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初心者でも簡単に企画書がつくれる「魔法の企画書」を通じて、皆さんに企画づくりの楽しさを知っていただき、素敵な企画が世の中に溢れるようになればいいなと願っています。国会議員の秘書、パソコンショップの店長を経て企画書づくりの専門家になった変わった経歴ですが、その時の経験が今でも活きています。企画書づくりの専門家になって20年、独立して10年という区切りを迎え、今までは自分で企画書をつくることに専念していましたが、これからは企画づくりの楽しさやノウハウを皆さんに伝えて行かれればと思います。一緒に楽しく企画づくりをしましょう!【プロフィール】武井尚久1963年3月26日生まれ魔法の質問認定講師小さい頃から運動が大好きで、身長も大きかったことから、 中学、高校時代はバレーボール部に所属し、全国大会出場を目指して、練習に明け暮れる毎日。その結果、春の高校バレーに2年連続で出場を果たし、インターハイ、国体と全国大会を全て経験し、エースとして活躍する。しかし身長に限界を感じ、大学でバレーボールをすることをあきらめ、得意だった数学を活かして国立大学の理学部へ進学。ところが大学に入ると、バレーボールで全国大会を目指していた頃のような充実感のなさに不満が募ってきて、先生や友達みんなが止めるのも聞かずに、大学を中退し東京へ。「何か充実感の感じられる仕事はないものか」と探した末、スポーツのように勝負がはっきりする選挙活動に魅力を感じ、その頃国会議員を目指して活動中の先生の事務所を訪ね、「給与はいくらでもいいですから」と言って、若者は採らないというところを、強引に説得して就職。3年間の選挙活動の末、みごと当選。数学の知識を活かして、独自の世論調査をおこなうなどの功績が評価され、23歳の若さで議員会館に配属となる。しかし国会に来て、議員の権力をかさに着て役人に偉そうにしている議員会館の先輩秘書たちの姿を見るにつけ、「若いうちからこんな世界にいると人間がダメになる」と思い退職。世論調査のためにパソコンを駆使していた経験を活かそうと思い、パソコンショップのチェーン店に就職。就職そうそう社長に向け企画書を書いていろいろな提案をしていたら、いきなり店長に抜擢される。しかし、パソコンのソフトには詳しくても、ハード系には弱かったため苦労を重ねたが、ようやく実績が認められ7店舗のグループリーダー兼広告宣伝担当課長として本社へ。そこで、はじめて広告の世界に触れる。広告の世界なら、企画書が得意な能力を活かせると思い、その当時新店舗開発の企画を担当いただいた、プランニング会社に転職。NTT DoCoMoの新サービスの企画運営や、家電メーカーの新型プリンターのデザイン企画、販促企画をはじめ、様々な企業の企画を担当する。入社10年を期に2000年に独立。以来、メーカー、流通、販売店や官庁、自治体など、企業・公共団体・NPOの企画づくりに幅広く携わり、3000以上の企画書を書いて現在に至る。
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