもあったのです。自分を認めてほしい気持ちもあったかもしれません。さみしさや悲しさは表に出してはいけない。そうしないと認めてもらえない。認めてもらうことで愛情を感じようとしていたのかもしれません。そして、当時、自営業の経営も軌道に乗っておらず、貧乏だったこともあり、着るものはほとんどが姉のお古で、自分のものはあまり買ってもらえませんでした。そんな幼少期ですが、唯一、私に愛情を注いでくれた人がいます。それは目の前に住んでいた祖父でした。毎日、保育園から帰ると、元小学校の校長をしていた祖父の家に行き、いろいろなことを教えてもらい、帰りに5円玉と水あめをもらうのが、楽しみだったのです。祖父はいつも優しく、無条件に私を愛してくれる存在でした。小学校の先生だった祖父は、子どものことをよく知っている人でした。そして、すぐ近くに住んでいる孫の私をとても可愛がってくれたのです。囲碁盤の上で五目並べをしたり、字や九九を教えてもらったり、今でもそれを思い出すとココロが暖かくなります。ですが、その祖父も私が小学校1年の時に倒れ、その翌年、なくなってしまいました。それから、両親が愛してくれなかったわけではないのですが、私はあまり、両親や周りから愛情を感じることができないまま育ってきました。そんなふうに自分で勝手に感じていただけなのです。特に、女であることがよくないことだという思いもありました。一度、母親に言われたことがあるのです。「お前は男の子だと思ったんだけど、男の子だったらよかったのに」と。それは、他愛もない会話の中でのことだったと思いますが、深く、私のココロに刻み込まれていたのです。そんな子どもの頃に感じたことや感情が自分のココロの奥底に「呪い」となってあったことに、自分のココロと向き合うことで気づいたのです。他にもいろいろな「呪い」がありましたが、それを一つひとつ紐解き、「呪い「と「感情」をデトックスしていったのです。それに3年はかかりました。でも、それで、全ての「呪い」が溶けた訳ではなかったのです。第4章 〜ココロ革命の壁 -アイデンティティークライシスーそうして、自分の「ココロ」のデトックスを進めて行きつつ、周りをふと、見てみると、私が数年前に感じていた、「ココロの悩み」を抱えている人が大勢いました。自分を愛せずに悩んでいる人子育てに悩んでいる人職場での人間関係に悩んでいる人お金の問題に悩んでいる人やりたいことに一歩を踏み出せずに悩んでいる人そんな人に、私が経験してきた、「ココロの呪い」のデトックスが役に立てばという思いで、タッピングのブログを始めました。「ココロのしくみ」を伝え、「ココロを変えたい」という人にはタッピングを教えたのです。それが、最初の起業でした。起業とは名ばかりの、いわゆる「プチ起業」でした。「人に頼らず教わらず、自分で何とかしよう、できるはずだ。」という思いでやり始めました。その時、ある程度はうまくいったのですが、ですが、数ヶ月後、突然、上手くいかなくなったのです。ブログが書けなくなり、何をどのようにすればいいかわからなくなったのです。今までストックしたものが空っぽになってしまったようでした。その後、実に1年間、動けませんでした。そして、1年後、「自分一人でやったのが良くなかったんだ。ビジネスのことはやはり、人に聞かないとダメだ。」と思い、個人の経営コンサルタントと、ブログとデザインのコンサルタントをつけました。それに加え、高額起業塾にも入ったのです。そして、一からビジネスのことを勉強し始めました。数百万というお金も使いましたね(笑)起業でどうしても成功したいというわけではなく、自分の人生を自分で切り開きたくて、それが何かを知りたくて、とにかく必要だと思うものは、学んでいきました。そして、数ヶ月、毎日ブログを書き続け、「自分コンサル」というセッションで、クライアントさんもいて、「これで、上手くいくぞ〜」というときに、またしても、ハタと動けなくなったのです。2回目に動けなくなったきっかけは、「ココロの焦り」でした。「1年間のブランクを取りもどそう!」「もっと、すごい人がいる。それに比べて、私はまだまだだ。」「早く、結果を出して、起業を成功させて、認めてもらいたい。」そんな「ココロの焦り」が、空回りしたのでした。そして、またしても動けなくなったのです。「ココロのデトックスをしたのに、どうしてうまくいかないんだろう?」「うまくいっている人と比べて私は、やっぱり能力ないんだ〜。」今度、出てきたのは自分の「ネガティブ思考癖」でした。それは、「アイデンティティクライシス」ともいえるものでした。乗り越えたはずの自己否定。またしても、自分の能力のなさを悲観し、不安を感じ、動けなくなる自分。そして、人から否定されてしまう恐怖。そんな、不安と恐怖が強烈に襲ってきたのです。お一人様起業は成功するかどうか不安にさいなまれます。お客様を幸せにできるかどうか、恐怖にもさいなまれます。それを乗り越えるのに1年がかかったのです。その不安や恐怖を乗り越えるきっかけとなったのが、古神道でした。古神道とは、エネルギーを扱う方法のようなものです。人間に限らず、この世界、宇宙全てがエネルギーでできています。そのエネルギーを理解し、コントロールし、高めて、現実を動かしていく。古神道を通じて、エネルギーを深く深く理解することができたのです。〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜それによって、動けなくなった原因もわかりました。1回目、動けなくなったのは、完全なエネルギー切れでした。エネルギーの使い方がわかっていなくて、エネルギー補給をしないままに使ってしまって起きたものでした。2回目のアイデンティティクライシスは自分の「ココロ癖」に気づき、それを克服する機会を与えてくれるものでした。「ココロ癖」は誰にでもありますが、それが実は大きなエネルギーを消費してしまっていたのです。インナーチャイルドやインナーペアレンツの克服はできていたつもりでしたが、まだ克服しなければならない自分の「ココロ癖」に気づくために、アイデンティティークライシスが起きたのです。こうして見ると、2度にわたって失敗した(というか、動けなくなった)私の起業の黒歴史も実はムダではなく、「ココロ革命」にとってすべて必要なことだったんですね。第5章 〜ココロ革命その次へ -人生の成長ストーリーを生きる-現在、最初の「ココロ革命」が始まって10年余り。「私は変わる」と決意して、6年、起業して3年が経ちました。そして、今、思っていることがあります。それは、全てが必然だということです。人生のあらゆる出来事は、絶妙なタイミングで起きています。すべての出来事は、自分の魂が求める「ココロ革命」のきっかけとして起きているのです。一見、辛いこと、苦しいこと、悲しいこと、嫌なこと。その中にこそ、「ココロ革命」のきっかけがあったのです。もし、私が、大学の専任教員になっていたら、今のような「ココロ革命」は起きなかったでしょう。もし、最初の起業で上手くいっていたら、今のような「ココロ革命」は起きなかったでしょう。起業に関しては、まだまだ結果も出ていないし、これからです。そして、これからも、不安や恐怖は感じると思います。それでも、私はこの起業という道を進んでいきます。それは、起業という形で、みんなの「ココロ革命」をお手伝いすることが、私の使命であり、私の「ココロ革命」にとって必然のストーリーだからなのです。あなたの「ココロ革命」はいつ始まりますか?私の「ココロ革命」ストーリーに何かを感じたなら、あなたの「ココロ革命」がスタートを切る合図かもしれませんね。あなたの「ココロ革命」のきっかけとなったら幸いです。最後まで、読んで頂き、ありがとうございます。
テーマ: ココロ革命
仕事術
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