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仙台市宮城野区の加圧トレーニングの院長 横山 正(マサシ)
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仙台市宮城野区の加圧トレーニングの院長 横山 正(マサシ)
生年月日
1952年05月22日
性別
男性
血液型
B
出身地
宮城県
最新の記事
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自己紹介
こんにちは
はじめまして横山 正です。
少年~中学時代
少年時代は、鳩と体操に明け暮れる毎日でした。
小学校まで左肩脱臼10回以上で左腕は細く、筋力が弱すぎだったので中学の時、鉄棒と床で2回骨折。(当時は外の鉄棒で土の上にマット引いただけだった・・)
これが原因で好きなことあきらめなければならなくなりました。
そんな思いを他の人にも味あわせたくないと、今の医学では回復が難しい難病や他院では不可能な患者さんでも早期回復させる当院オリジナル治療法の私の原点になっています。
高校~大学時代
高校・大学時代は、左胸、腕、肩の筋肉をつけるためのボディービルや空手に打ち込みました。
下の写真は、大学卒論の研究室の仲間と卒論実習や生活風景です。
社会人時代-1
1975年オイルショクによる就職難の年、仙台の土木会社に就職したのですが初めての仕事現場が山奥の高速道路で、最低でも4年というこの仕事は自分に合わないと思ったので、その年に同級生の紹介で東京の建築設計事務所に転職しました。
しかし大学は土木工学だったため、夜間の工学院大学の建築科に再入学しました。
その頃は、空手の練習・学校、仕事の毎日だったのですが、設計事務所の主任が独立し建築設計事務所を新大久保に開設したので私は社員になりました。
しかし職場の環境が変わったこと、これが実は治療家の世界に進む転機になりました。
話は変わりますがこの当時、近くにスポーツ会館の看板を見て、スポーツの総合運動クラブの存在にびっくりしたりと、さすが東京は違うと思いました。そして入会してまたびっくり。
そこは体操・トランポリン・ウエイト施設・各種習い事教室・水泳・ゴルフ等自分の好きだったことすべて出来てしまうところ!
在籍している会員にも驚きました。ジャパンアクションクラブ(千葉真一主催)で当時高校生の真田広之や志保美悦子など、芸能人が多数おり、ほかにも国際プロレス・日本一のボデービルダー(雑誌で見ていた選手)・競歩日本チャンピオン・サンボ等テレビ、映画等で好きだったスターの世界の人と普通に話したり、その時は人生の流れが完全に変化したのを感じました
社会人時代-2
また6階の体育館の上に80m回るランニングトラックで走り出したのが今の世界に入るきっかけに!そもそも一番嫌いなマラソンにはまってしまうとは自分でも意外です。
ランニング教室の先生は、元オリンピック選手の宇佐美先生でした。負けず嫌いが高じて走友会の皇居マラソンで2位になり、東京都の全アスレチッククラブ大会の5kmの部で優勝。
マラソンは、苦手、嫌い苦しい・・・、なのにこの種目はやめられなくなってしまうという不思議な面白いスポーツです。またマラソンに病み付きになったことが治療家になって生きがいのある人生を見つけるきっかけになりました。
病院以外にも治療の世界があることなど考えたこともなかった私が、マラソンで膝を痛めた時、走る専門の脈鍼灸治療院を紹介されて、初めてケガや体の手入れをする世界があることを知りました。
その時の先生と箱根駅伝クラスの患者の会話で、筋肉の状態や脈等などで今回は記録が出る、出ない等の話を聞いて、治療の世界はそこまでわかるまでになることなのか?ということに驚き、目指す仕事はこれだ!と思うようになりました。
先生のアドバイスでまずは学校に入り国家資格に受かることでスタートできることわかり、何年もかけていろいろ勉強と転職の決心をし、働きながら学べる小田原にある衛生学園に入学しました。その後箱根の鍼灸院に転職し念願の鍼灸学校へ。
修行時代(鍼灸院)
世界のだれにも負けない治療家になる!
入学後の3年間に学校での勉強だけでは実践には全く役に立たない!と思い、学校以外にもさまざまな療法を学び体験し、鍼灸は実践しながら覚える脈診経絡治療を学びました。
オーリングテストが発表されたころに、筋肉反射療法の伊東先生に縁したことが“病は心、からだ、環境、親、生き方等のすべての影響を受けている”ということを学び、当院の治療法の原点になっています。
そして国家資格取得後すぐに東京の荒川区に鍼灸院を開設しました。
その後数年して弟が仙台で体操クラブの治療等を手伝ってくれと言うので仙台に戻り、昭和63年にスピン治療院を開設し現在に至っています。
今でも患者さんの治療で学ぶ事あればすぐに取り入れ完璧な早期回復根本治療めざし、毎日が研鑽の毎日です。
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