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初めまして。骨格治療整体 筋骨格同時リメイク法の開発者の高木広人(タカギヒロヒト)と申します。〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓筋骨格同時リメイク法が学べる 私の整体学校日本整体ライセンスアカデミー内容はこちらからhttps://license-seitai.com/只今、メルマガ登録で【姿勢の指導法】動画を無料でプレゼントしています。治療家、施術者、セラピスト、整体師、柔道整復師、鍼灸師、あんまマッサージ師、カイロプラクター、エステティシャンが必ず知っていなければならない施術者の90%以上が知らない本当の姿勢の指導法とは?【本当に正しい姿勢とは】 【本当に正しい姿勢の作り方】を動画で詳しく説明しています。明日からでもお客や、患者に指導できる内容です。無料メルマガ登録はこちらから👉 https://kokkakuseitai.com/np/usf/75ndzp0nwU4j.htmlそして、KCSテクニック 部位偏として膝のテクニックから、メルマガ配信しています。是非、登録してくださいね。〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓私がただの整体ではなく、この【骨格治療整体】を私の整体として、平成29年の9月に商標登録しました。理由は、この骨格治療整体を世に広め、老いない身体を本気で作れる治療家を増やしたいと思ったからです。そして今が、揉み、矯正、指導が三見一体となり、これこそが根本治療だと胸を張って伝えられる時期に来ていると心底思ったからです。その整体法こそ【筋骨格同時リメイク法】であります。筋肉だけを狙い続けて、すべてを治そうとしても限界があり、骨格ばかり狙い続けて、すべてを治そうとしても限界があり、両方完璧にして、姿勢も完璧に作り上げたとしても限界があり、それらに合わせて、ストレッチや筋トレの指導を行っても限界があり、正しい歩き方の指導により、限界を打開できるのです。筋骨格同時リメイク法は、【究極の揉み】【究極の矯正法】【究極の指導法】この3つから成り立つ根本整体法です。私自身も、保存療法での限界を感じる患者がいます。でもそれは、筋肉、骨格、指導、すべてに満足いく手技を施しての限界であって、どれかに偏って施術した結果、感じる限界なのです。この骨格治療整体の中で使っている手技は、70を越えます。70を越える個別の手技を合わせながら行わなければ、自分の納得いく手技には到達しなかったから増え続けたのです。角度、コツ、深さ、固定手、接触手、その位置、身体の使い方、当たり、それらを3Dでイメージしながら、何センチ何ミリの違いで、手技の効果が変わってきます。この70を越える手技を【KCSテクニック】と名付けました。そして、KCSテクニックの中で特に重要な整体法が『筋骨格同時リメイク法』なのです。私が開業したのは、29歳の時2006年の9月です。それまでは、2院の整骨院で合計7年勤務し、その後上京して、雇われ分院長を5年弱やりました。夜間の学校に通っていたため、18歳の時から勤務していました。最初の勤務先は札幌にあり、昔ながらの整骨院で、包帯法や軽いマッサージ、テーピング、患者さんへの接客術など、ごく普通のことを学びました。とにかくそこの院長は、話が上手で、冗談を交えながら辛い身体で来院された患者も笑顔にするような先生で、患者に対しての基本を学ぶことができました。包帯法もピカイチで、いつも言われていた言葉は、「包帯はきつくなく緩くなく、次の日まで同じ形でくるように」と言われました。ですから、学校で包帯法を習うときは、既に習うことがないくらいに成長していました。今では、ほとんど包帯を巻くこともなくなりましたが・・・その後私は、もっと経験を積みたいと思い、混んでいる整骨院を選び、次の勤務地として決めました。その整骨院は帯広にあり、毎日130~140人が来院するマンモス整骨院で、パートさんも含め10人体制でやっていました。柔整師、鍼灸師、按摩マッサージ師、整体師がいて、機器も充実しており、モアレ画像診断、超音波画像診断、微弱電流、中周波、超音波、アルファ21ロイド製トムソンテーブル、自重牽引器、クライオトロンなど、その当時では最先端の機器を取り揃えていました。最初の整骨院では、マッサージ手技を決められていて、その揉み方で患者を施術しなければ注意を受けるので、オリジナルのマッサージを行うことが出来ませんでした。(でも、院長が不在の時は、自分のオリジナルを研究しながらやっていましたけど)最初の札幌の整骨院と違い、このマンモス整骨院では、マッサージの手技は決められておらず、自由に行うことができました。