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年商6000万円の企業を年商660億円企業にまで育てさらに年商4億の企業を年商66億の世界一企業にまで育てた株式会社Planet 代表取締役 上瀬戸圭(かみせとけい)【幼少期】兵庫県西宮市出身。家族4人で生活する。当時2歳の時に妹が生まれ父親が一念発起し当時の大手広告代理店を退職し起業。この事がキッカケで知らず知らずのうちに起業家としての教育を受けることになる。【中学時代】中学生になった頃からスポーツにおいては負けを知らず常にトップの成績を収める。この頃にNo,1という居心地の良さそして、負けたくないという思いから追われる恐怖を知り「孤独」という感情が芽生える。【高校時代】小学校から続けていた野球に没頭する。その為成績は全て赤点。とうてい大学受験なんてあり得ないレベル。しかし3年生の時、ある大学から野球推薦の話があり大学を受験するが失敗。その為卒業してすぐに社会にでて肉体労働の仕事をするつもりで働き先も決めていたが、「働くのはいつでも働ける。もう一度挑戦してみたら」母親の一言で自分の一番得意な分野のスポーツで体育大学受験を受ける事を決意。1日睡眠時間2時間、勉強時間16時間、そして実技練習4時間。あとは食事とお風呂などの時間という生活を2ヶ月続ける。その結果、誰もが想像していなかった受験6校中4校合格を勝ち取る。そして日本体育大学体育学部硬式野球部へと入学する。【大学時代】入学してからは野球部の寮に入寮。幸せな事に私の部屋の先輩が後に広島カープにドラフト1位で入団した投手。門限5時、そしてあり得ないくらい厳しい上下関係。1年生だけで150人もの野球部員。総勢400人もの部員の中で1軍に入れるのは約40人弱。悔しい事に一般入学者はユニホームも着せてもらえず毎日トレーニングの日々。当時1年生で1軍にいた選手はゼロ。たまたま肩が強く足が速かったこともあり、テストで遠投128メートル、50メートル走5秒8でコーチの目に留まり捕手として2軍昇格。その1週間後には1年生でたった2人だけ1軍に昇格する。部屋の先輩が全日本大学野球代表のエースだった事もあり、司令塔である捕手としての心構え、ゲームの作り方、メンタル等を教えてもらい、後の私のものの考え方の基礎となる。卒業後は体育教師の道を進む事を考えていたが、安定を望める公務員に夢と希望を感じられず、まずはサラリーマンという社会の仕組みを勉強するため、そして野球に対しての夢を捨てきれず某自動車会社の販社へ入社。【サラリーマン時代】野球をしながら車の営業の2足のわらじを履く事になる。しかし、社会とはそんな甘いものではなくいつまでも野球にしがみつくのはやめ、営業として大成しようと決意。全てがノルマの世界で営業マンコンテストで表彰される事を目標に1998年・1999年・2000年と3年連続で最優秀営業マン表彰される。その傍ら、手持ち金5万円でオークションでの車の仕入れ販売の業務を開始し、3ヶ月後には200万円の利益を出す。全てが順風満帆だったがその2年後、車業界から離れる。新たなゼロからのスタートのはじまりである。【自営業へ】株式会社プラネットでマーケッターの仕事を始める。年商6000万の企業を年商660億企業へ育て、年商4億の企業を約7年で60億の日本一企業へ成長させ、さらに9000人のイベントをたった1年で12万人超えのイベントへ拡大させることに成功。当たり前の話、最初は給料もなし。自分で稼げるまでは寝る間もなく仕事に打ち込んだ。まわりの目を本物の目に変える為に必死に。そして7年目で一人で年商10億まで伸ばす。そんな中一瞬にして全てがなくなってしまった。足元をすくわれ価格競争に勝てなかった。売り上げ0。残ったのは会社と従業員。でも一番最悪の状態ではない。自分自身が生きてる限り這い上がれる。また1からのスタート。孤独がいつもつきまとう。そんな中、日々たくさんの人たちと出会い頼ってくれる人たちの為にマーケッターとして広く深く全力で走り続け再起のチャンスを掴み、今現在50人を超える企業へと成長し、さらに70億のマーケットへ挑戦する準備をしている。
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