ブログをブロックする
ブログを報告する
音楽キャリア幼稚園の頃、ヤマハ音楽教室ジュニアアンサンブルコースに入会(親に直談判して頼んだんだよね・・・よっぽど音楽したかったらしい)。以後、中学3年進級直前にヤマハ音楽教室をやめるまで、エレクトーンを続ける。同時に中1からギター(アコギ)を始める。高校時代はバンドでキーボードを弾いたり、ギターやピアノの弾き語りで音楽の授業の実演課題に臨んだりした。大学学部~大学院M1まで、軽音楽サークルに所属し、主にキーボード担当。たまにギターも(エレキギターは大学2年から始める)。M2はさすがに修士論文を書いてたのでしばし音楽はお休み。院修了後、大阪市役所入庁。初任給プラスαで、初代の愛器エクセルシア中型アコーディオンを購入。アコーディオニストとしてのキャリアが始まる。同時にピアニストとして同期のジャズドラマーとジャズユニット"the ZEIKIN DOROBOUZ"結成。「クラシックもやっといた方がええか」と思い、クラシックピアノ教室にも通う。だがショパンを何曲か弾けるようになっただけで満足し、ラグタイムピアノばかり演るようになる。そして、ラグタイムの名手藤森省二さんというピアニストと出会い、”勝手に弟子入り”。藤森さん曰く「僕は弟子は取らん。ヘタクソやったらイラつくし、自分より上手なったら腹立つし(笑)」とおっしゃっていたが、貴重なスコアなどたくさんいただき、ステージにも毎月上げていただいた。クラシックピアノの先生が僕ら"The ZEIKIN DOROBOUZ"のライブを聴きに来てくださった上に、音大出の”クラシックの先生”が「ジャズピアノ教室に行き始めたよ!」という・・・おもろい展開になる。過剰な自信を持ち、サクっと役人を辞めて退職金で2台目のアコーディオン、エクセルシア120ベースフルサイズを購入し、アッチャコッチャで演る。なんの縁か、尼崎の沖縄料理屋でアコーディオンを弾くようになって、それが縁で沖縄系イベントに良く出るようになる。大阪城野音・旧バナナホールのステージにも立つ。沖縄在住プロ三線奏者に招聘されて大阪を離れる。「”ニーソ”というデッカイ会社からCDデビューするからバンドに入ってくれ」と頼まれ、一度は断ったが、先方がどうしてもと言うので沖縄に行ったわけなんだけど・・・・・。スカウト担当社員がクビになり「あの話はナシね」となり帰阪。
テーマ: 時計
テーマ: 嗜み
テーマ: 音楽活動
アメンバーになると、アメンバー記事が読めるようになります