恐ろしいほどの患者をこなす内に私の揉みの技術も上がっていきました。ですが、今に比べたらドヘタであっただろうと思います。実は、私の父は整体をやっていました。元々土建業でしたが、私が物心ついた時には、毎日たくさんの人が自宅を訪れていました。父は大正3年生まれで、私が24歳の時、86歳で亡くなりました。戦争に行っています。その戦地で柔道、空手の師範代に体の治し方を教わったそうです。特に背骨の矯正技術には長けていましたし、本当に悪い人が良くなり、感謝して帰って行くのを見ていました。しかし、免許を持っていなかったので、看板も上げていませんでした。すべてのお客さんは、お客さんの紹介です。私は幼い頃より、施術中の父に呼ばれました。そして、「触ってみろ、ほら、ここ変だろ」と、お客さんの背骨を触ったいたのを覚えています。小学校高学年くらいになると、背骨を触り変なところが解るようになっていました。悪い背骨のイメージを感覚で分かるように教えていたのだと思います。ですから、私も骨を動かす治療がしたくて、カーテンの中で背骨の矯正を何度か試みたこともあります。しかし、父の手技は背骨の直押しだったため、知識がある故に、それをそのまま真似をする危険性も感じていました。私は、思いました。「親父の矯正では限界がある」と。でも、ここのマンモス整骨院の院長は、カイロに長けていました。院長にしか使えないトムソンベットで、次々と矯正していたのです。院長からカイロのビデオを借り、勉強もしました。院長室にあるカイロの本も借り勉強しました。リスティング、フルスパイン、ディバシファイド。いつも、院長が患者の身体のどこを狙っているかも見ていました。そして、院長があがった後、密かにテーブルをいじり、使い方もマスターしていきました。しかし、私には、一つの疑問がありました。院長は、いつも同じ所しか狙っていなく、それですべての患者は治るのだろうか?しかし、その疑問は後に解決されることになります。私は、その時代、若気の至りとでも言いましょうか、車を事故で何台もつぶし借金が重んでいました。首が回らない状態です。それにプラスして、既に学ぶことも無くなっていました。給与の高い東京での募集を探したのです。辞める1年前に東京に面接に行き、次の就職先を見つけました。そこで早く院長になれば、やりたい治療もできるし、借金も返せる。3年間お世話になったマンモス整骨院を去り、上京し新たに何も解らない新天地で仕事をすることになりました。自信はありました。いくらでも自分に患者はつく。ちょうど、東京の整骨院は、1店舗分院長に空きがありました。3ヶ月で実績を出せば、そこの院長にしてやるとの事だったので、3ヶ月間違う店舗で勤務しました。そこは新患が多かったので、順調に三ヶ月で、そこの院長より私の方が忙しくなり、実績を出すことができました。そして翌月には初めての分院長となったのです。そこには、トムソンテーブルがありました。これで、今まで自由に出来なかった骨格を矯正できる、治療効果もぐんと上がると思いました。しかし、そこのトムソンテーブルは、ゼニス製で、今まで私が練習してきたロイド製とはかけ離れた性能だったのです。まるで透かしっ屁のようなテーブルの落ち方で、しかもエア。(ロイド製は油圧)そんな不満は言ってられなかったので、ベットでのボキボキを主体に矯正し、他は今まで培った揉み技術を使い、次々と患者の紹介を呼び込みました。おかげで繁盛店となり、約3年が経ちました。社長より新規展開の話がきました。しかも、将来その店舗を譲るという話も頂いたのです。私は手を上げ、今までの患者と歩合を捨て、真っさらから挑戦してみたいと思いました。その時に自腹でロイド製のトムソンテーブルも導入しました。250万はしたでしょうか。雇われているのに自腹を切るなんて、自分でも治療バカだと思いました。でもやっと、自分の理想の骨格矯正ができる!!新規のお店でトムソンテーブルを遺憾なく発揮し、ものすごく骨盤は矯正され、やっぱり違うな~と実感していました。そこで気づいた事もありました。前の院長は、いつも同じ所を狙っていたわけでは無く、危険性がある所を敢えて触らないで、他から治そうとしていたこと事を知ったのです。今までに矯正したい骨を、逆に狙いすぎても、症状が悪化する事もあるという経験をしたからこそ解った答えです。しかし、胸椎や頸椎には物足りさを感じていたので、ボキボキはやっていました。その頃になると、揉みの技術もさらに上達し、自分の中では、ほぼほぼ全身に対応出来て、症状も取れる自信に満ちあふれていました。スタッフにもなぜそんなに骨のズレがわかるんですか?とか、どうしてそんなに深くほぐせるんですか?と良く質問されました。そしてある思い違いもしていました。患者の身体を施術した時さえ良くなれば、自分の仕事は十分。あとでまた悪くなっても自分の責任ではない。また通ってくるし何の心配も無い。と思っていました。