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藤原 かおる (ふじわら かおる)5月31日生まれGCS認定プロフェッショナルコーチ大学卒業後、大手企業に就職し、3年後に寿退社。郊外のマンションで、仕事や趣味を楽しみながら、夫と2人の生活を満喫していたが、突然、夫が家出。離婚を言い渡され、一転、失意のどん底に…。今後の生き方を模索しているときに出会った「コーチング」。それまで「夫の顔色をうかがって生きてきたこと」が自分を苦しめていたと気づき、自立を決意。これからは「自分のなりたい姿」に向かって「自分の頭で考え 自分の足で立ち 自分の手で稼ぎ 自分の機嫌は自分で取って」生きると決め、2015年自らがコーチとなり、人生のV字回復を実現した。病気の母親を看取り、「死」を身近に感じた経験、そして離婚という自分の経験をもとに、「このまま人生を終わりたくない」、「もっと輝きたい!」と願う女性に寄り添い、クライアント自身も気づいていない「ほんとうの望み」に光をあてる対話をすることで女性の自立を力強くサポートしている。着物が好き。着物で、神戸の街を彩る「神戸きもの倶楽部」を主催。*********************************************************************はじめまして。「和美人かおる」こと、藤原かおるです。わたしは、大学を卒業した後、大手企業に就職し、3年後に寿退社をしました。それが幸せだ、と信じていた道を、歩んでいたつもりでした。しかし、いつもどこか「空虚な気持ち」がありました。このままでいいんだろうか・・?今から思えば、いつも誰かと比較をし、何か・・・そうマニュアルのようなものに自分を照らし合わせて、「よし、まちがっていない!」と確認をしながら生きているような感じでした。40歳の時、母を亡くしました。母は、59歳でがんであることが判明し、それから10年に渡り、病気と闘いましたが、力尽きました。70歳でした。母の闘病を、わたしは母を全力でサポートしました。わたしも母同様10年間、一緒に闘いました。思い残すことはありません。それはある日「ああ、お母さんは死ぬんだ」と悟ったからです。母はいつか死ぬ。そのときになって、手を握って「おかあさん!」と叫んだところで何になる?「あの時ああしていればよかった。」と後悔しか残るまい。そう思ったわたしは、「今できることを全力でやろう!」と決めたのです。そこまで決意し、後悔はないにもかかわらず、やはり母が逝ったあとは、「死」というものの力に圧倒されました。人はいつか必ず死ぬのだ。このわたしも、いつか必ず死ぬ。そう気づいたとき、「わたしはあとどれくらい生きるのだろう?」と思ったのです。そして、その時間のうち、いったいどれくらい「自分のこと」に使えるのだろう・・?そう考え始めたら、今までの暮らしぶりが急に「もったいなく」感じてきたのです。すなわちわたしは、もっと、「自分のために」生きていきたくなったのです。それから、もっと自分を表現するために、趣味のエレクトーン演奏に力を入れたり、もっときれいになろう!と、おしゃれに気を遣ったりしました。そんなときに母の遺品の中に「着物」を見つけたのです。その着物はシミもあったのですがどうしても捨てられずに、わたしが形見としてもらいました。染め直して大人っぽいボルドーの色無地に変身し、大好きな一着になりました。わたしはそのボルドーの無地の着物を着ると、母に守られているような気持ちになります。と同時に、着物の持つ魔力のようなものに魅せられて、自分が極上の女性になった気分が味わえます。着物を着ることで、わたしは自分のことが大好きになれるんです。何とも言えない「自分の中の女性」を思い出すんです。とても幸せな気持ちになれるんです。それまで、いつも誰かと比較をし、何か・・・そうマニュアルのようなものに自分を照らし合わせて、「よし、まちがっていない!」と確認をしながら生きているような感じがしていたのが、「わたしはわたし!」と正々堂々と自分のことを認められるようになりました。どんどん自分に自信がついてきました。…と、思っていたんです。ある日、わたしは愕然としました。夫の浮気を知ってしまったからです。はじめは信じられず、自分を戒めました。ですが、疑惑がだんだんと確信に変わる中でわたしは「自分が悪いんだ」と思うようになりました。どうしたら、夫は浮気を止めてくれるのか?わたしがどうなったら、元の仲の良い夫婦に戻れるのか?自分の悪いところを探し、改善点を洗い出して、一生懸命、いい奥さんを「演じ」ました。だけど、我慢ができなくなっちゃいました。今まで我慢していたものが、すべて崩れて「もう、ええわ」と思いました。そこで全部彼にぶちまけたのです。すべて知っていると。それまで怖くて言えなかった。離婚されたら路頭に迷うと思い、どうにか養い続けてもらうために、わたしは自分の気もちに蓋をして、自分の正義を隠していました。でも、そのときは自分の正義を貫くことを選んだのです。わたしは夫が帰ってきてくれることを信じていました。浮気を問いただしたら、「悪かった」と謝って帰ってきてくれることを願っていました。でも、夫は戻ってこなかった。そこでまたわたしは迷いました。まったく自分に自身がなくなってそれからどうやって人と付き合っていったらいいのかわからなくなったからです。そんなときカウンセリングを受けました。はじめて自分の置かれている状況を話すことができました。今まで誰にも言えなかったことです。恥ずかしくて。夫に浮気されて、捨てられたと告白したときカウンセラーさんがこうおっしゃいました。「かおるさんは、何も悪くないよ。 よくがんばったね。 捨てられたんじゃないよ。 かおるさんが、捨てたんだよ。」夫が出て行ってから、1年が経過していましたが初めて泣きました。それからです。わたしが変わったのは。心の中を正直に全部話すことの「快感」を知りました。それまでがんばることばかりで、自分の「できないこと」をひた隠しにしてきたことに気づきました。そういえば、子供の頃から、ずっとそうだった。母にもいい子でいるところを、いつも見せていた。夫にはいい奥さんでいようと、ずっとがまんしていた。でも心の奥底では自分がきらきら輝くことがしたかった。綺麗になりたかった。このとき、わたしは思ったんです。素の自分をさらけ出して本音で付き合えるわたしになりたい!と。そんなわたしは、コミュニケーションを高めるために、コーチングを学びました。コーチングを学ぶことで、わたしは確信しました。自分の気もちを「語る」ことこそ、誰か他の人の「軸」で生きるのではなく、自分だけの「軸」で判断し、「わたしはわたし!」と正々堂々と、自分の人生の主人公として生きて行くことだ、と。わたしは離婚を恐れていました。人生最大のピンチだと思っていました。でも、今までのように夫の顔色をうかがって、自分のほんとうの気もちに蓋をして生きていくことより自分に正直に生きることを選ぶことにしたのです。わたしは今自分の頭で考え、自分の足で立ち、自分の手で稼ぎ、自分のご機嫌は自分で取れるようになりました。人生最大のピンチだと思っていた離婚のおかげで自分に正直になることでこれからの人生を華麗に折り返すことに成功したのです。わたしが得た「自分軸」。あなたにもきっとあるのです。今は忘れているだけ。わたしに語っていただくことで、あなたの「軸」を思い出し、あなたの「美しさ」を思い出してほしい。そして恐れずに、自分の人生の主人公として、正々堂々と生きていただきたい。わたしにお手伝いさせてください。藤原 かおる
テーマ: 自分の人生を、生きる
アラフィフ
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