自己満のための治療であったのだと、今では思います。治せないものってなんだろう?と良く考えるようになりました。たまたま医道の日本という業界誌で見かけた「腸揉み」のセミナーがに目が止まりました。これを習得すれば、便秘の人も良くなるのでは無いか?そうすれば、もっと患者の悩みに対応できる。私はすぐに申し込みました。新橋の塩川カイロプラクティックに先生が来て、セミナーを開いていました。その先生は奈良の先生で、たまたま東京で場所を借りて行っていたセミナーだったのです。次にいつ開催されるか、二度と開催されることがないかもしれない貴重なセミナーだったのです。しかし、この出会いが、私の根本治療に目覚めさせていくメンター的存在の先生となったのです。腸の先生でしたが、姿勢の理論に長けていました。初めて聞いたときには、衝撃をうけたのを覚えています。それよりも私は何も知らないで患者を治療していたのか、とさえ思いました。この人は、根本を知っている。患者の症状が戻らないようにするため事を本気で考えている人だと心から思ったのです。それまで患者の痛みをとり、自分の満足いく身体に戻す施術しか考えていなかった私には、信頼できる先生像として映りました。もちろん、腸の施術も初めてで素晴らしい技術でしたが、この姿勢理論を一人で考えて、治療家に教えていることに感動し、私もいつか自分自身の治療理論を確立して、人に教えていきたいと思ったことを覚えています。三回のセミナーを受けて教えてもらった理論をまずは自分で毎日実践しました。まだ若かったせいか身体に痛みなどもなく、どこの症状がとれたという実感はなかったのですが、とにかく使う筋肉が違う事に驚いたのです。自分も間違った姿勢で生きてきて、間違った姿勢を患者に教えていた事に気付かされたのです。本当にこの先生に出会っていなければ、患者を不幸にさせていたかも知れないと考えると、治療家として恐ろしい事だと思いました。たったこれだけの事を知ると知らないとで、こんなに違う物なのか?これをすべての患者に指導すれば、みんな症状の戻らない身体になるのではないか?私は、新たな信念と武器をもらったかのように嬉しくなりました。自分の身体で完全にマスターし、患者に教育していく日々が始まりました。筋肉を正常化し、ある程度まで骨格を治し、これを指導する。まさに根本治療であると確信し毎日を治療に捧げました。新規の院も軌道に乗り、ここで患者を増やそうと思っていた矢先です。ある情報を聞いたのです。社長は、譲る気などない。後付のあるあるな話ですが、私は頑張る意味を失いました。その後色々なトラブルもありましたが、雇われ分院超を辞め、ついに開業したのです。リラクゼーションと整骨が融合したサロンを作りました。私は、日曜日リラクゼーション、平日整骨と、忙しい日々を送ってきました。自分の患者は、朝一番に10人以上並ぶようにまでなっていたのです。そんな時私の身体に異変が起きました。TFCC損傷です。膝の矯正技術がまだ未熟出会ったため、手首の負担があったのと、矯正でトムソンテーブルを多用し、矯正の際に豆状骨で接触し、テーブルを落とすのでついに壊れたのです。千葉にある手首専門の整形外科にも行きました。造影によるMRIも撮り、軟骨が3つに分かれ分離されているのが解りました。トムソンテーブルは一切使えない手首になってしまったのです。使えば、激痛に襲われて揉む事にも支障が出てしまうのです。矯正ができない。ボキボキ位しかできない。トムソンテーブルを使う矯正は、患者の身体に負担が少なく、年配者の骨盤や背骨にも使えていました。年配者の骨格を治療する手立てが失ったかのように思えたのです。でも何とかしたい。姿勢の理論は、動くようになって初めて発揮する物で、良い姿勢がつくれるようになるまで治療するのが自分の役名であり、治療家の責任であると私は思っていたのです。その考えは今も変わりません。あの日あのメンター的存在の先生に巡りあってから、自分の根本意識が激変し、治療の目的もその場の痛みでは、全く満足しなくなっていたのです。しかし、この手首の損傷が技術の新たなる進化を遂げるきっかけとなったのです。私は、トムソンテーブルを使わずして、いかに頸椎、胸椎、腰椎、骨盤を動かせるようになるか日々研究と実践の日々に意識が向かったのです。しかも、ボキボキせず、揉みながら矯正される手技であって、変形した年配者の関節にも使えるものに。変化しながら施術していく内に、新たな産物とも言えるすごいことが解ったのです。トムソンテーブルを使う矯正より動かせる。胸椎、頸椎、股関節、膝関節、足首、肩関節、すべてがカイロを越える手技へと変貌して行ったのです。すべての関節を変化させ、姿勢も指導してすべて完璧な治療であると毎日の施術で手応えをつかんでいました。何の広告もせず、満員状態で自分の根本治療という概念をまさに進んでいると思えていました。しかし、その反面、根本治療をしているにも関わらず、いくら治しても悪く戻ってくる患者に対して、苛立つ自分が毎日のように現れるようになっていたのです。結局、本当に正しい姿勢を指導したとしても、悪く戻る患者が後を絶たないのです。筋肉も正常化しました。姿勢の指導もしました。筋トレの指導もしました。ADLの指導もしました。関節の可動も出しました。でも戻るのです。筋肉しか狙わない治療家だっているのに、しかもその揉みがドヘタでありながら、言葉だけで患者を誘導している治療家もいるのに、自分は磨かれた揉みに加え骨格の矯正もして、姿勢指導もしているのになぜ?そんな風に自問自答しながら、毎日のように指導しても一つもやらない患者を責め、本当に戻らない方法を知らない自分を責めているうちに、私はある決定的な持続方法を思いついたのです。そのきっかけは、やはり膝の患者でした。膝を正常な位置に矯正しても、いくら筋トレ指導しても、加重がかかった状態では使って欲しい筋肉を使うことはできないのです。加重された状態で、正しく使う方法を覚え込ますには何が必要か?それが、【正しい歩き方】です。これ無くしては、戻らない体なんて有り得ない事を発見したのです。ここから歩き方を研究し、「正しい理論」と「正しい歩き方」をするためにどんな身体の使い方が必要なのかを確立することができました。土曜日の夕方より、正しい歩き方が必要な患者を集め、歩き方の教室を開き、実績と証明を重ねていきました。こんなにも身体の使い方を間違っている人が多いことに、最初は驚きました。患者は、テレビや雑誌で書かれている、様々な情報を自分なりに理解し、それを自分に取り入れて、どんどん身体に悪い使い方の癖をつけていたのです。それを一つずつ、どうして悪いのか、悪い理由を理論付して丁寧に説明していきました。すると、一人の患者がこういったのです。「みんなそんな歩き方してないじゃない!」この言葉にはあ然としました。日本人はやはり右向け右、左向け左なんだ。みんながやっていることが正しくて、少数派は間違い。自分で良し悪しを決めるのではなく、周りに合わせる。自分の体のことさえもそうしてしまう。私は言い返しました。「だから、こんなに膝も腰も痛い人だらけなんですよ。テレビや雑誌でやってることをして、どれだけ身体維持していますか?10年前と比べてどうなってますか?」様々な歩き方の癖や、パターン、動き方のデータから試行錯誤を繰り返し、戻らない身体を作り出すのに必須である「正しい歩き方」の指導法も確立したのです。筋肉に必要な「究極の揉み」骨格を矯正する「トムソンを超える矯正術」戻らない身体を維持させる「正しい姿勢法と正しい歩き方指導法」すべてが揃ったのです。まもなく100歳時代がまもなく訪れようとしています。老人の身体をどこまで治療できるかが日本を救うポイントとなります。そして、私達治療家にとっての義務でもあるのです。あなたは本当に老いない身体を作る治療ができますか?本当の根本治療はできていますか?・プールで泳いでいる・体操教室に行っている・ヨガを10年やっている・太極拳を週3回やっている・ジムで筋トレをしている・犬の散歩で毎日歩いている・一日1万歩歩いている患者で、運動をしているのにあちこち痛い人はたくさんいます。どんなアドバイスをしていますか?健康のために、衰えない身体のためにやっているのに、・どうして膝は変形し続けるのですか?・どうして腰痛は治らないのですか?・どうして頸椎の間が狭くなるのですか?・どうして肩が挙がらなくなるのですか?・どうして姿勢が悪くなるのですか?・どうして背中が丸くなるのですか?・どうして筋力は衰え続けるのですか?・どうして関節は固まり続けるのですか?・どうして歩けなくなるのですか?そんな疑問に真っ向正面から答えられますか?その疑問をすべて治療で解決できますか?決して逃げずに、本当の根本理論を伝えられますか?現状維持の治療を目指していましたか?根本的に何が良いか、悪いか、判断できる知識と技術を持っていますか?老人で、あちこち変形してるからしょうがないでは済まされないのです。死ぬまで元気で歩いてくれなければ、これからの働き世代や、若者が一難困るのです。私がすべてお伝えします。【根本的に老いないためには何が必要か?】【根本的治療とはいったい何なのか?】【治療の限界とはどこなのか?】そうは言っても、信用ありませんよね。だからこそ、このブログでできる限りの証明をしていきたいと思います。・他のところの治療と何が違うのか・何を治せるのか・何を目指しているのか・どんな人間なのか・本当に本気なのか・何を知っているのかすべてを知った上で、あなたの治療に活かせれば、老いない身体を手にして、死ぬまで元気に歩ききる人が、また1人増えていくことが楽しみです。
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